ヘラクレスの選択

「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
(俵万智、『サラダ記念日』より)

自らの技術は、自らの努力により、自らの中に貯めていくものです。
しかし、それだけでは精魂込めた仕事というのは出来ないと思います。
自らの技術をどこに向けるか、そのベクトルが一番大切なことであります。

手慣れた仕事をし続けていると、悩み工夫することがなくなり、技術に対しての厭きが来ます。
お客様からお名前を頂き、それをパソコンのフォントで羅列していき、彫刻機に任せて、それをお渡ししてもお客様がわからない、何も言わないからそれでよしという仕事を続けていると、技術に関しての麻痺が起こってきます。
このぐらいの仕事でいいか・・・
パソコン画面のフォント・・・手直ししないと、同型印の危険性があると分かっていても、段々とそれをしなくなる。
パソコン画面の大きな円のなかにあるフォントの配列が、当たり前になって来る。
初心の想いは何処へ・・・

毎日、お客様から頂いた名前という文字と格闘し、如何にレイアウトすれば美しくなるのかという思考錯誤を繰り返す、書いては消してを繰り返した印稿(完成デザイン)、その仕事の中に必然として想いが入り込む・・・精魂込めるというのは、そういうことではないか!
それが連綿と繋がり、大きな文化となる。

実用や普段使いは文化ではないとする考え方が横行する。
芸術の域という言葉があるが、芸術と言われなければ、文化でないのか?
文化とは、積み重なった日常から生まれると、この頃強く考えます。
それは、伝える方向と対象があるからだとも考えます。

「寒いね」と答えてくれる人がいる
「うつくしいね」と言ってくれる使用者がいる

posted: 2019年 2月 15日

寒の水

ひとり居や 映るものなき 寒の水
前田普羅

昨日は、いつもの二日酔いのダウンではなく、疲れからのグロッキーでした。
週初めのご挨拶もできずに申し訳ございませんでした。
日曜日の技能検定の大阪会場は、ここ20年くらいの間では一番多い受検者数でした。
受検者も大変疲れたと思いますが、それまでの段取りや朝早くから夜遅くまでの採点や集計に時間が掛かりました。
気疲れと体力的な消耗は、年を重ねると、辛いものがあります。
昨夕、他の会場に携わっている人とメールでやり取りをしたのですが、事態は深刻だと思います。
全国的には、国からの指示であります100名の受検者には到底届かない受検者数です。
みなさんは、わりと楽観的に捉えているようですが、100名に達しなかったという現実と、今後休止対象職種になってしまうであろう事をもっと真剣に考えて具体的なる行動に移さないと、口を開けてまっているだけでは、技能検定すらできない業界という悲しき事態に直面していくことだろうと推測できます。
技術がもう駄目なのかというと、現場の様相は実はその逆かなと思います。
何故か分かりませんが、今まで技術など見向きもしなかった大手のハンコ屋さんが、そこに目を向ける傾向があります。
昨日も地方都市の某フランチャイズ組織に属している人から大阪の講習会に見学に行きたいというお電話を頂きました。
フォント使用の同型印の危険性高き商品やデザインとは名ばかりのパソコンのコピペや機能を利用した商品を扱っていたのでは、印章販売という商売が成り立たなくなってきている。
消費者は、印章業者がパソコンを扱う以上にパソコンで情報を得ているということだと私は推察しています。
きちんとした印章を作製しようとすると、パソコンフォントに飼いならされるのではなく、それをも利用したり活用したりしようとすると、きちんとした技術を身に着けなければ出来ないことであるということが、漸く浸透し始めたのかなとも考えられます。
国家検定である技能検定を続けていくためにも、まず来年に実施される彫刻ゴム印の技能検定を多くの受検者で成功させるためにも、その受検者を作る具体的なあらゆる手段を創造していくことだと思います。
その業界の公益的なる熱意が伝われば、事は少しでも前向きになれると思います。
全印協ホームページには、その講習会の募集を掲載していただきました。
振るってのご参加を心よりお待ち申しております。
http://www.inshou.or.jp/
古くから寒の時期に汲まれた「寒の水」は腐らないといわれてきました。
技術もそうやすやすと腐りません。
今から追い上げます。
必ず追い上げます。

posted: 2019年 1月 29日

魂の在る仕事

昨夜EテレのETV特集 ふたりの道行き「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」を再放送で見ました。
お二人の魂のある仕事に感銘を受けると同時に、人による仕事には魂が入るのだと改めて再認識しました。
石牟礼さんの作品「沖宮」という能のなかで、雨乞いの生けにえとなった少女
が纏う衣装の緋の色の糸の一本でもよいから自分が染めたものが入っていてほしいという姿勢・・・・・それこそがモノを作る人の向き合う態度であり、だからこそ魂が入る仕事ができるのだと思います。

http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2019-01-19/31/11130/2259646/?fbclid=IwAR0e8O66_QGQEC63QTIkEK_O-V24rb4LGF1JW5zdprNiy2rzdBrz46QHERU

posted: 2019年 1月 24日

最高の道具・・・手

こんにちは。
今日は、成人の日です。
お蔭様で休日出勤で、忙しくさせて頂いております。
成人を迎えた日本の若い人に、印章のみならず、手仕事の品物や道具を持ってほしいと心から思います。
それは、自らに共鳴した物であり、一生を通して友とも言える価値あるものとなるでしょう。
コンピューターは、一律なるものを大量につくる大きな塊であり、魂ではありません。
魂なき物を持って、すぐに飽きたり捨てたりゴミとすることのなきよう切にお祈り申し上げます。

以下、柳宗悦著『手仕事の日本』よりコピペ致します。
「前略・・・なぜ機械仕事と共に手仕事が必要なのでありましょうか。機械に依よらなければ出来ない品物があると共に、機械では生れないものが数々あるわけであります。凡すべてを機械に任せてしまうと、第一に国民的な特色あるものが乏しくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがあります。それに残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、出来る品物が粗末になりがちであります。それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦よろこびを奪ってしまいます。こういうことが禍わざわいして、機械製品には良いものが少くなってきました。これらの欠点を補うためには、どうしても手仕事が守られねばなりません。その優れた点は多くの場合民族的な特色が濃く現れてくることと、品物が手堅く親切に作られることとであります。そこには自由と責任とが保たれます、そのため仕事に悦びが伴ったり、また新しいものを創る力が現れたりします。それ故手仕事を最も人間的な仕事と見てよいでありましょう。ここにその最も大きな特性があると思われます。仮りにこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少くなって来るでありましょう。各国で機械の発達を計ると共に、手仕事を大切にするのは、当然な理由があるといわねばなりません。西洋では「手で作ったもの」というと直ちに「良い品」を意味するようにさえなってきました。人間の手には信頼すべき性質が宿ります。・・・後略」

posted: 2019年 1月 14日

超絶技巧の捉え方

工芸の超絶技巧という世界があります。
明治に日本の工芸を海外に輸出するために、作られた海外向け工芸と言って過言ではありません。
技巧を超絶しているのですから、それはもう芸術の世界、ある意味芸術としての輸出でありました。
それは、日常使用される工芸美とは少し違った世界観を表現しています。
ある意味、日常品としての工芸には邪魔な技巧かも知れません。
しかし、明治のそういう技巧があったから、技術自体は進化した。
そして、それを表現した職人にとっては、こんなこともできるんだという腕試しであったと思います。
それは、日常品としての工芸論と時代の在り方として無駄ではなかったと思います。
手技に無駄なことなど何もないのですから。
その反動として、暮らしに寄り添う工芸としての民藝や用の美という思想が誕生したのだと思います。

印章においても、超絶技巧とまではいきませんが、密刻という細密画と文字のコラボ作品が展覧会や競技会作品としてあります。
しかし、それは職人の腕試しであります。
以前にもお話したことがあると思いますが、現在の印章彫刻技術は日本独自に発展してきたものですが、彫刻方法そのものは、西洋活版技術の木口木版技法の伝来から誕生したもので、現在実用としては存在しませんが、版画美術として木口木版は生き残っています。
その作品は、細密画の表現としては、印章の世界の密刻よりも技巧的には勝るものを多く拝見してきました。
細密画だけならそうですが、密刻は文字とのコラボであります。
文字が生きていてこそ価値を有するものです。
それをフォントや他人の文字を使用して商品化しようなどということを考えると、木口木版の世界から失笑を頂くであろうし、今の文様や絵、キャラクター、似顔絵などを印章世界に取り入れた商品は、印章とは別物と考えないと、印章史に汚点を残すばかりか、印章を堕落させる一助になりかねないことを強く指摘しておきたいと思います。

posted: 2018年 12月 18日

印章が、そんなに簡単になくなってたまるかい!

NHKのドラマ10『昭和元禄 落語心中』が、昨夜が最終回でした。
もう少し、やっていてほしいなぁ~と思えた久しぶりなドラマでした。
今日は内容の感想を語るのではなく、師から弟子へ、そしてその弟子が師となり、そこに弟子が集うという「継承」というあり方について、思うところを述べたいと思います。

「落語心中」の中では、継承するものは、人を通しての落語でした。
私にとっては、印章です。
印章彫刻技術や技能ということではなく、あくまで印章なのです。
ここいらあたりから、昨夜の余韻がのこっているので、少しばかりお江戸の言葉でお話さして頂きやす。
ドラマの中でも、憲兵に「公演中止!」と制止されても、尚且つ落語を話し続ける・・・「もう落語は無くなっちゃうんじゃないか」という時代においても、師から弟子へという気の遠くなるような作業のなかで継承されてきたのが今日ある落語だと思います。
簡単に話しましたが、やっている本人たちにとっては、この継承はドラマになるくらい大変な作業だと思います。

印章の継承もそうですが、今ちょっと事情が変わってきてやしませんか。
印章を継承するための技術です。
その既存の継承現場が、今まだあります。
技術講習会
技術研究会
技能検定
技術検定
技能グランプリ
大印展
全国印章技術大競技会
何度も言うようだけど、今!ここにこそ力を注がないと、印章の継承にとって大変な時期がやってくるよ。
いや、今進行しつつあるよ。

その一つが、デジタルガバメントかも知れない。
印章は公益的なるもんだとして、全国組織自体をちぐはぐさが残存する中で、「公益」というお墨付きを国から頂いた。
デジタルガバメントという問題が起こり、その「公益」が対応しようとすると、政治連盟を窓口にしてしか対応できないときやがった。
なんなんだ、大きな犠牲を払いながら得た「公益」という看板では話もきいてくれないのが日本国かい。
業界自体も文句の一つもいやあいいのに、それなら政治連盟を作りますといって、いとも簡単にそれをおっぱじめやがった。
何のために多くの印章とその本質を守ろうとした仲間を見捨ててまで、「公益」という看板を得たんだい。
えっ!
激安店や同形印販売店を多く受け入れるためにかい。
『印章憲章』に対して恥ずかしくないのかい。

菊彦と助六のようなやつは、もうこの業界にはいないのかい。
印章は、人と人との約束事を司る想いを運ぶ大切なツールなんだぜ。
そのことを、くれぐれもお忘れなく、宜しくおねげえしやす。
あたしゃ、まだ希望は捨てていないよ。
印章が、そんなに簡単になくなってたまるかい!

posted: 2018年 12月 15日

印章の正しき価値を取り戻そう!

今回の京都大の本庶さんのノーベル賞の授賞式を通して一番印象に残ったのが、在スウェーデン日本大使館が主催した記者会見での日本の製薬企業の現状についての発言でした。
「研究所を廃止し、外から(創薬の)種を拾ってくる方向にシフトしている」と指摘。
また「トップがそろばん勘定しているだけの人ではまずい。サイエンスが分かる人でないと、(研究の)価値が分からない」と注文を付けたと報道されています。

トップとは、物の本質を理解し、それを発信できるだけの能力のある人のことを言うのだと思います。
本庶さんの場合はサイエンスであり、私の場合は印章です。
印章への理解度が低い人、それをそろばん勘定にしか置き換えることのできない人がトップになったり、そろばんを貼り付けた印章を発信するならば、長い目で見ると、印章の継承はあり得ないと考えます。

本庶さんにとっての研究者は、印章にとっての技術講習会や研究会と言って過言ではありません。
そこに一番力を注がないと、技能検定は勿論のこと、全国グランプリや展覧会、競技会も無くなっていくでしょう。
技術の継承とその思想が無くなるということは、どういう事なのかを、今真剣に考えないと大変なことになります。

派手なパフォーマンスや宣伝行動が、印章制度や文化を守れると思っているのでしょうか?
勿論、技術だけでは印章は成り立ちません。
大切なことは、何を彫るかです。
我々は、何を彫っているかということです。
印章業者は、何を扱わなければいけないかということです。
文具や玩具を扱っているのでしょうか?
芸術作品を扱っているのでしょうか?

いえ、印章を扱っているのが印章業者で、それを彫刻しているのが印章彫刻技能士や職人ではないでしょうか!
だから、価値ある印章がつくれる
だから、世にひとつだけの印章が販売できる
他事は、他の人やパフォーマーやおもちゃ屋さん、芸術家がなさることだと思います。

posted: 2018年 12月 11日

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