攻めの印章の在り方を模索したい

昨日、ご縁あり「三田村有純漆藝展」にご案内を頂き、観覧させて頂きました。

ご案内をいただいたハガキの写真にもあるような作品で、伝統的な漆の技法を用いてアートとしての形状表現を利用した攻めの漆藝であると、奥様よりご説明を頂きました。

その後、三田村有純先生と三田村家の先祖について話をしました。

姉川の戦いから難を逃れたご先祖様たち、武士としてあまり活躍されなかったので、生き延びて今我々がいる。

その後のご先祖様たちが、物を作るという事で活躍されたというお話をお聞きしました。

元々、滋賀県の三田村城から北陸や大阪に散っていき、有純先生は東京ですが、紙すきや能面師、蒔絵師、杜氏・・・

私が印章彫刻というモノづくりに惹かれていった理由みたいなところが、先生とのお話で自然と入ってきたことにとても驚きと喜びを感じました。

先生の展覧会から、混沌としている印章を取り巻くすべての環境に対して嫌気を感じていた私ですが、技術の継承へのこだわりを強く持つことも大切だが、生き残るためには、そこへの活躍のみでなく、攻めて行く工夫を考え出し、行動していかないと、周りの在り方に流されて行くばかりだと気づかされました。

 

先生の漆藝展は、明日まで難波の高島屋6階美術画廊で開催されています。

posted: 2020年 11月 30日

認印よ!きちんとした職人の創作であれ!

口論は苦手押しくら饅頭で来い

【作者】大石悦子

 

昨日、重要な契約に使用される実印や銀行印が、残っても認印という考え方を残さないと、たとえそれが行政手続きにおいての押印廃止でも、官印からはじまった日本の印章ですので、民にはウイルスのように伝染してしまうというお話をしました。

認印の考え方というのは、日本古来の「おしで」の考え方であります。

人と人との約束事を重んじる考え方、極論すれば、それを無くすことに繋がっていくわけです。

考え方は残るかも知れませんが、薄まり、多くの人心からやがては消えていきます。

考え方を維持するのは、繰り返しの行為・・・押印機会が多いということです。

その押印機会が、来春より極端に少なくなります。

人と人との約束を大切にしたい人は、敢えて認印を使用して頂きたいと思います。

敢えて使用して頂くのですから、それなりのクオリティを持つ物でなければなりません。

 

話は変わりますが、朝ドラ『エール』が本日最終回を迎えました。

まだ見ていない人、ごめんなさい。

出演者のコンサートでありました。

『エール』を見て来た人にとって、凄くクオリティの高い内容で、SNSで「アンコール」放送を求める大反響であったとのことです。

年末の知らない歌と知らない人の出演する「紅白歌合戦」より私にはクオリティが高いものでした。

 

どんな認印なら使用して頂けるかは、ここにヒントがあると思います。

使用者にとってクオリティの高い認印です。

押印廃止の大きな原因となった誰でも直ぐに購入できて、他人でも捺せるオモチャのようなハンコには、到底もたらされないような押印満足度を上げる美と技術力のある認印をコロナ後の社会に提供することが重要となってきます。

それは、どんな認印でしょうか?

グランプリや技術大競技会、大印展などで優秀な賞に入られた方の作品は、紅白歌合戦の出場歌手の歌声です。

素晴らしい歌唱力の在る歌声だと思います。

しかし、私のように流行り歌を知らない人にとってはあまり価値を感じないことでしょう。

それを超越した『エール』の出演者の歌声が今、印章業界に求められている大切な「これから」の認印ではないでしょうか!

技術力があり、美があり、コロナ禍でも人との繋がりを保つために自分の信を示したいと思えるような認印を、職人の技術と知識、経験を総動員して作製する認印をご提供することに、全力あれ!

今は、「全集中の呼吸」であれ!かな。

認印よ!きちんとした職人の創作であれ!

posted: 2020年 11月 27日

今、認印!と叫ばせて頂きます。

サルトルもカミユも遥か鷹渡る

【作者】吉田汀史

 

昨日書いたブログ『重要な契約には職人の手による印章を備えましょう!』に次のようなコメントをいただきました。

「業界団体なる組織が先生の様なマトモな意見を主張できないのが不思議です。重要な押印をする道具を作る際、生年月日を占う必要があるのか?自販機で適当に作るもので良いのか?それらに異議を唱えたり何故しないのか?今の状態は間違いなく偽物を許容してきた己にもあるとの自覚はないのか?認印という殆どの日本人が日頃使ってきた道具を捨てるにあたり使用機会の少ない実印が忘れられていくのは近い将来当然やってきます、その時に抗えるのは本物の実力、技術と組織団体は心得てほしいと思います。」

 

次のように返信させて頂きました。

「業界団体も政治にモノを申し、大きな役割を発揮されましたが、どうしても商売を守る団体であり、印章を守ることに【全集中】というわけには行かないのは理解できます。

何故、私が認印の意義を叫ぶのか?・・・それは、嘗ての印章彫刻の作業が手彫り、手仕上げ、機械彫りと分割された後に、多くの技術者たちが、手仕上げというグレーゾーンの為に職を失っていったという経緯を見て来たからであり、業界団体が作業を3区分した折に、叫び方が足らなかった、声が届かなかったという悔いを残したからです。

認印を、たとえそれが官公庁の押印廃止の認印だとしても、日本における印章の始まりは官印であり、それが民にひろがっていったという歴史を捉えても、今度は逆に民に押印廃止が伝わる事然りであります。

一つの砦を壊されると、敵はなだれ込んできます。

陣中にはいったウイルスは、デジタルと言う名に形を変えて、味方を欺き始めます。

それを以前に経験してきた故に、今叫ばないとと、業界ではうざい、非マトモな意見でありますが、今後の印章の為に【全集中の呼吸】で行きたいと存じます。」

 

※あの漫画には、あまり興味がなく、内容も知らないのですが、流行らさせられている言葉を使わせて頂きました。m(__)m

posted: 2020年 11月 26日

重要な契約には職人の手による印章を備えましょう!

草々の呼びかはしつつ枯れてゆく

【作者】相生垣瓜人

 

先日、特別国際種事業者登録の更新を致しました。

それは、象牙材を扱う業者としての登録更新です。

パソコン画面から登録申請用紙に登録内容を書き込み、プリントアウトして、認印を捺印して郵送すると、新たな登録番号を頂けるというものです。

ここには、認印が必要でした。

また、新たな仕事の関係上、特許庁に申請をしたのですが、それにも認印を求められました。

お店のお客さんですが、猟銃所持の申請更新手続きに、認印を忘れられたので、既製の認印をご購入下さいました。

それらの認印が来年には法律を変えてまでも廃止になります。

今現在は必要なので、それらの手続きには認印は求められます。

印章店に購入に来られるお客様が、来年春から無くなるということです。

99%以上の押印廃止となるので、今までの押印機会が一挙に無くなります。

無くなると、おそらく規制の認印はゴミとなる事だろうと予測します。

卒業記念にもらった認印もあまり活躍しなくなります。

業界団体の政府への働きかけにより、【実印や銀行印など重要な契約に使用する印章は今後も変わらず必要です】という回答を明白にすることが出来ました。

お蔭様で、実印と銀行印のご注文が現在増えてきました。

有難うございます。

しかしながら、使用者の立場に立てば、重要な契約は日常茶飯事ではなく、めったに捺すことの無い重要な印章となります。

来春より印章需要は明らかに激減することと思います。

そして、その重要印章をオモチャのようなパソコン印章やフォント印章で作製していたのでは、重要という言葉が、将来的には瑣末という言葉に置き換わらないように作製現場への規範とモラルの在り方をしっかりと徹底して頂きたいと希望致します。

それは、今回の押印廃止を引き起こした土壌がコロナ禍という問題だけでなく、印章業界の製作現場にあり、価値無き印章の大量生産をしてきたつけであるということを再認識する必要があるという事です。

そうしないと、いずれは実印や銀行印も同じ道をたどる危険性が潜んでいる、いや今も進行していると言って過言ではありません。

http://www.inshou.or.jp/inshou/common/pdf/2020datsuhanko.pdf

この公益社団法人全日本印章業協会の「脱ハンコについて」というアピールに、私としては付け加えたいことがあります。

それは・・・

【実印や銀行印など重要な契約に使用する印章は今後も変わらず必要です。そのご依頼は、きちんとした職人の手づくりの印章店へ】

posted: 2020年 11月 25日

「シヤチハタはハンコの会社ではありません」

菊人形問答もなく崩さるる

【作者】藤田湘子

 

「シヤチハタはハンコの会社ではありません」

この記事を読んで、なるほどなと思いました。

 

私のお店は、何代も続いてきた老舗の印章店ではなく、私が初代、しかも脱サラの印章業界外部から仲間に入れて頂き、技術一筋で、今は古株としてうるさがられる存在です。

外部から入った修業時代、この業界に違和感を持ったのが「シャチハタ」と消費者から呼ばれているインク内蔵の浸透印(?)でした。

修業当初、明けても暮れても印刀を砥ぎ、印影を見つめるという生活でした。

その後、業界誌の誌上講習会への出品を始めました。

印影を取って送って添削して頂くのですが、「印影の取り方悪し」とか「印影にムラがある」「丁寧な印影に心がけましょう」という講評が帰ってきました。

印影一つ取るのも技術なんだ、奥の深い世界だと驚きました。

先生、先輩に聞くと、印泥という中国産の朱肉を使っている。

しかも、その種類も多く、扱い方も難しい。

流石に、プロの最先端は違うなぁと思いました。

朱肉の勉強もしていくと、朱肉あっての印章だという事が理解できるようになりました。

通常の印刷インキは、経年劣化して印刷が薄くなり、ついには消えてしまいます。

墨と朱肉は経年劣化せずに残ります。

高級な朱肉には、地球環境に悪い硫化水銀が入っているから紙が劣化してもその姿かたちを留めるのです。

シャチハタ(シヤチハタ)と呼ばれる浸透印はインキが紙に写るもので、経年劣化を前提として存在するものです。

ですので、登録印としては使用できないのです。

何故、それを印章店は一生懸命に販売されるのだろうかという疑問がありました。

昔からの慣習なのだろうか?

売れるから売っているのだろうか?

未だに、私なりの解答はありません。

印章店で印章としての付属品や、ゴム印を販売することは理解できます。

朱肉から対立軸にあるインキですので、必然的に印章の価値を低下させる役割を少しずつ消費者に啓蒙していくもので、朱肉を付けて捺す印章を売れ無くしていくものです。

 

先日のシヤチハタさんの記者会見や、25年前からデジタル分野に進出してきたという方向はよくわかります。

それは、「シヤチハタはハンコの会社ではありません」からなのです。

私が分からないのは、印章店は印章を商材として販売するというアイデンティティがあるのだろうかというところです。

 

脱ハンコ騒動後の印章業界は、デジタル化と共に歩む塊と、きちんとした印章を販売しようという塊の二つに分断されていく事と思います。

デジタル化と共存される塊は、印章の本義を捨てると思います。

そうしないとデジタルと共には歩めません。

 

先日、大印展や大阪の技術の在り方を作ってきた古参の先生方と会食をした時に、現役で商売をされている80歳をまわられた先生がこのように言われました。

「今まで、既製の認印のタワーとシヤチハタのネーム印のタワーを命がけで毎朝外に出してきたが、コロナ禍の脱ハンコ騒動で、それらを全て廃棄して、きちんとした印章の販売に専念するようにした。

考えると、それらは店の売り上げの一割に現在満たない状況だ、それを命がけで毎日出す事より、より良い接客に心がけた方が、心身ともに健康でよい。」

大先生に拍手です。

 

菊人形を作る職人さんには綺麗につくろうとか、動きを感じられるようにしようという問答があると思いますが、壊される方には問答がありません。

脱ハンコ騒動もコロナ禍により、いろんな疑問が洗い流されていくように感じます。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/72df538fc895f281cafb4e1434e45ce9c0cea869

 

posted: 2020年 11月 21日

印章技術の道行きは職人の手で

印章の中には、多様な要素が織り込まれています。

例えば、印章技術を一つとってみても、大陸の漢字文化を内包し、西洋活版印刷技術の発明による木口木版技術と結合しています。

お客さんは、その彫刻方法はやはり中国の篆刻技術から日本に入ってきたと思われている方がほとんどですが、そうではなく印刀という荒彫りの道具のもとは、西洋木口木版のビュランに由来するものです。

しかし、その西洋木口木版もビュランによる彫刻にとどまりますが、印章は仕上げ刀という片刃の刃物を使い仕上げます。

それは日本独特の考え方であり、美的センスの表れであろうと推察します。

 

日本刀の技術も「鉄の技術」と言われています。

西洋の分析化学では、同じ成分を使用しても作れなかった技術であります。

逆にドイツのゾリンゲンのナイフに応用されました。

日本刀は、平和な時代になっても、現在の日本においても、その技術は継承されています。

それだけの価値があると認められているからです。

また、刀装具の一つでもある鐔(つば)は、美術品としての高い価値を評価されているのと同様に、その彫金技術も造幣局の技術に継承されて行ったりしています。

着物も洋服に押されて、普段着としての役割の位置にはあらず、ハレの日の文化として位置づいていますが、その技術は染色、織技術、文様・柄などのデザインとして分離していき、各々の場所で価値を認められ日本文化の一翼を担っています。

印章技術もいずれは、そうなる事だろうと思います。

デジタルで作られたハンコは、電子印鑑であるのかも知れませんが、印章ではありません。

きちんとした印章は、日本刀や着物同様に、きちんとした職人の手(技術)により作製されるものです。

印章技術の道行きは、けっしてデジタルのエンジニアに導かれるのではなく、印章の本義を知り尽くした職人により導かれることだろうと推察します。

それは、西洋技術がなしえなかった日本刀の技術と同様に。

 

 

posted: 2020年 11月 17日

印章とデジタルの共存はあり得ません

団栗の己が落葉に埋れけり

【作者】渡辺水巴

 

先日、私が加盟させて頂いている公益社団法人全日本印章業協会(以下、全印協)の会長が、河野大臣のツイッター記事に抗議のために、自民党の二階幹事長と面談されました。

そして昨日、河野大臣が衆院内閣委員会で、「押印廃止」と彫られたはんこの写真をツイッターに投稿して業界団体の反発を招いたことに関し「しっかりとその意図が伝わらなかったことはおわびを申し上げたい」と述べました。

コロナ禍のリモートワークの邪魔者という印章無用論から始まり、河野大臣の脱ハンコ宣言ともとれる発言と行動、そして今回の「押印廃止」と彫られたハンコのツイッター発信、これらに対して、山梨県知事をはじめ日本の印章制度・文化を守る議員連盟の政治的行動はニュースで見聞きしたり、印章政治連盟の報告をお聞きしたりしましたが、全印協の姿勢というものがはっきりしていなかったように感じておりました。

今回の会長の行動と、二階幹事長に渡した「要請文」の内容を読むと、漸く業界が一連の行動に対応してくれたという実感があります。

その「要請文」の内容が全印協の立ち位置だろうと思います。

大いに同意するところでありますが、それまでのデジタル化に一定の理解を示されてきた政治的行動に対しては若干の違和感を抱いてきました。

 

まず、私自身の意見を述べます。

私は、第三者が作られた印章やパソコンで作製された印章を右から左に商っているのではなく、私の手を通して作られた唯一無二の印章をお客様にお渡ししている・・・印章という商品を彫刻して販売している印章店の職人であり経営者です。

どちらかと言うと、職人気質のアナログ人間です。

押印を廃止するデジタル化には反対です。

何故ならば、これ以上の押印回数が減ることには反対だからです。

押印の機会が減少すれば、どうなるのか、平成10年から施行された「押印廃止ガイドライン」により、役所に行けば、多くの書類が押印することなく、身分を証明するものを提示すれば発行されるようになりました。

業界自体は、それに対して政治への働きかけを含めた署名活動などの反対行動を展開して、書類に「印」の文字を残しましたが、ほとんどの書類を発行して頂くのに、ハンコを持参して「印」の上に捺しても、運転免許証を忘れると発行してもらえない状態となりました。

何のための「印」の字なのだろうか。

役所に行くのにハンコがいらなくなりました。

そうこうしていると、今度はコンビニで印鑑証明や住民票が発行されるようになりました。

そこにもハンコはいりません。

どんどんと押印機会が減り、それは印章の価値を低下させる役割を担っていきました。

今度は、法律を変えてまで、印なき婚姻届や確定申告書を作ろうとしています。

 

デジタル化と印章は、共存していくと言われる業界の方がおられます。

作り手として、とても違和感があります。

作っていて、それがデジタルと共存できるものかどうかが分からないのかなと不思議でなりません。

印章を作る行為はアナログであります。

印章自体もアナログであります。

押印行為もアナログであります。

アナログとデジタルは共存できるのでしょうか。

電子印鑑というデジタルのなかに印影を表示するということが頭に過ぎる方がおられるかもしれません。

デジタルで作る印影は、そのままデジタルで完全表記されます。

アナログで職人が作った印章は、そのままデジタル化できませんし、デジタル化自体が不可能です。

何故なら、【デジタル化によるアナログ情報の変質はまぬがれない】からなのです。

圧倒的にアナログの情報量の方が多いのです。

デジタルは、全てのデーターを0か1で処理します。

0と1の間は、情報から欠落していくわけです。

丸い画像を描いても、職人が描く丸い形と比較すると、その形は似ているようですが、違ったものになってしまうというわけです。

ですので、職人が綺麗に仕上げた文字の線をデジタル化すると、現物とは似て非なるものになるというわけです。

詳しくは、こちらを参考にして下さい。

https://giraffeong.com/computer/162

 

デジタルは、「正確である」「劣化しにくい」「コピーによる劣化がない」「伝送による劣化がない」「再現性が高い」などのメリットがあります。

しかしながら、印章はアナログであります。

アナログの特性は情報量が多く、表現も豊かな反面、再現性が乏しく、コピーしにくい・劣化しやすいのが欠点ですが、情報が全て飛ぶことは稀であり、部分的に修復できることも多いため、その確実性が重宝される場合も多々あります。

そのアナログの特性を生かしたものが、印章だと私は思います。

デジタル化と印章は共存するのではなく、きちんと【住み分け】をするべきだと私は考えます。

印章業界、とりわけ政治連盟のみなさまからは、ひょっとするとお叱りを頂く発信かもしれませんが、この違和感は作り手である職人として抑えきれずに記させて頂きました。

一流の職人が仕上げた印章の個性あふれる綺麗な線は、決してデジタルで表せません。

posted: 2020年 11月 12日

1 2 3 4 5 >