仕上げ刀と共に

大丈夫づくめの話亀が鳴く

【作者】永井龍男

 

 

先延ばしにしていた事項を昨日片づけました。

仕上げ刀(判差)の柄を外して、柄から先の部分を長くとるという作業をしました。本来、とても面倒くさがり屋の私です。しかし、柄から先の部分が短くなりすぎると砥ぎの作業がやりにくく、そう効率的ではありませんので、重い腰を上げました。合理的かつ効率的な在り方が時短であり生産性優先の在り方だとすると、職人の作業は非効率的なのかもしれませんが、柄から刃先までの距離を自分のスタンスできちんととるのは、仕上げ刀を砥ぎやすくするためです。それは仕事を早くするためというよりは、切れる仕上げ刀をつくって仕事に向かい、良き仕事をするということにつながる効率であります。効率的な作業ということと、効率的な仕事はそれを捉える視点が違うのです。

刀身から柄を外して気が付いたのですが、鋼が付いている部分が短くなってきています。

 

 

刃付けをすることができるのが、言い換えれば、この仕上げ刀で仕事ができるのが、後10年くらいかなと思います。仕事量の減少から考えると、プラス3年くらい追加されるかもしれませんが、75歳を最終地点で考えると、後9年の仕事となりますので、この仕上げ刀を大切に使おうと思いました。この仕上げ刀は、東村山の名工の作で、当時一振り1万5千円でした。2万円のものも持っているのですが、どうも今のものと相性がよく、それを使い続けています。

作業のついでに、刃付け角度を変えました。荒砥から砥ぎ直すと、名工の作は硬さが違うのが手にひしひしと伝わってきて、半日仕事となりました。良き仕上げ刀となり、印面に向かう愉しみがまた一つ増えました。

 

 

posted: 2026年 2月 18日

私の刻風

落ちなむを葉にかかへたる椿かな

【作者】黒柳召波

 

阪神大震災の翌年1996年の年始に修業先の高松から大阪に戻り開業しました。大阪での印章業の右も左もわからないよちよち歩きの私を支えてくれたのは、技術講習会での先生、先輩との関係でした。今は同業組合の社会的役割も無くなりつつありますが、当時は組合員数も現在の4~5倍ありアウトサイダーで業界を生き抜くことは困難な時代でした。とりわけ徒弟制度が崩壊に向かっているなか、技術の講習をしている組合は私にとって大切な所でありました。しかし、同業組合の役員としての活動に引っ張られていったことは、開業して間もない時期でしたので、仕事や小学生と保育園児を抱える生活にしわ寄せがありました。その後、組合講習会から技術部に所属して、現在は各年になった大印展の準備で9月、10月は忙しく、子どもらの運動会などに参加したことはありませんでした。そういう思いで大印展や技術講習会を先生、先輩方とつくってきたという自負は、今の私の宝物であります。ですので、コロナ禍の大印展休止や安易な各年への移行、技能検定試験会場問題は、残念を通り越した所業でありました。しかし、それが現実だということは、私の役割が同業組合の社会的役割の終焉と共に終わったのだと感じています。そこにずっと身を置いても、組織自体にも私自身にとってもよくないと考えて、業界組織の技術部門から身を引き始まました。現在は全国技術大競技会の審査員を残してはいますが、代わりがあるようでしたら席は後進に譲る用意はいつでもあります。技術一筋というより技術に関する業界の在り方を見てきましたので、そこへの思いはすごく残っています。とりわけ、現在はあるかどうかは知りませんが、当時、京阪神印章技能士会連絡協議会というのがありまして、関西の印章技術を牽引してきた重鎮がおられたところでした。大阪には「OSECの会」もありましたが、社会的に機能していたのは前者でありました。そこでお会いした先生方の技術論や書風というより工藝的刻風といった方がよいと考えるのですが、それらのお話を聞けたことは、今も何らかの形で後進に伝えたいと強く思います。とりわけ、その刻風が関東優位というよりもそれでないと評価して頂けない競技会姿勢(出品者も含めて)になってしまった現在、大阪風や京都風、兵庫風を大切にされてきた先生方の魂みたいなものが今の私に訴え続けているようにも感じます。刻風も人間味も個性ある人達との関わりが今の私の刻風をつくって来ていると断言できます。

さあ、今日もガンバロー!

posted: 2026年 2月 14日

刃物を砥ぐ、心を研ぐ

一、心浄まらずんば器浄まらず

不徳なる者いかにして道を説く権利あらんや。河濁らば海もまた濁るべし。工人また人なり、人倫を保つべし、心乱るれば作もまた乱るべし

【柳宗悦「工人銘 器物七則」より】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何時まで経っても道半ばということをつくづく感じるのが、仕上げ刀(判差)という最終仕上げに用いる刀を砥いでいる時です。日によって、体の調子や心の在り方により砥ぎ具合が変わってきます。仕上げに使用するのは、刃先のほんの1ミリ程度です。私の使用している刃幅は2分(6ミリほど)です。残りの5ミリくらいは使いません。しかし、共に砥がねば刃先は切れません。工人である私と刃物と砥石と名倉が一体となって、初めて私が使用できる刀になります。

私は左利きですので、仕上げ刀では他人の倍の苦労がありました。右利きの人は、最初から右利き用の刃物があり、それを使用します。しかし、それが当たり前で、左利きの人の刃物についての知識に及んでいません。だから左利きの人は、修業の初めから、刃物の調達から刃物は何故切れるのかとか、和と洋の違いとかの知識も身に付けなければなりませんでした。鍛冶屋さんや道具屋さん(砥石屋さん)に自ら足を運び、自分に合った刃物を調達して、自らがそれを砥げるようにならねばなりません。倍の苦労をしたので、それらを知る事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砥石屋さんのおじいさんから頂いた京都天然砥石組合編『京都天然砥石の魅力』(平成5年発行)の冊子のなかに「研磨の心は日本文化の燈火」という歌詞のような文章があります。その一節から・・・

 

研磨の心を失えば

進歩は止まる 技術は廃る

練達の工芸技能者は作業転換か転職か

使い馴れた道具類も埃を被って遊眠の有様

 

研磨しなくて済む便利な世の中

まことに結構至極のご時勢

これで日本文化の火が消えてどうする

・・・・

 

昨年京都でお会いして、お話をさせていただいた彫刻刃物を専門に製作する埼玉県の鍛冶屋さん小倉成年さんが、先日お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

posted: 2026年 1月 30日

印章と工藝と工芸

空箱の中の青空神の留守

【作者】高橋修宏

もう明日から11月ですね。

 

 

私は、印章を彫刻することは工藝であり、印章は工藝品だと考えています。

 

 

ここで、柳宗悦の(1927年4月『大調和』創刊号)「工藝の美」冒頭部分からの一部を切り取ってご紹介しておきます。

・・・美が厚くこの世に交わるもの、それが工藝の姿ではないか。味気なき日々の生活も、その美しさに彩られるのである。現実のこの世が、離れじとする工藝の住家である。それは貴賤の別なく、貧富の差なく、凡ての衆生の伴侶である。これに守られずば日々を送る事が出来ぬ。晨も夕べも品々に囲まれて暮れる。それは私たちの心を柔らげようとの贈物ではないか。見られよ、私たちのために形を整え、姿を飾り、模様に身を彩るではないか。私たちの間に伍して悩む時も荒む時も、生活を領とうとて交わるのである。この世の凡ての旅人は、色様々なその間を歩む。さもなくば道は砂漠に化したであろう。彼らの美に守られずしては、温かくこの世を旅することが出来ぬ。工藝に潤おうこの世を、幸あるこの世といえないであろうか。・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京手彫り印章」は、東京の伝統工芸品の認定を受けました。そこからわずか2年ほどで経済産業省の指定をこの10月に受けました。その道程には並々ならぬ苦労があったことと思います。おめでとうございます。ご尽力されたスタッフの皆様に敬意を表します。また、山梨県はそれに先んじての平成6年にその指定をうけております。

勘違いしてはいけないことは、それが全国の印章のそれではないということです。都道府県の申請によるもので、山梨県と東京都の指定認定団体が、「伝統工芸」を名乗れるということです。大阪の印章店が、印章は国指定の伝統工芸であるとは言えないもので、そう印章そのものが国指定の伝統工芸ではないというところです。今後こういう動きが他のところで起こってくるのかは、とても難しいというのが現状ではないでしょうか。

 

いま、どれくらいの人が印章を工藝であると思い印章を作り販売されているだろうか。おそらく、ほとんどの人はそうは思っていないだろう。国指定の伝統工芸をいただいた二つの県と都の方も制度指定のありがたみを感じておられるとは思いますが、印章をきちんと工藝として位置づけておられるかどうかは疑問であります。

私は、制度的な「伝統工芸」というお墨付きをいただくことよりも、もっと肝心なことは、印章店の各々が「印章は工藝である」ときちんと位置付けて仕事に向かわれているかであります。

 

 

他業のことですが、仏壇も伝統工芸の指定を受けている業者がおり、且仏壇というと伝統工芸のイメージが強い状況になっていますが、多くの仏壇屋さんは廃業されています。昔は、商店街やお寺の近所には必ず仏壇屋さんがあったものです。今の印章店も似通った傾向にあります。商店街のハンコ屋さんや役所近くの印鑑屋さん・・・。仏壇屋さんが伝統工芸の指定をうけても、何故廃業を多くしてしまったのかを我々は考えねばなりません。ライフスタイルの変化というと簡単に終わってしまうのですが、要は仏壇の家における位置づけが変わったのです。そこから仏壇の精神性みたいなものを取り除かれてしまったのだと考えられます。しかし、あの箱の中には、彫刻や漆、蒔絵などの色々な伝統の技術が詰め込まれています。流行りのデザイン仏壇的なもののほとんどは、コンパクトなクラフト的でオシャレな感がありますが、嘗ての技術は消え去っています。嘗ての本物の仏壇は用途を変えて海外に流出しているとの話も聞きます。同様の感をいだくものに、オシャレでコンパクトなお雛さんや五月人形の宣伝をよく目にします。あまり言い過ぎると、語弊を招きますのでこのくらいに。

 

 

私は、制度としての伝統工芸の道ではなく、敢えて違う道を歩み、自らの印章とその仕事をきちんと工藝に位置付けるようにしたい。工藝は工芸ではなく、冒頭の柳宗悦が述べているそれであります。

posted: 2025年 10月 31日

AIとおんぼろ頭脳

遠くまで行く秋風とすこし行く

【作者】矢島渚男

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の仕事・・・

  • デザインを目を通して、頭(脳)の中に画像を置く
  • その画像を頭の中の鏡を使い、鏡映(左右反転)させる
  • それを手で印面に写す

それの繰り返しが、私の仕事です。

目と頭と手が連動していて、その繰り返しの訓練を修業といいます。

ノウハウは、上の1・2・3ですが、ノウハウのみでは仕事ができません。

この繰り返しが、実はとても大切なのです。

デザインありきで書きましたが、このデザインも1・2・3の繰り返しにより頭のなかにデーターとして蓄積されていきます。それを経験といいます。

AIが仕事をしてくれるなら、このデータベースを表現してくれるなら唯一無二という印章にとっての致命的な問題は解決されます。

ところが、一文字一文字をフォント化するだけのデータベースを経験のない者が画面上において表現していくと、それは同型印の作製に繋がってしまい、唯一無二の約束ができません。

「印章彫刻機の使い方」というノウハウを学んで、修業経験のない者が唯一無二を目指して、画面上のフォントを触り、それを「デザイン」と呼び表現されるとしても、きちんと経験を学んだAIには勝てませんし、美とは縁遠い実用という名だけの代物になるでしょう。

1・2・3の繰り返し、何万回もの繰り返しは、個人の頭の中のデータベースです。しかし、それは単独で成立しているのではなく、他のいろいろな感性と頭の中で交流して進化していきます。

先人・先輩の知恵や経験を個人の頭が学んでいるからです。それと共に、職人道徳も蓄積され影響していきます。それがAIという人工頭脳とおんぼろだけど生きて奮闘している人の頭脳との違いではないだろうか。

 

 

昨日、京都の個展で初めてお会いした森川佳宥(佳甫)さんにご案内を頂いた刻字の作品展を観に行きました。明日は奈良にお勉強に行きます。おんぼろ頭脳を鍛えに参ります。

 

 

 

 

 

 

posted: 2025年 10月 4日

文化と精神性

大佛の中はからつぽ台風過

【作者】小口たかし

 

 

 

印章に軽く目礼し、臍下丹田に力を込めて、やるやかに紙面に押し、指先で「の」の字を書く如く廻す気持ちで力を入れて「し」の字に引くように離すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記は、我が流祖の藤本胤峯先生が著書『印章と人生』において述べられた「捺印法」の一節です。「の」の字を書く如く廻す気持ちで力を入れて「し」の字に引くように離すというところは、実店舗の印章店が仕上がったハンコをお渡しする時や親切なネットショップにも記載されていることです。しかし、「軽く目礼し、臍下丹田に力を込める」ということは、藤本先生自身やその著書以外からは聞いてことがありません。つい最近まで、後の文章を引き立てる装飾的な「おまけ」と思っていました。しかし、ここが一番肝心なところであったと、先生の著書は後から何回読み直しても、新たな気づきを得ます。勿論、目礼をしなくとも臍下丹田に力を入れなくても印章は捺印出来ます。ちょっと器用な人なら綺麗に押すこともできるでしょう。しかし、綺麗な印影を得るだけなら、パソコン画面上でそれを添付する作業と何ら変わりありません。電子印鑑で書類にサイン替わりに電子印鑑の印影を決められた位置に置く、そう「置く」のと「押す」が一緒の作業になってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンコレスの風潮により、押印機会が減少して、印章需要に影響を与え、印章店が閉店していく数が増えてきています。デパートや郊外型ストアーから印章店が消え始めています。それでも印章を押さなければならない場面があり、仕方なく捺印されるのでしょうか。

押さなければいけないから押すもの

ここに押すから必要

印章はどこに押すものだろうか

そもそも、何故押さなければならないのだろうか

法律?制度?

いや、文化だから押すものだろうか

印章文化ってなんだろう

落款印や蔵書印が文化であって、書類に捺す認印は文化ではないのであろうか

落款印や蔵書印は残るが、不便な認印は無くなっていくものであろうか

文化ってなんだろう?

文化は精神性により成立しています。

日本印章史の精神性を受け継いでいるのは、実用印章です。

少なくとも、日本古来の「おしで」の考え方を受け継いでいるのは、落款印や蔵書印ではありません。それらを否定しているのではありませんが、実用印章がなくなれば、落款印や蔵書印、流行りの消しゴムはんこや女子文具としてのハンコ類もなくなっていく事だろと思います。それは、実用印章と共にその精神性が無くなるからです。元のラインから分岐していった、或いは芸術に昇華していった(?)それらの根は一つだからです。

根っこは、メソポタミアの印章の起源ではありません。

それが定着した土壌である「おしで」という精神性にあると私は考えます。

 

 

 

posted: 2025年 9月 6日

大切なのは何で繋がるか

蟻地獄蟻を落して見届けず

【作者】延寿寺富美

 

印章で繋がってきた私には、印章しかなかったように思う。寝ても印章、覚めても印章。いろんな印章に携わる人、印章人にお世話になったり、学んだりしてきた。だから、後進にも同じようにと奮闘してきたつもりであった。しかし、コロナ禍を通して、少し疲れてきた。老化かなとも思うが、最近、考える角度を少し変えてみようと考え始めた。

 

世の印章は、私が生きる力となった印章ばかりではない。とりわけ今は、「おもしろいハンコ」や「オリジナルなハンコ」が出回っている。デザイン業界からあぶれた方がデザインするハンコ、キャラクターが中心となり文字は脇役となったハンコ、開運を付加価値にした技術者のハンコ・・・いろいろ出回っているが、繋がりたいハンコではない。逆に、それらとは繋がりたくない。しんどい。それを無理に「印章」という名においてどうしても繋がらないといけないのだろうか?

きちんとした印章

すがたの美しい印章

「きちんとした」や「すがたの美しい」で繋がる方が、自分らしく思える。生き生きとできるような気がしてきた。

きちんとした

すがたの美しい

は、工藝である。

「コロナ禍」と言われた時期以降、本当の意味での精神性のある工藝で繋がりたいと渇望する自分を発見する再発見する旅であったのかも知れない。

三度の個展やクラファン、他業種やデザイン業界の方、工藝家との出会いを通して今があります。

勿論、きちんとした印章人とのお付き合いまで捨て去るつもりはありませんが、これからは哲学(精神性)をきちんと持つ工藝家らとのお付き合いを多く持ち、「きちんとした」や「すがたの美しい」ということを大切に仕事していきたいと強く思います。

 

 

印章需要の減少で手を動かせることが以前より少なくなっています。これからの職人人生はあとどのくらいあるのだろう?あと10年は欲しいというのが希望ですが、5年かも知れません。その年数は生きて何となく仕事をしているという年数ではなく、きちんとした印章をお客様にお渡しできる年数です。今、手を動かせ切れていない自分を、自分自身をもったいなく感じています。手をきちんと動かせる日を作り続けるために頑張ります!・・・今日8月30日、第13回の全日本印章業協会の総会の日、13年間続けさせて頂いた技術委員を辞任する日、「きちんとした」や「すがたの美しい」を大切にする人達との繋がりをより強固にしていくための出発日

 

posted: 2025年 8月 30日

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