大阪市魅力発信事業

花火消え元の闇ではなくなりし
【作者】稲畑汀子

一見すると、印章業を営んでいくには大変な状況が、コロナの影響により目の前にドンと置かれたようにも感じます。
しかし、いろんなモノがもつれて混線して、良き想いや良き情報も私の所に届くようになってきました。
昨日も印章彫刻の「技術のことを話したい!」とするFacebookグループが創設され、若き技術者の意見交換の場が出来ました。
印章業界の方で、案内をもらっていないという方、私までお声をかけてください。
また今朝も、Facebookでお友達になった大学の先生からzoom講義へのお誘いをいただきました。
何かがドンドンと膨らんでいくようにも思います。
人の工夫力って、凄いなと感心させられます。
コロナ以前に家内が企画して飛び回っていたことが、大阪市魅力発信事業の令和2年度参加企業として登録されました。
どう転んでいくかは、わかりませんがバタバタする1年になると思います。
https://o-tex.jp/

posted: 2020年 6月 6日

アナログの最先端をいこう!

志ん生も文楽も間や軒忍
【作者】藤田湘子

印章の事が話題になるのは嬉しいのですが、ここ最近は社会悪のように扱われています。
朝起きると、毎日新聞の朝刊を家内が見せてきました。
何だろうと覗いてみると、「リモート経済の課題」としたタイトルの一論考として「押印文化脱却は金融から」という見出しが目に飛び込んできました。


リモート経済という言葉がいつできたのだろう・・・押印文化という言葉も・・・
論旨は、ここではご説明致しませんが、最後の方に気になる文章がありました。
論述の氏は、あるオンライン会議に対応出来ない人がいて、書面での決済が続いていることを嘆き、日本の大きな課題だとして、次のように述べています。
「社会全体がこうしたアナログの人に過保護なのかもしれない。今の時代、オンライン化に対応できる人が多数派であると認識し、デジタル化を更に進めてほしい」と・・・。
ハンコ議連の会長は辞任されましたが、就任された時に、「デジタル化との融合」と言われました。
アナログなモノや文化がデジタル的なモノや在り方と融合するはずがありません。
おかしいな、おかしなことを言わはるお人やと思っていたのですが・・・。
コロナ下の社会においてアナログとデジタルは共生しなければならないと思います。
対立する必要がないのに、敢えて対立させていることが、何か他の意図を感じさせられます。
ともあれ、印章は間の文化です。
日本人は今までこの間という独特の時間の在り方に親しみ、それと共に工夫をして生きてきた民族です。
それを和の文化とも言います。
そいう言う意味で印章は、和の文化でもあります。
和の文化はアナログにより成り立ちます。
デジタルで機械的に造られたものは、デジタルと融合しなくとも、デジタル下にあります。
そういうモノは、デジタルが整理していく事と思います。
デジタルで誕生したものは、デジタルの進化とともに発展解消されて行きます。
どんどんとデジタル弱者や不要なものは消し去られます。
そういう社会と共に生きる事が出来るのが、和の文化でありたいと思う今日この頃です。
アナログはデジタル化を逆に利用して、アナログでしかできないものをデジタルと区分けしていけばよいのです。
しかし、印章の需要の減少にはデジタル化が大きな功績を残すことは確かです。
パソコンというデジタルでの印章製作は、もはや時代遅れのオモチャでしかありません。
重要印章には、アナログの最先端を!

posted: 2020年 6月 5日

ハンコ議連会長辞任・・・

牛も馬も人も橋下に野の夕立
【作者】高浜虚子

野にありて夕立に遭えば、逃げ込む先がないので、橋の下に牛も馬も人も分け隔てなく押し込まれている状況は、滑稽に見えるかもしれません。
コロナも分け隔てなく、人類に降りかかってきた禍でありました。
コロナと共にとかとも言われますが、まだピンときていない今日この頃です。

昨夜、明石家電視台に出させて頂いた時のADさんからご連絡を頂きました。
明石家電視台は、コロナの影響でスタジオ観覧が出来なく、工夫をされて放送されています。
6月8日には、今までの体の不思議に関するものを集めて編集、放送するとのことで、「左きき」の回の分も織り交ぜるとのことです。
私が映るかどうかは、分かりませんが、宜しければご覧ください。

コロナにより浮き出されたように、ハンコ議連の会長がハンコ議連を辞任されていたと昨日知りましたが、明石家電視台の収録時に、さんまさんが、「はんこは、今、ほんまにたいへんなんや!なぁ、三田村さん。頑張ってや。」と声をかけて頂いたのを、ADさんとの電話を置いてからふと思い出しました。
https://www.mbs.jp/akashiya/

posted: 2020年 6月 4日

綺麗な風

六月を奇麗な風の吹くことよ
【作者】正岡子規

緊急事態宣言が発令されていた時、こういう大変な時期にわざわざご来店いただけるお客様に感謝の念を抱きました。
解除後も「ハンコはこれからはいらない」とする社会の風潮の中で、ご来店ご注文頂けることは、三波春夫さんではありませんが、「お客様は神様」という気持ちに自然になります。
東京は心配な状態がありますが、6月になり私の周りでは、新たな息吹が始動しているように感じます。
本来それは、春に芽吹くべきことでしたが、鬱屈とした時間があらゆるものを洗濯して、埃やゴミ、ダニをも洗い落して、綺麗にして新たな土壌に新たな芽吹きをこしらえてくれたような気がしてなりません。
昨日は、家内と共に企画していたことが動き出しそうな気配を感じられる出来事があり、心配していた技術継承についても、真剣に考えている若き共鳴のメッセンジャーをいただきもしました。
自然に任せよう!
六月は、綺麗な風が吹くことと思います。

posted: 2020年 6月 3日

印章無用論から学ぶ

「印章無用論が或る新聞に掲載されて、その反駁文を求められたことがあった。その論文は、印章に対する現代の認識は日用品の石鹸、ちり紙、雑貨品に対するものと異ならず、印章に重大な意義を持たすのは、ただ煩雑に過ぎず無意味であるという論旨であった。
敢えてこの論文に対して、反駁はしなかった。成程、現代の印章は俗印が横行し、社会機構は極端に形式のみを要請するのであるから、印章に関する現状から判断すれば、無用論の説えられるのも無理はないと思う。・・・中略・・・・・
しかし、印章の雑品なみに普及し転落したのでは、無用論の肩を持ちたくもなるような事態も体験させられる。・・・中略・・・
個性もなく品位風格は勿論かけらもない駄作の印章と、更に木屑に近い仕入印に信憑性としての権威を与えるのは、まさに不自然である。・・・以下略。」

以上は、昭和31年(1956年)に出版された藤本胤峯著『印章と人生』からです。

昨日、五月の鬱屈した気分を転換するために、散髪に行きました。
理容店のご主人から、「今、ハンコはいらないと言われて、大変ですね。いじめられていますね。」と声をかけて頂いた。
この間、あまり多くの人とは話していなく、そういわれたことが、却って新鮮に受け止めることが出来た。
印章の価値を低落させるパソコン印章やフォント印章のお話をしてきましたが、今やその存在さえも社会からは否定されていることが、多くの人に広まっていることは事実であると確信しました。
この状態から、印章の価値を復権させることは、並大抵の事ではありません。
あらゆる方法を駆使していかねばならないと思います。
そして、この間の状況が示している通り、もう組織団体には頼れない状況というか、限界かなと思います。
自らの頭で考え、それを行動に移していかないと、とても生き残れそうにない気配を感じています。
ここで、目新しいことやパフォーマンスをしてももう駄目であることは、自明の理であります。
これまで、意図的にかどうかは知りませんが、印章の印面の美をきちんと発信されない(隠していたともとれる)印章業界の、逆手をとり、印面美を職人の創作物としてきちんと発信していくことを怠らないことが、大いに求められてくると思います。
一人ひとりの職人の個性が光る、それが印章であり、その個性を表出しているのは印面であるということです。
とりわけ実印については、その〇という輪郭の中に自由闊達に篆書をレイアウトできる美を大いに発信すべきことであると思います。
印章無用論のニュースに寄せられたコメントを丁寧に読んでいくと、多くはそれへの同調や煽りの文体ですが、中には、それでも重要な印章はいりますよねという内容が含まれているものも少なくはありません。
また、本物は残りますと励ましてくれる、私のお客様やブログ友達の声をも大いに依拠できる所だと確信を持っています。
6月の始動が各地で見られます。
その息吹に呼応していきたいと強く決意致します。

posted: 2020年 6月 1日

印章自身が欲している道

コロナ前から印章無用論や印章を無くそうという声がありましたが、最近は5日に一度くらいニュースになっているような気がします。
昨日も、NHKラジオから聞こえてきたのは、「テレワーク阻む押印をサントリー来月から廃止」というニュースでした。
その事実を伝えるだけでなく、大学の先生が述べていたのは、単なる印章無用論ではありませんでした。
如何にしてこれからの社会において印章を無くしていくのかという、無くすことを前提とした解説がされていたことには、驚きを隠せません。
企業のこのような動きは、良し悪しは別にして、一つの流行・・・それこそウイルスのように伝染していく事だろうと思います。
業界が無くなるような危惧を致します。
そうして、この問題は印章業界の経営問題でとどまらず、社会現象としての社会問題であるように思います。
一印章店や、はんこ屋が太刀打ちできる問題ではないように思います。
NHKが学者先生を立てて解説するなら、印章側も学者先生のお知恵を借りればと思います。
印章学というのは、あるにはあるのですが、物理学者のように印章学者はいません。
印章は文字や工芸とか、芸術であるとかとも考えられますが、実用印章は社会学です。
是非とも、そういう方向で問題を見つめ直して頂きたいと強く思います。
手遅れにならないうちに・・・
それとは別に、私も趣味で道楽で印章彫刻をしているのではなく、生きる糧として印章を商っています。
今までの何でも扱ってきた印章業とは区分して、これから印章を商いにするには、刀を商うようでなければならないと思います。
江戸時代には、多くの刀商がいたと思います。
明治になり、廃刀令がだされ、その商売は社会的になくなったようにも思えますが、現在でもあります。
江戸時代には竹光も含めて商われていました。
武士にとって、刀を携える必要があったからです。
しかし、今刀商のように印章店がなるためには、竹光やオモチャを販売していたのでは、笑われるだけとなります。
名刀を扱わねばなりません。
今より精進が求められるし、技術のみの厳しい修錬の時代をむかえると予言しておきます。
心も技も鍛え直さないと生き残れそうにない
そういう道を印章自身欲しているように思えてなりません。

posted: 2020年 5月 29日

見つくせぬもの

見つくせぬものゝ中に居る
見つくせず

今日も、河井寛次郎の言葉をご紹介致します。
人は、自分がしていることに厭きると、気が移るものです。
仕事は単調、続けるのはしんどい・・・
時代遅れ、旧態依然・・・
そういう時、何処からか新しい・・・とかオリジナル・・・とか、今流行りのという笛を吹く煽動者がやって来ます。
ところが、その者は我々をどこへ導くのでしょうか?
楽園にたどり着いた者は、今までにはおりません。

河井寛次郎の言葉に以下のような補足文が添えられています。
「人は少しを見て多くを見ない。然し一つを見る事はすべてを見る事だといはれる。そうだまさにそうだ。然し見つくせぬものゝ中にいればこそ見る事が出來るのだ。」

新しいものや他の考え方をペタぺタと貼り付けても何も見えては来ないし、かえって本来の在り方が見えにくくなります。

見えないとか伝わらないということや、在り方が社会に認知されない、されなくなったという大きな原因は、実はそのものの中にあるんだと思います。
だから、今ある在り方を反省し、軽視してきたことを補足していかないと、次には進めないと私はそんな気がしています。

posted: 2020年 5月 28日

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