OSHIDEの新企画、始動!
飲馴れし井水の恋し夏の旅
【作者】幸田露伴
【馴染む】
今から30数年前、高松から大阪に戻り、「三田村印章店」を開業しました。大阪の印鑑屋さん組合(大阪府印章業協同組合)にも入れて頂きました。組合の支部長からすぐに理事となり、加盟以前からお世話になっていた技術講習会や大印展を運営していた技術委員会(当時は技術部と呼ばれていました)に技術部員のお役目を頂きました。技術部員としての最初のお役目は、月に一度の技術講習会で、午後からの休憩時間にお茶の時間(大阪では茶をしばく)に講習生からお金を預かり、それで缶コーヒーやお茶などの飲み物を買ってくる係でした。今振り返ると先輩のYさんの計らいだと思うのですが、みんなに「馴染む」ため、技術部員として認めてもらうためだったのだと思います。講習生との繋がりもできたし、技術部員としての下積み仕事をすることにより、先輩技術部の面々にも認められていきました。
印章も大陸から入って来たので、さあ!使いましょうということにはならなかったのだろうと考えます。あくまで想像なのですが・・・。やはり下地があったからこそ、輸入物の印章は馴染んでいって、途中には花押というサイン文化の時代もあったが、生き残り続いて来たのだと思います。【馴染む】ための下地は作られたのだと想像します。金印があったり、大連之印が顔をのぞかせたりと・・・。
その時代のことを和訓での「(OSHIDE)おしで」の世界と捉えて、印章の危機である今こそ、下地を作った時代にもう一度学び直す必要があるのではないだろうか。何の為の印章なのか?印鑑屋のための印章では駄目だと考えます。

AIに聞くと、印章はなくならないだろうと回答されます。実印などは残ると・・・しかしながら、今年に入って個人の実印は減少傾向です。ハンコを使うことが想像しにくい時代で、目の前の押印はきちんとした印章でなくとも、銀行印もいるから早く安いやつで、でも少し良いモノも欲しい、良いモノ=変わったデザインのハンコ、そう言う需要はあると思いますが、あまりにもきちんとした印章や印影、ハンコの持つデザイン性について発信されなかった。とりわけ、この30年くらいは尚更、だから消費者に判断能力をもたらさなかった。美といえば篆刻印や落款印・・・それのみで、実用印章の美は業界内部・・・それでは伝わらない。ある意味、自己満足。
今年の個人印の減少に反して、今現在も三田村印章店が存在しているのは、法人印の需要増でした。とりわけこの夏にかけて。
OSHIDEの新企画は法人に向けてとなります。8月末に向けて、ここ数年、法人印を作製していただいた企業様に向けて只今ダイレクトメールを作製するためにリストの製作が完了しました。こんなにあるんやなと、リスト担当の妻と有難さを噛みしめています。
≪備忘録≫
古代の印章について調べていたら、ふと嘗ての全印協技術委員会時代の先輩T先生がおっしゃっていたことを思い出す。「日本最古の印章は大連之印(おおむらじのいん)であるが、それを一度も見たことはないし、どこに収蔵されているのかもわからない。」と・・・確かに、日本に中国大陸から印制が伝わる以前の古墳時代、皇極天皇の頃(642年)の印章であるらしい。AIに聞いてみると、どうやら奈良の七支刀で有名な石上神社にあるらしいが、あくまであるらしいである。石上神社のHPの宝物一覧には古墳時代の宝物は掲載されているが、大連之印については触れられていない。手持ちの印章史の全ての書籍を調べるが、大連之印についての記述はほぼない、印鑑屋さんの『印章教科書』には記載があるし、ネットでもその事を言っているのは、ほぼ印鑑屋さんである。印影もあるが、印制無き世に、一体何に使われていたのだろうか?不思議だ・・・古代印章や日本の印章の始まりを調べると、とても不思議なことにぶつかる。何故だろう?やはりOSIDEの世界と見てみると、なんとなく納得がいく、これも不思議だ。

