捺印の仕方
抜くは長井兵助の太刀春の風
【作者】夏目漱石
藤本胤峯著『印章と人生』第18章(1)捺印の仕方という項には次のように記されています。
「印影は気分を反映す」とし、第一に印肉のつけ方、第二に印褥、そして第三に捺印としております。
印章の歴史的研究や文字学、篆刻の書籍などが多い中、印章使用者サイドからの捺印の仕方を述べている書物には、これ以外には出会ったことがありません。
そこには、次のように記述されています。
「印章に軽く目礼し、臍下丹田に力を込めて、ゆるやかに紙面に押し、指先で「の」の字を書く如く廻す気持ちで力を入れて「し」の字に引くように離すのである。」
2月後半に胃痛に襲われ、2~3日仕上げ刀を持てなかった時がありました。
臍下丹田に力が入らないのです。
勿論、肩や手先に力が入ると仕上げは出来ませんが、丹田に力が入らないと指先にまで影響するのかと、その時藤本先生の捺印の仕方を思い出したのです。
2月の技能検定での受検者の手元を見ていると、他の検定員の先生もおっしゃっていたのですが、ほとんどの人が仕上げ刀法が出来ていないというか、仕上げ刀の持ち方がヘンテコな方が、確かに多かったように思います。
これは、合否には関わりない事なので、今後の為に話しておいた方がと思い、取り上げました。
手の甲を上に向けたり、鉛筆を強く握るように持っていたり、ぎこちないヘンテコな握り方で、おそらく手先、指先が丹田と繋がっていないのではと推測します。
東京の亡きO先生は「仕上げ刀はタマゴを持つように優しく持ちなさい」と言われています。
この11日には技能検定の合格発表があります。
合格された方は基本が備わったということですので、指先だけでなく丹田を意識してきちんとした印章作製に励んでいただきたいと強く思います。
posted: 2022年 3月 9日
技術は生産に結びつかなければ意味をなさない
耕人は立てりしんかんたる否定
【作者】加藤郁乎
先日から、印稿(彫刻前のデザイン)の添削のお話をしております。
これが本来の私の役割で、もっとも製作現場に近いことであります。
現在の講習生の印稿は、この13日に締め切りとなる大競技会への出品作品であります。
先日もお話したとおりに、審査員として審査には当たりますが、作品作りへの指導を少し離れていました。
作品を出品される方は、研究科の講習生に多く、研究科の先生の考え方・やり方に口を挟むようで、また講習生が講師の先生により言う事があまりにも違っていたら、何を信じて進めばいいのか分からなくなるからです。
ここ数日、添削をしていて前の感覚が戻りだして、面白くて仕方がありませんが、ふと講習生の印稿を見ていて共通点があります。
実に上手な線を出しているのです。
基本科の講習生や一部の人には、輪郭は定規やコンパスを使い手で書くようにしましょうと口うるさくいってきましたが、みんな印刷されているものやパソコンを使用しての輪郭を使用しています。
また、篆書と言う文字は、他の書体と違い、左右対称になる文字が多いのです。
偏と旁の旁のみ左右対称とかいう文字も多く見られます。
それが、きちんと左右対称になっている・・・少し前から研究科での様子をみていると、そういう事を感じてはいました。
以前の私なら、「手で書き直せ!」と突き返していたのですが、それが今の作品作りの現場であり、パソコンが通常の仕事にはなくてはならないものであり、それが具体的には製作現場であります。
パソコンを使用して、その機能を利用して判下を作製して、それを転写したものを手で彫る・・・そう言う流れが多いのではと推測します。
良い悪いは別にして、それが今の作品作りの様子なのかも知れません。
現状をよく知ろうと思います。
- どういう風にして、作品作りをしているのか?
- お店での(製作現場)での印章の作製方法は?
を今度の講習会で聞いてみようと思っています。
そして、講習会に何を期待するのか・・・これが一番大切です。
講習会に来て、上手にならないなら、講習会は意味がありません。
それは、商売に役立たない組合にはいっているのと同じことになります。
パソコンを使うことを悪く言うつもりはありません。
私も、最初から手彫りで勉強を始めたわけではなく、大野木式という回転しているピンを手作業で荒彫りする機械の練習から印章彫刻を習い出しました。
手彫りを覚えたのは、講習会に通いだしてからです。
文字を書として認知することも大切ですが、彫刻においては図形として認識した方が、実用印章技術の習得は早いと私自身も考えます。(木口は数学だと言われたO先生の言葉が今はよく理解できます)
パソコンやパソコン機能をツールとして、これからは捉えられる指導が求められているような気がします。
先生ぶって、書(?)を知り、一から筆と手でしか良い物は出来ないなどとは、私も微塵も考えていません。
最終的には、市場できちんとした印章が幅を利かせ、量販店のフォント印章が肩身の狭い思いをするように持っていく事が肝要だと思います。
ですので、製作現場を変えるためには、継承現場を変える事も大いにもとめられていると私は思います。
このようなアンケートを全国的に実施して現状を分析精査して、方向性を全国の指導者が議論できる場を持つことが大切だと考えます。
生産(製作現場)≒継承現場≒作品作り(大競技会やグランプリ)が理想であり、近似値を探すことが必要です。
印章製作現場の「しんかんたる否定」は、書を知り、筆を持ち、印刀を砥ぎ、仕上げ刀を駆使する・・・印面との対峙からであり、勿論、それを忘れることはダメだとは思います。
終わりなき楽しき坂道
立子忌の坂道どこまでも登る
【作者】阪西敦子
今日は桃の節句でありますが、星野立子の忌日でもあります。
昨日、講習生の印稿(彫刻する前のデザイン原稿)を2時間ほど添削していて、とても楽しかった。
時間もかかる作業ですが、自分の魂が奮い立つような久しぶりの時間でありました。
胃痛になる少し前にも添削をしたのですが、やはり楽しかった。
自分が、大競技会に出品していたころを思い出しました。
技術講習会に携わって来ましたが、わりとこのあたりを同僚講師に長い間まかせっきりにしていました。
同僚講師が体調を壊されて、急遽出番となりました。
印章彫刻は、印章三法(篆刻三法)を以って印章を作製することを言います。
市場、とりわけネットの中の印章販売は、手彫りや手仕上げという言葉を目にしますが、印章三法の三分の一の領域を購入基準にされているのはおかしな話だと以前よりお話してきたところです。
どんな形状の篆書を用いて、決められた輪郭の中に上手く配字レイアウトしていくか、そこに印章製作の妙があります。
講習生の印稿添削をするということは、そういう字法、章法を伝授していくことが指導者の原点であり、最も楽しい場面であるということが久しぶりに私の中に浸透していきます。
この坂道に終わりはなく、どこまでも登り続ける楽しみを知る人にとっては、大切な坂道なのです。
辞すべき時
辞すべしや即ち軒の梅を見る
【作者】深見けん二
大阪の技能検定実技試験が13日に無事に終了して、関係書類を全て職業能力開発協会に提出しました。
これにて、長らく担当させて頂いた技能検定担当者を卒業させて頂くこととなりました。
また、技術講習会講師を残して、全ての大阪府印章業協同組合の技術関連の任からも外れさせて頂く事となりました。
誰もいないなら、責任放棄なのかもしれませんが、後進には優秀な方がたくさんおられますし、後進養成のために努力してきたつもりです。
辞すべき時は今だと判断し、少し強行でしたがケジメを付けました。
大印展も審査員から裏方まで全て携わりません。
おそらく来年あるであろう大印展にも行かないつもりでいます。
今年は、まだまだ余韻もあるだろうから、講習会以外の全ての近畿と大阪の行事に参加しないつもりです。
詳しくは述べませんが、私なりのケジメの付け方です。
全国組織であります全印協技術委員や大競技会審査員は降りろと言われない限りは続けるつもりですので、4月には東京に審査に参りますし、秋に名古屋であります全国大会の大競技会展示や印章展のお手伝いにも馳せ参じます。
全国の印章技術を愛するみなさん、よろしくお願い申し上げます。
posted: 2022年 2月 19日
強い工芸的な意思・・・その6
ゆりかもめ消さうよ膝のラジカセを
【作者】佐藤映二
朝ドラ『カムカムエヴリバディ』・・・ジョーと京都で暮らす、るいから再び「あんこのおまじない」が聞けましたね。
小豆の声を聴けえ。時計に頼るな。目を離すな
何ゅうしてほしいか小豆が教えてくれる
食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ
おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ
おいしゅうなれ。おいしゅうなれ
おいしゅうなれ。おいしゅうなれ
その気持ちが小豆に乗り移る。うんとおいしゅうなってくれる
甘えあんこが出来上がる
あんこをハンコに置き換えて
ハンコの声を聴けえ。パソコンやパソコンのフォントに頼るな。印面から目を離すな。
何ゅうしてほしいかハンコが教えてくれる
押捺する人の幸せそうな顔を思い浮かべえ
美しい印面になれ。美しい印面になれ。美しい印面になれ
その気持ちがハンコに乗り移る。うんと美しい印面になってくれる
美しいハンコが出来上がる
今日も印面に向かえることに感謝。
posted: 2022年 1月 26日
強い工芸的な意思・・・その5
NHKの民藝を特集された番組で、松本の「ちきりや工芸店」の店主インタビューで、共感するところがありました。
何回かお話しているかもしれませんが、アナウンサーが「お客様にどんなアドバイスをしますか?」という問いに、店主は「お客さまの直感で見て選んでいただきます。いろんな情報はいらないんです。お客様が良いと思われたものが良いのです。」と・・・。
その後、松本に立ち寄った時に、「ちきりや工芸店」と松本民藝館に行きました。
「美しいものが美しい」という丸山太郎の直筆の書には、その直観の大切さを教えてくれています。
「今初めて見る」という思いで向き合うこと。
偏見を持たず謙虚な姿勢で物事を受け入れること。
それが美しいもの、真なるものを見出す極意であると柳宗悦は『物偈』稿本に書いている。
と、「今見マセ イツ見ルモ」芹沢銈介が和紙に型染した作品の説明文にありました。
お客様が直観で使用者になる
製作者が違う次元から受け取った感覚を形にして使用者に繋ぐ
それが工芸ではないかなと、「強い工芸的な意思」という表現をしてみました。
少し分かりにくい説明でしたが、私も最近の境地ですので、追って説明出来ればなと思います。
私の3点の完成デザインもこれに起因していたんだなと思えるようになったのも最近のことです。
「美しいものが美しい」と発信するには、製作者のそれなりの覚悟がいるとも思います。
写真の立杭焼のコーヒー茶碗は、「ちきりや工芸店」にて直観で選んだものです。
今も愛用しております。
posted: 2022年 1月 25日強い工芸的な意思・・・その4
昨日は、早起きをして家内と一緒に菩提寺のお墓参りに行きました。
墓地の裏手は、高津神社の木が茂っていて、そこが鴉の寄り合い場所となっていました。
十羽以上の鴉の集団がカーカーとうるさい、まだ夜明け前で暗闇に近い空に黒い体が、「ここは自分たちの縄張りだぞ!」と飛び回っているようです。
それが嘗ての自分を見るようで、なんだか嫌な気分になりました。
それからすぐに仕事量調整のために職場に行こうと思っていたのですが、帰宅すると疲れて少し寝入ってしまい、職場についたのは11時くらいでした。
技術講習会や大印展準備、技能検定などの日曜日以外は、仕事量調整というか、仕事をする休日を多く過ごしてきました。
どうも元来の怠け者で、自分を律するには、自分なりの掟をもたないと、直ぐに自堕落になっていきます。
お客様に完成デザインのご提案を、個人印章は3点、法人印は2点をすると決めました。
鉛筆書きのラフなデザインではなく、完成品に近い状態まで手で書き上げ、赤コピーをし直して、お客様がイメージできるようにしてご提案する。
それは商売上云々ということではなく、自分を技術の場にきちんと据える、工芸的な自分であるためにそうしています。
完成デザインを3点、その人の情報からその人を頭に置き、篆書という印章文字を駆使していくことは、とても大変な事です。
すんなりと、布置配文(レイアウト)される場合もありますが、何日も頭の中をクルクルと文字が回り続ける時もあります。
そういう時は、どうしても仕事量調整をするために休日を使用しなければなりません。
齢62になると、他事が入ってくるととてもしんどくなってきました。
しかし、それを妥協するとダメになり、自分が工芸的でなくなることも自分はよくわかっています。
嘗て、少し怠けていたわけではありませんが、他所事が忙しくなり、考えが纏まらない時に、3点の内、1点だけ自分が満足するデザインにして、後の2点に力を入れなかった時があります。
何と、お客様が力足らずのデザインをお選びになられたのです。
そうすると、自分の中に悔いが残ります。
作製者に何らかの意図みたいなものがあったとしても、お客様は「直感」でお選びになります。
そこが大切で、芸術と実用が二分される理由なのです。
人が使用する物を、使用者をとおして工芸的な自分が作らせて頂いている。
使用者を通して、何か別の次元と繋がることが工芸であると強く思うようになりました。
今日も印面に向かえることに感謝。
posted: 2022年 1月 24日