公害とデジタル化

三連休は、彫刻三昧のお蔭で、ペースを崩さずに今週を進めます。

仕事も趣味も癒しも全て彫刻の為に、お休みを彫刻三昧にする事は苦にはなりません。

商売上の仕事は、彫刻だけで済まないので、それでバランスがとれているのかとも思います。

 

三連休の間に華やかな平昌五輪も始まりましたが、一番印象に残った出来事は、石牟礼道子さんの死去でした。

学生時代に読んだ『苦海浄土』には衝撃もありつつ、自分の中にはそう大きな位置を占めることもありませんでしたが、社会に出て、モノを作る仕事についてからは、その見方が随分と変わってきたように思います。

2年前に京都の染色家である志村ふくみさんとの往復書簡を読んでからは、更に自分の中に深まる何かを感じ始めていました。

 

石牟礼さんの作品は、鋭く繊細なる文学的感性で水俣病の実相をとらえ、公害がもたらす「人間と共同体の破壊」を告発し続けました。

公害は、あくなき発達と利益追求文明の落とし子でもあります。

今の社会においても、自然の中から学び、暮らしに寄り添ってきたモノづくりを変容させて、大量生産と利益追求型の行き過ぎた商業主義は、早く安くという命題を掲げながら、ドンドンと「人間と共同体の破壊」を進行させてきたのは、嘗ての公害と同等の状況を再び我々に、更なるスピードとデジタル化という課題に代えて突き付けているようにも感じます。

 

毎日新聞の社説の最後には次のようなエピソードと言葉で締められています。

最後に、そのままご紹介しておきます。

・・・石牟礼さんは、60年代、初めて上京した。その時抱いた違和感と疑問を後に本誌にこう語っている。

「朝異様な音に目が覚めた。もの皆をひき砕く轟音と感じました。車や工場やいろんなものが出す音が織りなす。このような凶暴な音に包まれた文明とは何でしょう」

「苦海浄土」の中で老いた漁師が語る。「魚は天のくれらうもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい」・・・毎日新聞2月11日社説より・・・

 

石牟礼道子さんに合掌。

posted: 2018年 2月 13日