TOKYOタクシー
久しぶりに妻と映画鑑賞。『TOKYOタクシー』
https://movies.shochiku.co.jp/tokyotaxi-movie/
寅さん世代の方が多く、60代~70代かな・・・
キムタクはやっぱりハンサムで、倍賞千恵子の挿入歌『星屑の町』は心を温かくしてくれました。
心が優しくなる映画でした。
その心がずっと続くならいいのですが・・・今朝、雨の通勤途上で狭い歩道を足早に抜かれた時に、傘があたりました。心の中で、「ちっ!」と腹を立てています。自分も急がなくてもよいのに急いでいます。礼節のない行為を咎めてしまいます。
我々は、何をそんなに事を急いで、整合性のないことを咎めたり、自分の正義を振りかざしてしまうのでしょうか。無駄なことや遠回りなことは、ダメで役立たずなのでしょうか。
先日から立て続けに紹介しています塚原龍雲さんの著書『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか』のなかで、同じようなことが語られていました。
・・・AI(人工知能)などの技術革新、そしてグローバル化によって人の暮らしが大きく変わってきたなかで、本当に大切なものを捨ててしまってはいないか。例えば移動手段の発達は僕らの生活をものすごく便利にしてくれたけれど、車にばかり乗ることで川の音や風を感じず、自然を忘れてしまっているかもしれない。地方に行って田んぼ道を歩き、そこの香りや虫の声を聞いていると、便利になり過ぎたがゆえに、人として本来持っていた感性が鈍っていたことに気づくことがある。近所の人と顔を合わせて挨拶する機会も減っているだろう。
同じように、進化したAIはこれまで人間が担ってきたしごとを代替し、あるいは人を超えた力を発揮しつつあるが、こうした変革の陰で何かが抜け落ちてはいないだろうか。「便利さ」を追求した結果、気づかぬうちに失ってしまった「豊かさ」もあるだろう。・・・いまから昔に戻れるわけでもない。ただ、少なくともここで一度立ち止まり、無意識に失ってしまった豊かさを見つめ直してみることも大切ではないだろうか。・・・(中略)・・・「ただ安心安全に生きるだけの社会」から「生きるに値する社会」へと移行する。そんな世の中で、手しごとの価値が再発見される日は近いだろう。
posted: 2025年 11月 25日審査員作品づくり
あつきものむかし大坂夏御陣
【作者】夏目漱石
暑くて干からびそうになります。
干からびそうな状態は、気温のみでなく商売においても干からびそうであります。
六月の忙しさが嘘のように凪状態となりました。
間があいたので、来週土曜日にある審査会に持参する作品の蛇足として実印の部も作製してみました。
課題は「青山剛昌」。
『名探偵コナン』でおなじみの漫画家で、鳥取県の出身とのこと。
中国地域の印章組合さんの大会を鳥取でされるので、それにちなんだ課題であるようです。
角印は競技会式の彫刻方法でいたしましたが、実印となると、青山さんにお渡しするような気持ちになり、普段の仕事を意識してわたくしの彫り方で作製してみました。


個展に足を運んでいただき、有難うございました。
六月を奇麗な風の吹くことよ
【作者】正岡子規

個展の後片付けをして、三条の駅に向かっていると、終わりをまっていたかのような雨が降り出しました。
開催期間中は、雨もなく暑くもなく、過ごしやすい日をいただき、京の都の「おしでの大神」に感謝いたします。
多くの方のご来場を賜りまして、この場を借りまして、お礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
お寺や禅が大好きなオーストラリアからのお客様は、禅語「知足安分」という作品をご購入いただきました。
京都での大学生活の頃に勉強会をしていた高校生は、初日のシャッターが開くのを待ち構えてくれていました。
東京から仕事で来られたデザイナーの方は、表現方法をとても気に入って頂け、作品に押す印をご依頼くださいました。
京都新聞の記者さん。
文具業界誌の編集長さん。
三条大橋向こうの歯医者さん。
大学の同窓生とは、懐かしい話で盛り上がりました。
会場裏の同業者さんも会場を訪れて頂きました。
その方いわく、はんこ購入者の90%以上が外国人観光客だそうです。
大阪や名古屋の技術講習会関係者も駆けつけてくれました。
現在、大阪の講習会に通われている方は、作品が目の力で破けるかと思うほど熱心に見て帰られました。
中国からのカップルさんは、「和敬清寂」作品をご購入下さいました。
他の物とものすごく迷われておりました。
決め手は、「文字から見栄えの良いグラフィックへと上がっているような気がします。」(翻訳機によると)

クラウドファンディングにもご協力いただいた実店舗近くのお得意様ご夫婦も座右の銘を作品にしたいとおっしゃっていただきました。
京極で商われている老舗印章店の社長様とインバウンドについていろいろ意見交換もできました。
京都の和眼鏡の先生
その方のグループ展で知り合いました木彫り師の先生は福井から来てくださいました。
過去の自分を棄てて、新しい自分を見出すために京都に2週間の座禅修業にアメリカから来た若者。
オーストラリアでヨガのインストラクターをしている女性。
古くからお付き合いがあり、印章のデザインを残そうと考えるようになったきっかけを頂いた伝統デザイン研究家のJ先生ご夫妻・・・良いお知恵をいただきました。
写真家で京大名誉教授の先生は、これは冊子にすべきだと、ご自分作製の友人の冊子をわざわざ届けに再度ご来場くださいました。
まだまだ、多くの方のご来場を賜りまして有難うございました。
取り急ぎお礼まで。



【 三田村煕菴個展へのプロローグ①】

印章を彫刻することを篆刻といった時代があり、ある時から篆刻と実用印章はその役割を別にしていった。
篆刻は、書道に内包されていき展覧会を中心とした芸術分野にその存在を求めている。
はんこや印鑑と呼ばれる印章は、本来の印章の本質を継承するために実用のなかに美を見出してきた。
400年前に全国の優秀な版木師がヨーロピアンスタイルの彫刻方法をポルトガル人から学び印判師となり、官から民に降りて行った印章。
そのヨーロピアンスタイルは、メソポタミアから分岐していった印の在り方が社会の求めに応じて活版印刷となり再び日本の印章と出会った。
写真製版が出来るまでの間、実用として写真画を彫刻していた方法である。
それがヨーロピアンスタイルの彫刻で、後には木口木版という芸術分野に存在を残した。
いろいろな時代的変遷と社会の要請が、複雑に絡みあい変化していった印章は、それぞれの分野の線引きとその役割を定めた。
ともあれ400年間続いて来た印章木口彫刻技術は、今後そのままのスタイルを維持できる状態では無くなってきた。
デジタル化していく社会の要請もあるが、内部からの変容にも原因はある。
手のみの彫刻ではなくなり、機械化が進んだというより、コンピュータが誰でも使えるパソコンとなり、それは流通を変えただけではなく、作り手の意識をも変容させていった。
押印廃止の号令だけでなく、そのような在り方が自ずと消費者に伝わり、印章の価値を低落させる要因となったのは事実である。
そこに大きく幕を引き、いにしえからの印章の在り方とそこに携わってきた名も無き職人たちを表面化させる工夫をもった新たな印章の息吹が求められている。
そこには、工人のプライドと技術の規範・道徳が息づき、新たな時代からの要請にこたえることのできる柔軟性をも含んだ芽吹きを感じる。

posted: 2025年 4月 10日
花園を荒らす者は誰だ!
毎年よ彼岸の入に寒いのは
【作者】正岡子規
今日は、春分の日の仏滅で、お彼岸の中日。
ゆっくりと起き、お昼近くのお墓参りでした。
お寺の裏手は公園で、知る人ぞ知る梅林です。
今日は天気が良いので、ベンチでお弁当を食べながら、梅を観覧しているご夫婦や写真を撮っている人がいました。
帰り道のお寺の境内から木蓮の良い香りがしていました。
梅もよいけど、木蓮の佇まいも好きです。


昨日、お客さんと話していて、よい観点をいただいたので、話してみたくなりました。
悲しいことですが、現実として、これからハンコは無くならないであろうが、必要な場面が少なくなってきます。
押すか押さないのか分からないものなのですが、いい加減な物や自分が納得いかないものを持っていると、大切にしません。
また、こうも言われました。
いくら美しいものでも、読めないハンコは持ちたくないと・・・
だけど、印刷活字のようなものではなく、重要印章の書体である篆書のものがほしいと・・・
長い印章の歴史のなかで、篆刻が芸術分野に方向を定め、実用印章は印章の本来の在り方をたどって来ました。
篆刻は芸術分野でありますので、書と同様に文字学に忠実であらねばなりません。
そうでないなら、威厳と権威を示している篆刻とは呼べない別物だと思います。
実用印章は、使用者のお名前に責任を持たねばなりません。
ですので、漢字にない文字を工夫して製作しなければならない立場に置かれます。
平仮名やカタカナもそうですが、国字や俗字、お名前だけに使われる漢字、戸籍登録時における誤字や一部を草書で登録したために、その箇所だけを草書に当てはめた篆書を使用したり、ある意味文字を文様化して、しかも丸のなかにデザインしなければなりません。
それら実用の現実に対応せねばならないのですが、一定の規範がないと、読めない代物になり果てます。
横のレイアウトの基準も、右から左を崩してしまい、欧米化してしまった文章のレイアウトと同じく左から右に配置するのを自由とすると、「田中」さんと「中田」さんは混同してしまいます。
読めないハンコには、社会は信用をおきません。
そんなものは要らない、ほかの認証形態に席を譲ることになります。
「竜」の字と「龍」の字の語源が同じだからといって、「竜之介」という自分の名を「龍之介」と変えられたハンコを実印として登録するのは、私ならごめん被りたいものです。
文字の記載方法が左から右となり、尺貫法もセンチメートルとグラムとなり、そういう文化がひっそりと残ってきた花園を荒らす者は誰だ!と云いたい気持ちになります。
実用印章として彫られた名前は「文(あや)」であり、工藝なのです。
そこを遺したいと強く感じています。
posted: 2025年 3月 20日
うぶな心
四十二、今 見ヨ
イツ 見ルモ
四十三、見テ 知リソ
知リテ ナ見ソ
『心偈』は、「こころうた」と読む。柳が晩年に体が不自由になってから作った短文のうたである。(今井雅晴の解説から)

コロナになった時、リモートワークの邪魔者にされた認印、そして行政書類からの「押印廃止」となった時に、ああ!もう印章はダメだなと思いました。
印章は法により守られているというよりも、それらから派生した制度により「習慣」化したものであります。
その「習慣」を取り除くのですから、自然と認印は忘れられていくことだろうと予想されます。
今ももちろん要り様な場面はありますが、要らなくなった場面の方がはるかに多くなりました。
「習慣」が無くなれば、忘れられるのです。
そう思い込んでいました。
それは、もちろん誰の眼にもそうなのですが、柳宗悦の「直観」から学び直すと、案外と「押印廃止」の号令も悪いことばかりではないのではと、思うようになりました。
柳の「茶道を想う」という作品のなかに、次のような文章が見られます。
「・・・どう見たのか。じかに見たのである。「じかに」ということが他の見方とは違う。じかに物が眼に映れば素晴らしいのである。大方の人は何かを通して眺めてしまう。いつも眼と物との間に一物を入れる。ある者は思想を入れ、ある者は嗜好を交え、ある者は習慣で眺める。・・・」
印章は身近な道具であったから、見慣れている・・・丸のなかに人の名前が彫刻されている・・・ただそれだけの物、そういうところから解放された次元に入っていける。
柳は、「今 見ヨ イツ 見ルモ」の補足説明のなかで次のように言っています。
・・・私は「どうしたら、美しいものが見えるようになれるか」とよく聞かれる。別に秘密はない。初めて「今見る」想いで見ることである。うぶな心で受取ることである。これでものは鮮やかに、眼の鏡に映る。だから何時見るとも、今見る想いで見るならば、何ものも姿をかくしはしない。たとえ昨日見た品でも、今日見なければいけない。眼と心が何時も新しく働かねば、美しさはその真実の姿を現してはくれぬ。・・・
「習慣」からの解放である。
とりわけ印章は、捺印という行為が人生の岐路にあたるので、いろいろな雑念が多く入る物であります。
必要だから捺すということも然りであったのですが、欲目が多く入り、運命学や易学ならまだしも、「儲かるハンコ」「縁起の良いハンコ」などなど、時により開運商法や霊感商法などとも結びついていきました。
それらからの解放は、印章に美をもたらす好機であるともいえます。
篆刻の美は芸術の美です。
実用印章にも美があります・・・それは文(あや)の美です。
実用印章を彫刻する手が考えた文字は、模様や絵のように伝統と社会により洗練された工藝であります。
それを伝えることが、今ほど求められている時はないと思います。
『HANKO KIAN』の美をあなたの「うぶな心」で受けとめ、眼の鏡に映して下さい。
posted: 2025年 2月 15日
HANKO KIAN
今年の仕事始めに法人印のご依頼とともにいただいた『HANKO KIAN』のアクリル絵の具による「禅語」の作品づくりを休日の店のシャッターを半分にして、落ち着いた気持ちで仕上げきりました。
後は、額装をしてお渡しとなります。
社長室に飾って頂けるということです。
(写真はその作品ではありません。)
印面のデザインを発信するというと、古い職人さんには怒られそうですが、先生・先輩から教わった貴重な技術は、彫るという行為を提示するよりも、もっと大切な、その行為により仕上がった印面の布置配文の美しい印面にあるのではないでしょうか。
世のデジタル化がさらに進行していくと、印章が要り用な場面が、今よりもさらに少なくなっていくことだと思います。
印章を工藝と考える工人として、今までほとんど発露されなかった実印や銀行印などの実用品としての印面の美しさ・・・それは各お店、各工人により趣の違いがあり、篆刻のような芸術美ではなく、実用のなかから生まれた民衆的な美・・・すなわち工藝の美であります。
それを禅語や俳句などの和的な言葉を実用印章で培った氏名や社名などを輪郭円のなかに上手くレイアウトする技術を用いて表現するという姿に到るまでは、遠回りも致しましたが、コロナ前からの模索も含めますと、約5年の年月をかけました。
それが『HANKO KIAN』です。
現在インスタグラムで広告させていただいておりますが、BASEで販売しております。
どういうシーンに置いていただけるかは、私どももまだまだ模索中です。
冒頭の社長室に飾っていただくのも一つのご提案です。
お友達とお茶をたてる時に、茶掛けのお軸を飾る床の間のあるお家ばかりではないと思います。
マンションなどの洋風の部屋にも、禅語の『HANKO KIAN』はピッタリとくることだろうと思います。
玄関やリビングにインテリアの一つとしてご使用していただくのも一案です。
昇進や結婚、成人のお祝い品としてハレの日を飾って頂くご贈答品にもご使用頂けると思います。
『HANKO KIAN』の美は、パソコン画面でその機能やAIが思考したものではなく、先人の印章技術という実用の技を存分に用いたものです。
和のある暮らしとして、身近に置いてもらえますようにお願い申し上げます。

