節分
鬼もまた心のかたち豆を打つ
【作者】中原道夫
明日から旧暦では年が新たまる立春ということで、今日は節分。
鬼を追い払うということで、「聻」(しゃく・せき)の描印を豆や柊、鰯の代わりに皆様のご健康とご多幸をお祈りして写真を掲載させて頂きます。
人が死ぬと鬼となり、人々は鬼を見て恐れる。その鬼が死ぬと聻になり、鬼たちは聻を見て怖がるという清代の『聊齋志異』(りょうさいしい)という短編小説集の中に書かれています。
江戸中期の随筆「撈海一得」(作者:鈴木煥卿)の上巻には「やく病よけの守りとて、聻の字を門戸に貼る」とあります。
さて、この2月は少々忙しくなりそうです。
いろんな事をお断りして身軽にしてきたつもりなのですが、まだそうもいかず、残余の事も多々あります。
大阪と名古屋の2回の技術講習会やとある取材、最終土曜は東京行きが入りました。
心を忙しくしていては、鬼が入って来る隙を与えてしまいますので、東京行きをチャンスと捉えて、行きたかった日本民藝館の柚木さんの特別展を日曜日に観に行こうかなと考えています。
個展に向けてのアイデアをいただければとも考えています。
posted: 2023年 2月 3日
工芸と印章
「印章は工芸である。」
それは、今まで誰も言わなかったことです。
山梨県の伝統工芸、京都府の工芸としての「京印章」や東京都の江戸工芸品、各都道府県での生業としての名称は耳にしますが、業界全体としての位置づけや運動はなされてきませんでした。
代わりに、国(厚生労働省)の技能検定制度に昭和45年から参加してきましたが、近年では受検者数の激減から国に統廃合の検討職種として位置づけられています。(令和3年度後期技能検定では100名以上の受検者を確保しましたが、統廃合の検討職種であることには違いがありません。)
工芸とは、人間の日常生活において使用される道具類のうち、その材料・技巧・意匠によって美的効果を備えた物品、およびその製作の総称とされています。(「日本大百科全書」より)
またブリタニカ国際大百科事典では、高度の熟練技術を駆使して作られた美的器物またはそれを制作する分野としています。
実際は、工芸の規定から思考を出発させるより、工芸が歩んできた道を学ぶ方が、工芸の本質に近づいていくことであり、印章との関係をより深く捉えられると私は考え、近年より民藝を通して工芸の在り方を学び、印章とその技術のこれからの在り方を探求することを始めております。
工芸は、民藝・生活工芸・伝統工芸・美術工芸などと分岐して、商業資本に誘惑された若干のものを含めても、共通して言えることは、大量生産、大量消費とは程遠いところに東洋的な意志を持っているという事です。
ともすると、物を作り、それを販売していると「儲けたい」とするのは商売人として当たり前の事でありますが、それが行き過ぎると、何かに取り付かれたように資本の誘惑に駆られてしまうのが、悲しきかな現実であるようです。
コロナ禍の現在も「売れれば何でもよい」と、売れるために「かわいい」「きれい」というレッテルをはり、中身のない弱さに装飾させて、思わず「儲けたい」と聞こえてくるような商品に出くわします。
その事を大げさに非難しているのではありません。
それらは、やはり工芸とは違う方向で、印章とその技術の向かう道ではないように感じて、やはり印章は工芸であると再確信いたします。
また日本大百科全書によりますと、「工芸の工の字は象形文字で、握りのついた「のみ」、あるいは鍛冶(かじ)をするとき使用する台座を表したものといわれ、そこから手先や道具を使って物をつくることを意味し、さらに物をつくるのが上手であることをいうようになった。さらにそのような職人や細工をさすこととなり、技能、修練を積んで得た特殊な技を意味する芸の字とともに、巧みに物をつくること、巧みにつくられた物を工芸とよぶようになった。」とされています。
大量生産が出来ない熟練の職人技を必要とするものが、工芸であると私の中に配置づいてきました。
ですので、現在の市場における印章全てが工芸であるなどとは、とてもそう呼べない状態であることは、既に消費者自身の認識となっています。
100円ショップのハンコ、はんこ自販機、既製フォント作製による同型印の危険性を有する印章などは、その象徴といえるのではないでしょうか。
そういう職人不足と継承現場の疲弊という業界の足元を見ての行政における「押印廃止」(2020年)には、必然性があったのだと思います。
印章が工芸であるという認識が業界共通のものであれば、「押印廃止」という形では世に現れなかったことだろうと推察します。
工芸として位置づけが難しいことであることは、印章という商品の特殊性から来ている事とも思えます。
それは、作品としての印面美を世に発表出来ない工芸であるからです。
どんなに名工の印章でも、印面という個人情報の公開は、「唯一無二」という印章の持つ意味を無くすこととなるからです。
しかしながら、戦後長らく続いて来た実用印章の展覧会や競技会などの多くに印影は存在しております。
何故、公開流布という美の発信をしなかったのでしょうか?
私が聞いたことのある逸話では、全国競技会の優秀作品を某有名週刊誌の広告に、その主催団体が出したところ、会員より「その印影の店を宣伝することとなるので、直ぐにやめよ」との抗議があり、次回よりそれがなくなったとのことです。
実用印章の競技会や展覧会はありますが、業界内部の事で終始してきました。
(近年では、印章展などで消費者に向けての展示を一部されていますが、その後の発信は殆どされない状態という事には変わりがありません。)
技術展などの実用印章の印影を宣伝流布することを嫌がってきた歴史に問題ありと考えます。
佳き印影、美しい印影、技術力を感じる印影を流布すると、困る人達がいるのです。
佳き印影の印章の為に精進努力するという工芸的な姿勢ではなく、職人を介せずに大量生産を可能とする駄印をも印章であると消費者に信用させることをよしとして、単に慣例や制度に守らそうとしてきたことが現況を作り出しました。
印章(銀行印)がいらない通帳やネットバンク、行政手続きでの押印廃止という制度崩壊その結果が全体をダメにして、印章の価値を低下させる役割を果たしてしまったと言えます。
現在の市場での印章の良否を示す指標は「手彫り・手仕上げ・機械彫り」という彫刻方法という一方向からの見方であります。
しかし、印章は過去には彫刻されずに鋳造されていたという期間の方が長い歴史があり、現在の天皇御璽や国璽も鋳造された印章であります。
本来の印章の価値を知るには、古人の教えである印章三法(篆刻三法)である字法・章法・刀法のメルクマール(指標)がその観察法の大きな一翼をになってきました。
ですので、今の市場の「手彫り・手仕上げ・機械彫り」という概念は、刀法のほんの一部の見方という事が言えます。
印章は工芸であるとして位置づけるなら、その印章三法の刀法以外の字法と章法を突き詰めていくと、それはとても工芸的であると思います。
工芸は設計図を大事にする芸術の一分野であると考えると、設計図にあたるのが、この字法と章法であります。
実用印章の設計図の書き方は、篆刻の字法と章法を駆使した印稿の表現とは少しばかり違います。
手のみで仕事をしていた嘗ての職人は、あまり印稿という設計図は描きませんでした。
印面に直接、文字を入れ、荒彫りで形を修正しながら分間を計っていきます。
そして、仕上げで線の強弱や筆意の表現をしていきます。
それで、印稿は頭で作製して、新たに紙の上に描く必要はありませんでした。
光電式彫刻機が出始めて、印稿をきちんと書かないと、仕上げが大変になりますので、判下という印稿をきちんと書くという作業が必要となりました。
やがて光電式がパソコン内蔵型の「ロボット」と呼ばれる機械に取って代わっていきました。
そこでは、手で書く技術よりも、パソコン機能をいかに上手く駆使するかの技術に替わるのは必然的でした。
古の先人たちは、その印稿(頭に入っていた職人さんもあり)が印章の良し悪しを決める重要な設計図であるとして来ました。
それを印面に彫刻した印章が、「押印廃止」として邪魔者にされ、社会的信用を失っていく状態ですが、印章の本義はそれでは廃れません。
印章の歴史を振り返っても、いろいろな印章不要論が出ては消えを繰り返しています。
花押というサイン文化が印章よりも重宝された時代もありました。
しかし、彫刻の技術は歴史と共に変わりました。
鋳造印から基底刀による彫刻技術の伝来(織豊時代)、機械彫刻もペンシルや大野木式からロボット彫刻へ、残っているのは、その設計図です。
いちばん大事なものは、この設計図です。
実用印章が一旦姿を消すと、篆刻の世界でそれは受け継ぐことも出えきますが、実用印章のそれは継承がない限り消滅してしまいます。
そこで、実用印章の字法と章法を残したいという思いに駆られています。
また、篆刻とは違う実用印章の美を多くの人に知っていただきたいと思いました。
篆刻は書の分野に自ら入り芸術として発展しています。
実用印章の彫刻法の大元である活版印刷の技術としての木口彫りは、写真写植に変わられた時点で、芸術分野に属して西洋木口木版として変化に対応して版画の世界に生き残り、印章と隣接して芸術分野としての「木口木版」となり日本でも不普及されています。
実用印章も「工芸」としての生き残りを考えるなら、まず自らをきちんと位置付けることです。
そして佳き印影の力強さを発信し、継承現場をよみがえらせる工夫をしていくこと、工芸として情報発信を怠らずしていく事が肝要かなと思います。
印章は工芸であるとするなら、「想いが伝わる印章」の製作継承は可能となります。
しかし、製作現場はそうはなっておりません。
職人(人)の仕事をパソコンに代替させて、「想いが伝わらない印章」製作に励んでいるのが現状です。
嘗ての技術継承は、徒弟制度であり、技術と共に職人道徳(してはいけないこと)を徹底的に教育されてきました。
徒弟制度が崩壊していったなか、技術講習会が盛んとなり、組合に入っている事の意味を感じた方が多かったと思います。
しかしながら、その継承現場も随分と変わって来ました。
変わってきたというのは、講師や講習生の在り方です。
嘗ての徒弟制度でいう親方と弟子の在り方は、親方が黒と言うと、弟子は白い物でも黒と言わなければなりません。
そういう関係の中から技術を盗み、職人としての在り方を学んでいったのです。
今、講習会でそういう教え方をしたら大変なことになります。
講習会では、技術的な事をある程度、その組織のルール内で実施されます。
嘗ての講習生はそれをよく理解していたので、講習会の外での自習・・・習ったことを繰り返しする(練度を高める)自主練をしました。
今は、なかなかそれをしません。
ほぼしません。
講習会を学校のように思われていて、それを管理している組織自体も社会的なルールに基づいての運営となりますので、それ以上のこと師弟関係を強制するとパワハラとなります。
大学の講義は単位制で、出席日数という時間を獲得して、試験を上手く通り抜ければ得られます。
しかし、技術は手から手に覚えさせるもので、適当に学校の椅子に座りさえすれば得られる技術など何もありません。
気の向いた時に席に座る、好きな講義だけ出席して単位を取る・・・技術習得とは程遠い考え方ですが、それも今流とすると、職人道徳はなかなか伝わらないものとなります。
しかし、講習会運営や組合運営はそれで然りなのかも知れませんが、印章を工芸と考えた場合、「きちんとした職人」は育たなくなります。
徒弟制度の崩壊から久しく、国家認定の訓練校もなくなり、講習会もその在り方を考え直さないと、それが技術継承の場にならなくなりそうな気がしております。
そして、それを運営していく組織や人達の本気度をみると・・・これでいいのかな?とも思います。
人(職人)がいなくなり、パソコンが残っても、印章やその技術は生き残らないと考えます。
設計図は消えていきます。
自分の時はよかっても、次に伝えなければ、足もとから崩れ去ってきます。
現場を見ていると、もう間もなくという気がしてなりません。
徒弟制度が消えていって、訓練校が休校から廃校へと・・・いろいろ見て来たので、そういう事も考えてしまいます。
自分のお尻の火は自分で消さないといけないし、見本を見せないといけない、もう少し頑張りますが、価値観の違い過ぎるところとは距離を取って、学びを頂けるところへと身を移動して行きたいと考えています。
「想いを伝える」印章製作のために・・・。
印章は、認印、銀行印、実印などの用途が示すように、実用生活に必要を問われて活躍するものです。
「必要だから捺す」という押印行為をしていた人には、その印影から伝わる「美」や盛り上がる朱肉の輝き、気品あるその匂いなどは関係ないのかも知れないけれど、押印所作も含めた押印経験は、その人を伝えるには充分なものでありました。
しかしながら、どうしても「必要だから捺す」人達のかなには、印面「美」など関係なく、迅速に事が進んで欲しいが優先されます。
また、大切な節目に押捺するので、きちんとした易学ではない単なる「占い」を付加価値として上乗せした商品として位置づけやすく、最近ニュースにもなっている霊感商法として使用されている「美」とは縁遠い太いミミズがのたくり回っているような開運印鑑をも誕生させました。
「これからを生き抜くために」・・・印章を工芸としてきちんと位置付ける。
印影の中に「美」を見出す作業。
篆刻芸術などでは「方寸の美」など当たり前の事でありますが、何故か実用にはそれがなく、それがあるのは、芸術性に止揚されているのは「篆刻」であるということを、篆刻をされている印章業者自身が発言されているのが現状です。
そういう意味では、実用印章は民藝的であります。
そして「工芸である実用印章」という位置づけをしていくことが、実用印章とその技術を本当の意味で残すこととなります。
posted: 2022年 10月 9日
印章は工芸である
昨日、千里山の万博記念公園内にあります大阪日本民芸館に行ってきました。
目的は、秋季特別展の「濱田庄司と柳宗理―ふたりの館長」を学芸さんのギャラリートークを聞くためです。
とても上手な説明で、初めて行かれる方にはご推薦いたします。
展示内容から気づきというか閃く物を頂きましたの、備忘録を兼ねてご紹介させていていただきます。
柳宗理さんのプロダクトデザインらしい展示のコーナーで、「インク壺の容器」という展示説明に魅了されました。
その説明自体も柳宗理さんのエッセイ集からのもので、一部をご紹介させて頂きます。
「・・・(前略)・・・さてこの木製の容器は轆轤という機械で造ったものですが、木肌の故か、手工藝的な暖かさをもっております。河合寛次郎さんは機械は手の延長したものであるとよく言われましたが、なるほど、人間が造るものを、手工藝と機械工藝とに分けるのは、素直でないような気がしないでもありません。いずれにせよ、手工藝的製品であれ、機械工藝品であれ、良いものは良いのであって、その良いという絶対的な美の世界には、手工藝的とか機械工藝的とかいう区別された二元の世界は、自ずと解消されてしまうといえないでしょうか。」
印章もある時期に、「手彫り、手仕上げ、機械彫り」という作業区分的な見方を結論として市場に与えてしまいました。
そうすることにより、使用者からの見方に枠決めをされてしまい、「手彫り」は付加価値を得ましたが、「手仕上げ」から「機械彫り」という括りをグレーな価値観として位置づけされました。
その後、それらの言葉に規範を与えることなく市場を独り歩きして、印章の価値を低落させ、「唯一無二」の信用を無くした印章の足元を見られて「押印廃止」の号令に繋がる結果となりました。
柳宗理先生が言われるように、人がつくるものを手と機械に分ける発想自体が工芸的に素直な気持ちではなく、商業的な側面からの分類に過ぎないという結果が今日の印章の位置づけをもたらしたと私も思います。
では、どうしていったらよいのか。
「印章は工芸である」という観点が求められていると思います。
おそらく商業主義的な大方の業界人から反発を頂くことになる発想かも知れませんが、山梨の伝統工芸としての位置づけなどにみられるような取り組みとその屋台骨である思考の転換を強く求めるものです。
posted: 2022年 9月 12日デジタル大臣を印章業界に起用しては?
切るだけで貼らぬ切抜き秋暑し
【作者】後藤雅夫
新聞や雑誌の切り抜きをして、スクラップブックに貼ったことがある人は少なくなっているのだろう。
私の住んでいるマンションは50軒くらいの家庭がはいっている。
新聞販売店の人に聞くと、2軒しか配達していないとのこと、他の新聞社もあるだろうけれど、おそらくそれほど変わらない数字であろう。
昨日、印章技術講習会の篆刻を受け持って頂いている先生が、グループラインで講習生に無料のweb字書を紹介して、「高額な字書を買う時代は終わったのか。」と話しておられました。
「押印廃止」を叫ばれた方がデジタル大臣になられました。
いろいろと改革を始めておられます。
もうすこし、アナログの良さも感知する能力をお持ち頂いたらとも思いますが、デジタル化社会の歩みを止める事は、誰にもできないことだと私も強く思います。
職人の技を学ぶことにデジタルは、手を止めることとなり逆作用しか示さないと思いますが、職人の技術を発信するのに紙媒体で残していても今の社会は何の反応も示さない。
行政への申請は全てデジタル化しています。
そこに印章がいるとか要らないとかの問題は置いておいても、紙媒体の印影、技術の在り方をいくらたくさん持っていても、個人の宝の持ち腐れで社会的存在を示し得ないのです。
印章業界には、先人が残した実用印章の印譜、印影が山のようにあります。
それを一回きりのイベント(展覧会・競技会)に終わらせ、多くの消費者の目に留まることを何故か避けられてきた印章業界・・・それは、一印影は一職人にあり、宣伝すると業界の利より上手な職人、技術のある店のみに利がいくとする・・・みみっちい、小さな思考からのものでありました。
それが長年続き、姿のうつくしい印章の印影は、消費者の目から遠ざけられ、「啓蒙」が「啓発」という言葉に変わっただけで、未だなに一つの印影も提示できないでいます。
しかし、本物の印章はそこにこそあったのです。
それだけの宝をデジタル化する努力は今できるのではないでしょうか。
おそらく、しないでしょうが・・・。
業界団体のホームページには何回か前の展覧会や競技会の入賞印影が掲載されていますが、近々のものはなく、コロナを理由にやる気を感じないからです。
小さい思考とそれだけが理由ですが、それで充分な理由だと、最近周りを見ていてそう思います。
最後に、印章技術に機械化はあっても、その基本はアナログです。
すなはち、彫る力のみではなく、印影の持つ「美」の共鳴力の継承。
それを発信する力は今、デジタルにあります。
デジタル大臣を印章業界に起用した方がよいのかも・・・。
posted: 2022年 9月 6日本当の美しさ
いつとなく庇はるる身の晩夏かな
【作者】恩田秀子
昨日、手にした文庫本『灯をともす言葉』花森安治著(河出書房新社)より
16頁
「美について」より
一つの道具が、暮らしに役立っているということが、
とりもなおさず、美しいということではありませんか。
よく切れる、ということが
包丁の場合には、美しさなのです。
よく切れるためには、包丁は錆びひとつなく
光っていなければならないし、
柄もしっかりした丈夫なものでなければなりません。
しかし、その柄には色んな飾りがついているとしたら、
それは包丁の切れ味には関係ないし、
だから包丁の美しさを、
それだけで傷つけることにもなるのです。
(以上、花森安治さんの文章)
印章の生命は、印章に彫刻された使用者のお名前でなければならない
その名前が、きちんとした文字で丸い輪郭の中に工夫を施されレイアウトされている
そして、使用者が丁寧に押捺することにより
示された相手に信用と信頼を約束する
そういうことが、
印章の場合には、美しさなのです。
しかし、その印面に名前以外の絵やキャラクターという飾りがあったり、
柄という印顆に「オシャレな」装飾がプリントされたプラスチックの印章は、耐久性が悪く、劣化するとマイクロプラスチックになり自然環境に悪影響をあたえます。
そういう装飾は、印章の信を示す道具としての役割には関係ないし、
だから印章の美しさを
それだけで傷つけることになるのです。
昨日は、最終日となった「陶技始末 河井寛次郎の陶芸」観覧のため、中之島香雪美術館に行ってきました。
若い方も多いのには、少し驚きました。
河井寛次郎というと、展覧会のチラシや看板にも出ているような扁壺と呼ばれるものや陶板への陶刻などが他との違いとして有名ですが、いきなりその境地になられたのではなく、1910年に東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学し、陶芸家の板谷波山の指導を受けたほか、窯業の科学的研究を行った。1914年、東京高等工業学校卒業後は、京都市陶磁器試験場に入所し、同9年に五条坂の窯を入手して京都で活動しました。
思想家柳宗悦との出会いから民藝運動の中心人物として活躍します。
その中で、全国各地の窯にある技法を自分自身の中に取り入れ、扁壺や陶彫による造形作品を展開できたのだと、改めて展示を観覧させて頂き、強く感じたところです。
月曜日の朝から長文をお許しください。
最後に、花森安治さんの言葉をご紹介して、私が何を言いたかったのかご推察いただければと思います。
暮らしと結びついた美しさが、
本当の美しさだ。
・・・『灯をともす言葉』15頁より
posted: 2022年 8月 22日
カフェ蘇谷(sokoku)
お盆明けから今日の土曜日までお仕事はゆっくりでした。
お盆休みに家内と帰阪していた長男とで京都に行っていたのですが、六月に一人で出かけた時に立ち寄った「河井寛次郎記念館」を案内してあげようと自慢げに行ってみると、何と!!!お盆休みを取られていました。
その前に、美味しいところがあるねんと案内したお店もお休みだったので、しかも暑い最中の話・・・面目ないと、ふと見ると、河井さんのはすかい前(斜め向かい)にカフェがありました。
家族をなだめるように、そこに入らせて頂きました。
座敷に上がらせて頂きました。
河井さんところ(カフェの女性店主の京都らしい言い方を真似ました)がお休みなので、お店にはお客様はうちの家族だけで、冷たいお茶(私はビール)をいただくと、汗が引いて行きました。
座敷には、陶芸品が無造作に置かれていて、火鉢のようなものや花器、何か分からないオブジェのような物もありました。
家内が、これはなんですかと店主に尋ねると、オブジェですとの返答から、いろいろとお話をさせて頂きました。
元々は、河井さんところと同様の工房であったようです。
しかも、そのオブジェが示すように、お父様が日展作家の工芸家の八田蘇谷という方とのことでした。
店主が子どもの頃は、中二階にはお弟子さんが住まわれて「お兄ちゃんがたくさんいてはりました」と内弟子の徒弟制度のお住まいであったようです。
おじいさまの八田蘇谷さんは、金沢から京都に出て来られて、一代で登り窯を有した工房で寺社仏閣やお茶の家元などに陶芸品を納め乍ら、青磁を中心とした作品作りも怠らずに精進されたようです。
女性店主は二代目蘇谷の娘さんです。
家内が、店主に「跡を継ぎはらへんかったんですか」と尋ねると、「私は陶芸に何の興味も持ちませんでした」と、家内も実家の印章業には何の興味も持たなかったのと一緒ですねと、しかし今は主人が印章を彫刻する職人ですと話すと、それからいろいろと更にお話下さり、とても楽しいひと時を過ごしました。
技術の継承というのは、一子相伝という言葉がありますが、職人なら誰しも思っているように、世襲制にならないのが技術です。
自分の技術は、そうやすやすと子どもには伝わりません。
かえって、自分と共感力のある他人の方が、その技は伝わるものです。
だから、カフェの店主が陶芸に全く興味がなく、娘だからといって窯を継がなかったのには大いに理解できる所が私にはありました。
お店には、とても大量の香合や鉢、花器などが大量にあるそうです。
工房をカフェにリノベーションされたときに、それらの一部を上手く使っておられました。
香合の蓋を足元に埋めて、その文様の亀が顔をだしていたり、茶巾筒を並べて、竹の節に見立てた装飾につかってありました。
この茶巾筒は、寸分違えずに焼いて同じ色に仕上げなければならないので、お弟子さんの修業の一環として行われたものらしいです。(まるで印章の柘駒での練習作品に向き合うようです)
装飾に使われているのは、大量に残ったその失敗作であったようです。(これも私の採用されなかった完成デザインという印稿のようです)
それだけ練度を積まないと、一人前にはならないのだということです。
今、修業中の印章彫刻職人さんは、どのくらいの作品を作り且つ失敗したのだろう・・・それが自分の軌跡になることを、ここへ行かれてその数の多さの前に猛省が必要かなと自分の指導も含めて思いました。
また、この店のリノベーションを見ていて、自分の修業の軌跡が何かこれからの商品としての印章に役に立たないかなと、印章の価値が低落し続ける今をどうにか生き残る一つのヒントを頂いたようにも感じました。
門口までお送り下さり、また立ち話で、京都らしい言い方しはるなと思ったのが、「蚊取り線香たいているのに、蚊が大谷さんからびゅーっと飛んできはるんです。かんにんです。」・・・久しぶりに聞いたホンマの京都弁でした。
https://rurubu.jp/andmore/article/16636
posted: 2022年 8月 20日
夏休み
われここに 啄木はそこに 夏休
【作者】山口青邨
学校行きは、どうも今日から夏休みとのこと。
大阪のはんこ屋組合の技術講習会も8月は夏休みだ。
昔むかしは、この講習会には夏休みの宿題などなかった。
それは、公教育でも義務教育でもなく、職人の自発性によるものなので、当然の事であります。
普段の講習も、敢えて課題という方法を大阪は取ってなかったように思います。
参考作品はありましたが、それを講師の先生は敢えて課題とは言わずに、やる気のある者しか相手にしていませんでした。
それが、公教育とは大きく違うところですが、そんな事を言っていると、誰もついてこないのが今なのでしょう。
だから、技術講習会というか職人の技術継承の在り方も変えていかないとダメだと、これは本当にダメになる一歩手前だと思います。
昔の技術継承現場にいた古株がそう唱えているのに、不思議なことに後発組が今までを変えようとしないのには、最近驚きを隠せません。
出された課題をひと月でこなし、提出するには労力が必要です。
しない人は、昔はほったらかし(放置)で、その内来なくなることを当たり前としていました。
その人が、技術が身につかないのは、自分のせいではなく、その人が努力しないから・・・いつも夏休みだから、課題をしない、その人に他の季節はないでおわりでした。
もうそんなことを言っていられない状態です。
巷の技術なき、ある意味規範なき印章が、ドンドンとその価値を低下させる役割を発揮している時に、それを放置するのも、技術講習会に課題を提出しない状態を放置するのも同罪だと私は思います。
さらに言うなら、木口に集中しそれをある意味「教育」することが業界全体に求められているように強く感じます。
今の所、他は要らないと思います。
嘗ての講習会のように、いろんなことをする講習会のような余裕のある状態ではないし、きちんと木口を教える事のできる人材バンク(講師バンク)を今こそ設立すべきだと、このくそ暑い夏に切実に訴えたい!
写真は、この前の日曜日の技術講習会研究科実印課題の印稿「柳宗悦」です。
お名前は、4文字ばかりとは限りません。
篆刻芸術の字法・章法と違い、実用印章(木口)には次のような数学的ロジックがあります。
苗字が一文字の「柳」、名が二文字の「宗悦」の場合、各文字の大小違いを抑えるために、丸の中の一行目に入る苗字の一文字の幅取りを狭くします。
同じ幅にすれば、柳の位置する面積が大きく、柳だけが巨大に目に飛び込んできます。
この数学的ロジックは、パソコン画面上の技術の指導でもできることです。
しかし、それを説明出来る人が実に少なくなりました。
講師バンク制度は急がれる課題だと思います。
この夏、8月私は敢えて夏休みの宿題を出して、手の動かない夏を少しでもストップできるようにしたいと思いましたが、どうなる事やら。
posted: 2022年 7月 21日