暑っ!!!

人間に火星近づく暑さかな
【作者】萩原朔太郎

暑き故ものをきちんと並べをる
【作者】細見綾子

季語に「暑き(暑し)」があったとは知らなかった。
朔太郎が言うように、火星が暑いのかどうかも知らないが、とてつもなく暑い日が続いております。
しかし、それにより横着になったり、だらけていたりしては、よけいに暑さを助長します。

「きちんとしている」って何事においても大切ですね。
暑いからだらけるのは、ある意味当たり前です。
周りがそうだから・・・・
きちんとしなくても
少しくらい手を抜いても
誰もわからない
勿論、暑いので水分補給と休憩は大切です。

しかし、周りが手を抜いているから
周りがきちんとしていないから
と、世の職人がみんな思えば、この世はどうなるだろう。
きちんと建てたはずのビルディングが暑さにより崩壊、
明石海峡大橋や瀬戸大橋がグニャっと曲がり、
高速道路が抜け落ちたり
新築の家のお風呂の底が抜けてしまう・・・
それは分かり易い手抜き・・・きちんとしていない

しかし、印章はその手抜きが消費者にわかりにくい
きちんとした印章を持たなくとも
怪我をするわけでも
命が無くなる事もないのかもしれない。
今は尚更・・・ヘンテコな印章が玩具のような印章が世にはびこっている
それだけでなく、フォント使用の規範もない世の中
役所からの印章の彫刻文字の真偽を問う印章アドバイザーのお役目をしていると、自分勝手な解釈で誤字になったり、文字そのものを違う文字で彫っていたりの印章によく出会います。
そんな状況を見ていると、
きちんとした印章なんて
もうないのかもしれません。
政府の方もそういう現状をご存じなのかな
国民が印章に価値を見出していない・・・
そういう周りだから
手を抜いても
お客様は、わからない
ダラダラだらけた印章と・・・・
どんどん価値が低下していく印章

暑き故ものをきちんと並べをる
暑き故
その「故」が大事です。
そういう姿勢が私はすきです。
皆さま、暑き故おからだご自愛くださいませ。

posted: 2019年 8月 1日

没デザイン

蝉時雨一分の狂ひなきノギス
【作者】 辻田克巳

東日本の冷夏を伝えるニュースに反し、蒸し暑い朝を迎えた大阪です。
ノギスは一分の狂いなく常に正確な数字を示してくれます。
人は、蝉時雨のような集中力を欠かせるような邪魔に対して間違ったり、やる気を失くしたりします。
ノギスの正確さを誇っている句ではなく、蝉時雨が聞こえ入って来る工場で、暑さや騒音に邪魔されながらも、ノギスを使用して正確な仕事をしている職人さんの集中力にスポットがあたっています。

連休の二日間、仕事量調整の為に休日出勤していました。
彫刻も少しは進みましたが、主には完成デザインを考えていました。
なかなか気に入ったレイアウトや文字の形、線の美しさが出ずに、鉛筆で書いては消し、ロットリングペンで書いてはホワイトで修正していました。


少し疲れました。
疲れると集中力の衰えを感じます。
仕事の数としては、あまり進みませんでした。
そこで妥協すると、結局ノギスに使われる人となります。
正確な数字に振り回されるより、自らの感性を信じ、自惚れることなく、納得いく仕事に向かい合います。

お休みがありませんでしたが、今週は健診や法事、やんごとなき寄合や技術講習会もあります。
疲れていますが、お客様をお待たせしています。
少しでも前に進めます。

※写真は全て没デザインです。

posted: 2019年 7月 16日

精魂込めた彫刻の原点

久しぶりのお寺のはんこの彫刻を賜りました。
山号院号寺号印。


個人の実印は、一代限りのものですが、お寺のはんこは、何代もの住職に渡り使用されるものです。
とにかく深く彫れと教えられました。
通常の会社の角印より大きなもので、いくら深く彫ってもなかなか深くは感じられません。
手が痛くなりますが、それでもボリボリと・・・。
折角の御朱印ブームなのに、お寺もゴム印を使用されるところが多くなってきているとお聞きしています。
以前に比べると、お寺のご僧侶のお考えも時勢に合わせられているのか、彫刻依頼は少なくなってきています。
しかし、この様にご依頼いただくと、精魂込めて彫刻するという原点に立ち返ることが出来ます。
上手下手よりも、まずは丁寧にきちんとした印章を納めたいという想いをより強いものにしてくれます。

posted: 2019年 6月 25日

「菓子木型職人」市原吉博さんの哲学と発信方法

業界の技術の捉え方や技能検定に対する姿勢に触れると、時々嫌になる事が多いご時世になってきています。
印章という商品の土台は技術であります。
揺るがない事実であります。

そんなこんなを考えていると、昨日のNHKの朝のニュースで高松の菓子木型の職人である市原吉博さんの仕事を紹介されていました。
私の理想形の職人の在り方だと思い、ご紹介させて頂きます。
木型の職人さんは、3Dの彫刻機が出現してからの減少数は著しいものです。
各地の技能士会からドンドンと姿を消していかれています。
菓子木型となると、市原さん自身のホームページでも述べられているように「絶滅危機にある菓子木型」とあり、職人は全国で6~7人のみとのことです。

大印技術講習会の恩師である故二葉先生が、「手彫りをしていたら、技術を勉強していたら、間もなくそういう本物を作製できる人は、極度に減る時期がくる。そうなったら技術を勉強してきた者の天下になるで。」とよく冗談半分に言われていたことがありました。
それが、最近では劣悪な業界環境下で現実味を帯びてきています。
全体的に下がると、もはや天下どころの騒ぎではなく、市原さんのように本物の情報発信環境を工夫し整えたものが天下なのかもしれないなぁ~と考えます。

みなさんは、どう考えますか?

https://www.kashikigata.com/

posted: 2019年 6月 13日

技術で生きるとは

今朝のニュースで、東大阪のメガネ屋さんを紹介していました。
そこは、今流行りのフランチャイズ型、多店舗型展開のお店と真逆のことをされて、遠方からのお客様を多く獲得されているとのお話でした。
通常?のメガネ屋さんは、早いところで30分仕上げのお店が主流ななか、そこは最低3万円のオーダー品を主力に3か月のお客様待ちとなっています。
新商品を探し、店舗に並べるのでなく、一点一点がその人にあった眼鏡という、お客様からすると新商品です。
印章はなおさらそうで、一点一点違わなければ、印章の意味を成しません。
しかし、現在のはんこ屋さんは新商品を捜しまわり、商品のクオリティーを向上させることを怠り、技術を軽視し、職人を軽視し、その技術を覆い隠し、パソコンでできることをオリジナルと称し、何ら努力されていない通常?のメガネ屋さんと同じだと思います。
しかし、そういうところも、いろいろと工夫(誤魔化し)しないと価格競争に負けてしまいます。
ニュースで紹介されたメガネ屋さんは、お客様との接客に時間をかけられ、ミリ単位でお客さにあった商品を探求されています。
技術で生きるとは・・・そういうことだと思います。
印章は、技術が土台の商品です。

posted: 2019年 6月 7日

実印をきちんと作製し販売できるのがプロフェッショナル

紫陽花や きのふの誠 けふの嘘
【作者】正岡子規


6月になりましたので、気になることもあり気分転換を兼ねてお墓参りに行くと、紫陽花が綺麗に咲いていました。
おかしげな天気ですが、梅雨を迎えると紫陽花に目が行きますね。

職人気質に誠や嘘は、おそらくないのだろうと思います。
嘗ての私も今の私も、仕事の手を抜く事を嫌います。
柘の仕事も高級象牙の仕事も同じく精魂を傾ける。
これは職人気質ということでは、正論であります。
どんな仕事も手を抜かない。

しかしながら、お客様目線ではどうでしょうか?
より多くの対価を支払っているのに、安価な商品と同じ仕事をされたのでは、たまったものではありません。
何のために高度な技術に対して価値を見出し、より高額な対価をお支払い頂くのか意味をなさなくなります。

だからと言って、価格の低い方の仕事の手を抜く事ができないのが、職人気質だと思います。
上手に職人気質とお付き合いしていかないと、職人としての仕事に厭きがきて、日常の仕事に面白味を感じなくなり、どうして手を抜こうかという事ばかり考え始めてしまいます。
それではもう職人ではなく、職人気質を人に見せるという別の仕事となり、手元の仕事がおろそかになり、仲間内が見ても「なんじゃこれ?」という仕事をして平気で消費者にお渡ししてしまいます。
そして、印章の価値が益々低下していくのです。
「こんなものか!」と思われたら、観光商材と違いますので、いつかは人から指摘されたり、使用しているうちに疑問を持ってしまいます。
本物は、見ていて飽きがなく使えばより真価が発揮されるものです。

上記のことに、なかなか答えを見出せない私ですが、嘘ある商品はお渡ししたくない、自分よがりの商品もお渡ししたくない、精魂込めた本物をお届けしたい。
その為には、やはり職人は死ぬまで勉強ですね。
後、どのくらい紫陽花の変化を見ながら考えるのでしょうか。
「けふの嘘」にならないように、自らのお客様を大切にしていきたいと強く思います。

posted: 2019年 6月 3日

中身を充実させる意識と努力と継続と

青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか
【作者】芥川龍之介

昔は、「ペンキぬりたて」の張り紙をよく見たものですが、最近は見なくなりましたね。
「ペンキぬりたて」は初心者マークのように、表面上は綺麗な色でテカテカに光っていても、まだ中身のない状態を表しているのかなと推察できます。
芥川もそれになぞらえて、中身のない自分を内観しているのだと思います。

見栄えをよくすることは大切な事だと思いますが、中身があっての見栄えです。
中身もないのに、全体の機運に乗せられて色を塗り過ぎると、異様な感じを与え、気が付くと消滅しています。
中身があってこその装飾です。
装飾を考えることは楽しいかも知れません。
しかし中身を充実させることには、意識と努力、そして継続が求められます。
そしてそれは、目に見えない地道な世界観や思想が必要です。

世の中に、青蛙を見ておのれの不甲斐なさを感じた芥川のような人が少なくなってきているのは事実だと思います。
そういう人が増えないと、日本文化の継承はあり得ないと感じています。
確かに人は、百人十色ですが、一人ひとりが好き勝手なことをしていたら、その業や文化は一人ひとりの個人の楽しみでおわり、次世代に繋がることはあり得ないのです。
個人の表現の仕方、或いは生き方の違いなのでしょうが、私はそういう風に感じます。

posted: 2019年 5月 24日

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