柳宗悦と棟方志功

先日の日曜日に、久しぶりに『日曜美術館』を見ました。

柳宗悦と棟方志功・・・お二人共に大好きな人です。

民藝という考え方で交流があった程度しか知りませんでしたが、まるで師弟関係のようなお話に驚きました。

棟方志功は、青森県の鍛冶屋に生まれ、職人を脱するために芸術家を目指し上京しました。

職人が芸術家よりダメなのではなく、美を求める姿勢は職人とか芸術家とか関係ないとして、「きっと、君のお父さんの刃物を美しいと思える日が来るだろう」と諭した民藝思想の本質を見たような気がしました。

私の実家も印刷物加工と言えばカッコよいのかも知れませんが、紙工、断裁、「断ち屋」と言われる仕事が家業で、仕事をする祖父や父、叔父は職人であります。

今は、職人さんというと、モノ作りの人とか、〇〇作家とか言われて、そのカッコよさを商売的にアピールされておられる方もおられます。

実際の職人一家というのは、そういうモノではありません。

棟方志功が、親の仕事を見かねて、自分は世に出て有名になるためには芸術家を目指すのだとしたことは、とてもよく理解できることです。

しかし今、私も職人であり、その職人的なことが大好きで、仕事に精を出すという意味を噛みしめています。

とても、不思議な事だと思います。

棟方志功は、柳宗悦との出会いが大きかったと思います。

私は、印章との出会いであったことは、間違いがない事だと思います。

https://masaya-artpress.com/2020shiko_munakata1-nichibi

 

posted: 2020年 7月 28日

withコロナ社会の我儘な職人気質

昨日、久しぶりの休日をゆっくりと過ごさせて頂きました。

それを除いての四連休は、休日出勤させて頂きました。

コロナで、毎月の講習会やいろんな行事がなくなり休日が自由に過ごせるようになりました。

自由なのですが、通常の日にやらねばならない事も増えて、休日は仕事をしなければ、回らなくなりました。

もう少し使い方を考えねば、有効に休みの日を使えないなぁ~と反省然りです。

この頃は、お招きいただいたリモート講義にも潜れずにいます。

そんなに忙しいのか!と言われそうですが、なんせ一人での製作ですので、そんなに大量には出来ずに、また大量にはしたくなく、一つ一つを大切につくりたいという我儘な職人気質があります。

 

昨日は、本当にボ~っと、昼寝をしたり、テレビを見たりして、くつろいでいました。

業界関連のテレビ放送を見逃しました。

理事長から今やってますと、ラインをもらったのを見たのは、とうに番組が済んだ時間でした。見逃しました!

先日行われた第23回全国印章技術大競技会の審査風景がテレビ東京の『ニッポンの(秘)協会100選』という番組から取材を受けていました。

東京だけの放送かなと思っていると、テレビ大阪でも放送されたようです。

連絡欲しかったな・・・。理事長が録画してくれているようで、見れるのが楽しみです。

 

審査で、東京に行った時は、コロナの感染者数がドンドンと増え始めた時で、ある意味命がけで行きました。

たまたま、その取材に遭遇したのですが、見られた理事長のラインには、「ちょっと映ってましたよ」とありました。

今でも、感染者数は増え続けています。

withコロナ社会やコロナ禍後のモノ作りの在り方を考えないで、モノ作りに向かう、生業として発信することは難しいと思います。

いくら技術に自信があっても、そこの価値を伝えきらないと残らない、コロナにやられてしまうか、コロナと共に消えゆくか、withコロナかが問われているように思います。

https://comemo.nikkei.com/n/n423467cdd622?fbclid=IwAR1x5SZ4ROapEEPcOVAwmi54Ti0m3rSHxDYiyAUOdjT7AQOx9aLcRyCPrAc

 

posted: 2020年 7月 27日

印章彫刻工としての誇り

本日も仕事量調整のために、休日出勤です。

電話が鳴り、出てみると、「会社のゴム印、住所や社名とかの・・・何時間で出来ますか?」という内容でした。

そういう電話もありますが、昨日は石川県から来れたお客様もありました。

 

印章を作製する人のことを、何というのだろう。

ハンコ職人、はんこ職人、印章彫刻職人、印章彫刻工・・・

ハンコ作家、はんこ作家、印章彫刻技能士、現代の名工・・・

はんこ芸術家、篆刻家、書家?・・・

技術者、技能士、技術師・・・

ブログに書く時には、その場の雰囲気で使用してきた感があります。

ちなみに、技能検定という国家検定をしている国は、どのように規定していると思いますか?

技能士というのは、間違いですよ。

技能士というのは、その方の技術の量的な度合いを示す呼称で、一級、二級があります。

技能検定試験を受けて合格すると、技能士と名乗っていいですよと言う意味です。

厚労省からの「現代の名工」では、技能者という言い方をします。

技能士でなくとも、「現代の名工」はもらえるからです。

だから、「卓越した技能をもつ労働者」という表現をされています。

それは、印章に限ったことではなく、いかなる職業においても、そういう表現がされます。

黄綬褒章の賞状には、明確に「印章彫刻工」と区分されています。

国は、印章を製作する人のことを「印章彫刻工」としているという事になります。

「現代の名工」と名乗る人がいても、私は「印章彫刻工」だと名乗る人はいないと思います。

そこからは、「職工」というイメージがあるからです。

『男はつらいよ』の映画のなかで、寅さんが裏の印刷工を捕まえて、「こら!職工」とか「労働者のみなさん」と言っているイメージがあります。

それを、嫌がる方が多いと思います。

でも、そういう側面があるから印章は成り立ち、国が成り立ってきたと思います。

私の中では、職人や職工というイメージは、○○作家さんや○○家と呼ばれる先生より、コツコツと同じ事を厭きなく繰り返して技を積んでいくというイメージが強く、大好きなことばです。

永六輔さんが愛した言葉も「職人」という言葉であり、在り方であると思います。

 

「〈私もいっぱしの大工になりました〉って威張っている職人がいたけど、〈いっぱし〉というのは〈いちばんはしっこ〉ということなんだよね。

威張って言う台詞じゃない」

 

 

「子供は親の言うとおりに育つものじゃない。

親のするとおりに育つんだ」

 

 

「彫り3年、研ぎ4年。

女房貸しても砥石は貸すなって教えられました」

 

 

「職人が〈何かすることありませんか〉なんて言うな、おまえ。

すること探して、黙ってやってろ!」

 

永六輔『職人』(岩波新書)より

 

そういう世界観が大好きです。

posted: 2020年 7月 24日

どうか、印面を見つめてください

仕事量調整と講習会の添削課題の集計の為に、休日出勤しています。

昨日もとあることから東京より全印協の技術委員長から電話を頂きました。

お尋ねすると、大競技会審査結果の集計や事務仕事に集まっておられるようでした。

感染者数300に迫る勢いの東京で、です。

自分が感染するだけでなく、人にうつす可能性があるから、集まらないことをモラルとする傾向があります。

何も用事もないのに飲み会で集まるとか、問題になっている旅行で集まるとか・・・そういうことはすべきでないし、理知高き大学はまだリモート講義が続いています。

正しい事であると思います。

しかし、技術講習会のこととか、大競技会の実務は集まらないと出来ないのが実情です。

そういう危険性を冒してでも、それに携わっておられる方々に心より拍手を送りたいと私は思います。

何かの取材を受けると、仕事風景を写真に撮ってくださることがあります。

例に挙げた写真は、雑誌『PHP』のものです。

後藤カメラマンが上手にとってくださいました。その節は、お世話になり有難うございました。

少し変な説明に使わせて頂きますが、写真の良し悪しを言うのではありませんので、ご了解ください。

普段は印面に向かい仕事をしていますが、撮影には私の顔も必要です。

印材と仕上げ刀を握り、顔を上げた状態でないと撮影にはなりません。

この姿勢が、今の印章業界であると思います。

即ち、印面を見ていないのです。

その印面を唯一無二にしてご使用者にお渡しするのが、我々の商売です。

その唯一無二の印面を作り出すのは、印章彫刻技術とその本質を貫くモラルがあってこそ守られてきたことです。

印面を見ないでよそ見して、彫っているようなふりをして、スローガンや年間計画では技術や技能検定、技術講習会と打ち出してはいるが、誰も印面を見ないで、経営面の在り方を他の商売と合わそうとして来たのではないでしょうか。

今、リモートワークの阻害物としての印章から、デジタル化の障壁として、多くの起業から脱押印を宣言され、そのノウハウセミナーがネット上で様々な形で盛んに開催されていることへ、一印章業界のみが対峙していくことはとても不可能な状態になってしまいました。

今、これは社会問題として印章の在り方を捉え直さないと、更に大変な事態に繋がりかねないと私は、ここに予言致します。

それは元に戻りますが、印面です。

印面を保証しているのは技術でありその技術を有しているのは職人であります。

けっしてデジタルやコンピューターやパソコン機能ではありません。

そのことは、厚労省の第25回技能検定統廃合検討会の報告書にも明確にしるされているということは、国の見解であります。

デジタル化の中に印影が取り入れられるかどうかよりも、その印影の唯一無二を保証している実証としての技能士の数を論拠に、そして技能検定が廃止されれば、更にそれに拍車がかかり、次の一手に迫り、全ての押印廃止の方向に動き出しかねないと私は予言致します。

自慢ではありませんが、私の予言はこれまで、ほぼ当たってきています。

印面を見つめる目がない印章業界。

今、コロナの影響で技術講習会や研究会が開けない状態です。

大阪はこの7月で、5か月間の休講となっています。

していることは、通信添削2回です。

今技術の講習や研究会は、業界が狭くなりましたので、それほど多くありません。

主だったところは、全国で片手で数えられるのではないでしょうか?

そういうことも、国は知っていると思います。

デジタルの中に印影を残すスゴイ研究をされている企業さんもあるとお聞きします。

それが可能になっても、職人がいないことを論拠に押印がなくなれば、その印影も消えゆく定めではないでしょうか?

理知の最高峰の大学はリモート講義をしています。

この頃チト忙しく潜れませんが、リモートでしかできない色々な事をしています。

専門外の分野の教授や社会人を講師に招いて、画面に表れてもらったりとか・・・

スゴイ研究ができる企業が印章業界にあるなら、そういう見識を有しておられる業界人がおられるなら、足もとの消えかかっている技術の灯に力を貸してもらえないでしょうか?

また、全国組織はそこに目を向けるべきだと強く感じています。

継承現場は人もお金もなく、そこで一生懸命になられている数少なくなった「継承の意志」を持つ人のみとなっています。

どうか、印面を見つめてください。

posted: 2020年 7月 19日

継承の意志

輪島の塗師、赤木明登先生がフェイスブックの記事で、「近代化とともに、人の手の中から生み出されるものから失われていった何かとは?」と問われておられました。

以下、私なりのご返答のコメントであります。

・・・最近つよく思うことがあります。

赤木先生への解答から外れるのかも知れませんが、失われていったものは、「継承の意志」だと思います。

印章が、ここまで社会からそっぽを向かれるようになるとは、印章を製作する側も、それを業として販売する者も、ほんの4~5年前には、考えていなかったことだろうと思います。

何が欠けていたのか・・・

その理由の大半は、「技術継承の意志」です。きちんとした印章を提供していますよという方は、今はまだおられるかもしれません。しかしながら、その意志を次世代に技や考え方を伝える努力をしておられる方はどのくらいおられるでしょうか。

業界も狭くなりましたので、片手で数えるくらいの人だと断言できます。

次には、印章を継承させようとする意志です。

技術を重んじる人は、自分の技に溺れる場合が多いように感じます。

技が先行して、物の価値が後回しになる。

物の本質に触れようとせずに、「わしの技が一番」という思考が強くなり、「継承の意志」を打ち砕く何かがものに入り込んでしまう。

嘗ての宗教は、「普及の意志」より「継承の意志」が強かったと推察します。

今の御朱印に押された印章のほとんどがゴム印になり、若い僧侶やパートの寺社職員が捺しやすいということで、そのようになっていると思います。

ところが、古い寺社印を手に取ると、中から、まずは製作者の意志が表れます。次に、寺社代々の僧侶の意志が、そしてお札に押された印章を崇める人々の意志が私の前に表れます。

近代化が原因なのかは、分からないのですが、今多くの印章を職業と考えておられる方の中から失われたものは、「継承の意志」だと私は思います。

 

posted: 2020年 7月 18日

技術と職人を大切にしてきましたか?

梅干しでにぎるか結ぶか麦のめし

【作者】永 六輔

 

「印章」と「印鑑」の違いを常に重要に考えられ、テレビ、新聞が「印鑑」という言葉を使用する度に、抗議の訴えをされていた東京の偉い先生がおられました。

一貫性があり、とても立派な方だと思います。

その先生がそういう訴えをされていた時には、耳を貸さずに、最近この違いを自慢げに説明される方が多くなりました。

ネットショップにもそういう事が書いてあるものも見かけられます。

確かに、厳密には「印鑑」と「印章」を同列視するのは間違いであります。

しかしながら、消費者は、圧倒的に「印鑑」であります。

印章を表す言葉には、「判」「版」「はんこ」「ハンコ」「宝璽」「璽」「印」「章」「符節」「印判」「印形」・・・などがあります。

専門職のハンコ屋さんも、全ての違いと歴史的な役割をきちんと答えられる人は少ないと思います。

ちなみに、「印鑑」という名称は、印影を登録した台帳という概念以外にも使われていたことがあります。

昔々、関門、城門などを通行するのに印を押した木製の手形を指して「印鑑」と呼ばれていたこともあります。

時代や社会の在り方において、名称は変化適応していくものと思います。

印章業界が、それでも「印章」と呼んでいただきたいなら、先の先生のように一貫して姿勢を曲げない態度や業界としての規範を設ける必要があったと思いますが、社会にこれだけ定着した「印鑑」という呼称を、今更「印章」に変えていくのは至難の技かも知れません。

「おにぎり」か「おむすび」かの違いのように思うのは、おそらく私だけでもないと思います。

 

永六輔さんは、七月にお亡くなりになりました。

職人や職人の生き方、文化を大切にされた方でした。

今、印章業界は大きな声で叫ばないと、職人を大切にしてくれません。

それどころか、古い!堅物!と毛嫌いされる対象かもしれません。

それが、明確に表れているのは、技能検定の受検者がいなく、技能検定の廃止ありきで厚労省から令和3年度の技能検定に100名の受検者を集めなさいといわれて、少し、ほんの少し焦りだしているようにも感じます。

以前から分かっていたことなのに、放置してきた・・・職人を蔑ろにして、技術継承を重視してこなかった証であります。

 

社会は、脱「書面・押印・対面」で動いているのは間違いがないようです。

昨日、政府と経済団体の共同宣言が出されました。

「押印」に関しては、政府が具体的根拠の一つとして歴史や数字を示すことができるのは、厚労省管轄の印章の技能検定の推移であります。

上に述べたとおりの技能検定の状態です。

業界団体や個人としていくら経産省や文科省との結びつきがあるとしても、技能検定を推進してきた業界の歴史と厚労省の関係に勝てるはずなどあり得ません。

これも「おにぎり」と「おむすび」の関係に似たものを感じます。

脱ハンコは、制度や論理ではなく、法的にではなく、既に社会問題であるということです。

それ相応の対応が求められていると考えますが、まずは職人を大切にしていただきたいと強く要望致します。

posted: 2020年 7月 9日

砥石の凹みと印章業界の凹み

わたくしに劣るものなく梅雨きのこ
【作者】池田澄子

昨日は、とあることで気分が重かった。
気分を変えようと思い、ここ十数年間、ほったらかしにしていた仕上げ砥石の面直し(つらなおし)に汗をかきながら何も考えず向かい合った。
砥石を長年使用していると、良く砥ぐところが減ってきます。
おおくは、船底といわれるような、湾曲した形に自然になっていきます。
それを真っ平に整形し直すことを面直しといいます。
私の仕上げ砥は、それほど高級なものではないのですが、京都の本山の固めを使用しています。
なかなか平らにならない・・・。
それだけ、ほったらかしにして、少し船底の方が上手く砥げると訳の分からないことを後輩などに言い訳して、自分と自分の技術を誤魔化していたのだと、反省しながら真っ平になるまで作業を続けました。
付随して、仕上げ刀の角度と厚みの関係を今の年齢の握力に合うように、研ぎ直しました。
長年の相方が生き返ったように、切れ味が蘇りました。

ともすると、組織というものは自らの在り方を見えなくしてしまうことがあるようです。
言い換えると、馴れ合いです。
自分たちがしていることが正しいとして、よそ者や他の意見を受け付けないので、新しい感覚や意見、物の見方が入ってこない。
砥石がへこんでいても、気が付かないのです。
印章冬の時代に於ける一番の課題は、技術継承です。
技術継承が砥石の凹みのように感じ、そこをほったらかしにしていると、印章は氷河期に入ってしまうようにも感じます。
馴れ合いではできません。
面直しの効果があることは、分かっているのに、面直しをしないのは、意識の問題かなと情けなくも思います。

posted: 2020年 7月 7日

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