社会に必要とされない伝統産業とは?

良いお天気の大阪です。
昨夜は、遅くまで仕事をしていましたが、何とか『和風総本家』に間に合い帰宅出来ました。
「後継ぎはいますか?埼玉編」にFB友達のハンコ職人さんが出るとお聞きしていたからです。
帰宅すると、もうすでに番組半ばでしたが、川越のハンコ屋さんは後半でしたので助かりました。
彼のところは、ご子息がおじいちゃんの彫刻姿を見ていて「カッコイイ!」と後継ぎ宣言をされていました。
めっちゃ素晴らしい!と思いましたし、番組では家族でなくても後継がいるお話が多かったように思いますが、現実はハンコ屋さんをとってみても、彼のようなところは至極まれな話で、ほぼ壊滅状態か、あるいは若い方は副業をしていたり、転業を考えていたりされる方が多いのが実情です。
また、他の職種も同様なお話を聞きますし、番組の中でもありましたが、伝統工芸や伝統産業と言われても、社会に必要とされなくなれば、それでお終いで不安ですというお声もありました。
実際は、それが多いと思います。
後がない!
実によく聞く言葉です。
そういう実状は、番組にはならないし、勇気も元気も出ないのかもしれませんが、あっても然りかな・・・おそらく「新日本風土記」くらいならやってくれるかな・・・?
需要と供給の関係かも知れませんが、需要がなくなれば、いち早く土台であるそれらの技術が崩壊し始めます。
土台の技術と上部構造である商売が乖離し始めます。
土台は、商品の本質であり要です。
それを無視した商品やそれを破壊するような宣伝行動をとると、さらに技術が崩れ始めます。
また、土台の技術は伝統産業と位置づくものでなくとも、先人の知恵と経験の賜物であります。
それを基本とする応用でなく、それを無視するようなオリジナルというパフォーマンス的我流がはびこり、本当の技術が見えなくされることもあります。
明日は、朝早くから東京行きで、印章の技術の事について神保町でお話合があります。
一泊して、東京の日本民芸館を訪ねたりと・・・したいところですが、日曜日は仕事量調整をしなければ、まだまだ大変です。
缶詰会議が済みましたら、日帰りいたします。
(;´д`)トホホ・・・

posted: 2018年 6月 1日

山を見捨て、継承を軽んじる国

今朝のニュースで6月8日より全国ロードショーとなる河瀨直美監督の『Vision』が紹介されていました。
吉野の山を舞台にして、1000年に1度、姿を見せるという幻の植物“Vision”を探しているフランスの女性エッセイスト。旅の途中、山守の男と出会い物語が始まる。
河瀨監督と吉野の山守との語らいから、この映画の企画の出発があったと話されていました。
それは、山守の後を継ぐ継承者がいなくなり始めて、山の状態がおかしくなってきているとのお話からです。

私のお友達は、SNSの方も含めると、印章人だけでなく、手仕事をされている職人さんが多くおられます。
職種は様々ですが、多くの方が共通して言われることがあります。
後がいない!
それは、貴重な技を有している人になるにしたがい、そのように言われます。
継承が出来ていないのか、何が悪いのか、それは分かりかねますが、ドンドン稀少な技がなくなりつつあります。
推察でありますが、何か大きな蠢きが手仕事を潰そうとしています。
それにともない、人の心もおかしくなり始めているように感じます。

印章でのお話となります。
印章は、一つ一つを違うように製作することが職人に求められる仕事です。
同じものを作れば、その信用は無くなり、職がなくなるというより、印章というものが社会から見捨てられます。
印章は、もともと手のみで彫刻されるものでした。
そこに、大量生産と合理化という思想が入り込み、機械が開発導入されました。
その思想は、社会的なる要請ではなく、私はあくまで思想だと思います。
そこまでは、良しとして、印章業者も随分と荒稼ぎをされました。
象牙もドンドンと販売しました。
それは事実です。
そのうち、コンピューター技術の進化と共に、印章の世界にもそれが入り込み、その普及と共に、コンピューターが内蔵された機械が出現して、全国に行き渡るようになりました。
印章技術の継承現場が大きく変わってきたのも、この頃からでした。
それに対応しようと、継承現場では模索されましたが、その必要もなく、印章文字のフォント化が進行して、職人がそこに文字を売り始めました。
各地の継承現場に人が集まらなくなり、そのうちに継承の必要なき仕事へと印章彫刻が変容されました。
技術は廃れ、一部の手仕事を重んじる人のところのみで現在も継承努力はなされていますが、日本で唯一残っていた神奈川の訓練校は、この春より休校となっています。
来年に実施される技能検定は、おそらく100名を集めることが困難と、その前段の技術検定が物語っています。
デジタルガバメント問題と象牙を取り扱うことの困難を強いるような法改正が印章業者を境地に立たせて、転業や廃業、倒産・・・・。

そんなことを書くなというお声も聞こえてきそうですが、我々がしてきたことに、印章業においては結果がきちんと表に出始めています。
それは、手仕事を潰そうとしている黒い塊のようなモノとして私は捉えています。
沢山ある象牙の国内在庫を見捨てて、自然材を見捨てて、何かわからぬ手で作業しかねる素材を開発して消費者を騙している、だまし続けている業界に本当に未来はあるのでしょうか・・・その答えはもうすでに、前述のごとく出始めています。

山を見捨てて、継承を軽んじて・・・これからの日本はどうなるのでしょうか!
6月8日封切の河瀨直美監督作品『Vision』を楽しみにしております。

posted: 2018年 5月 23日

一級印章彫刻技能士の役割

大阪のはんこ屋さん組合の同業者の方の訃報を知らせるFAXが入りました。
その方は、知ってはいますが、もうかれこれ17,8年以上もお会いしていなく、お悔やみに参列することは控えさせていただこうと思います。
組合や技能士会の旅行でご一緒させて頂いたことを覚えております。
少し離れての事となりますが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
一線でご活躍されている同業者の方の平均年齢が益々高くなってきています。
それと同時に、同業組合の組織率というか、組織したくてもしようのない現状ですが、それがどんどん低下しています。
勿論、若い方は入ってきません。
組合にというか業界に・・・。
継承が下手な業界だと思います。
若い人、といっても40代や50代の方ですが、そのように言われ、年寄りを非難しますが、では自分が何をしているかというと、少し離れたところでぼやいているだけです。
広島の教員不足をネットニュースで報じて(知らせて)いましたが、印章業界の技術講習会や研究会では、講師不足で悩んでいます。
大阪もそうです。
他県の方にお願いして来ていただいております。
技能検定の1級の資格があれば、だれでも印刀つくりや荒彫りくらいまでなら教えれるはずです。
継承のできない業界と嘆く前に、自らが刀を持ち、後進の前に立ち、新たな自分を見つけ出してほしいと思います。
20代に基本を教えるのは、30代の方が良いのです。
30代を教えるのは、30代後半か40代前半が良いのです。
応用や研究については、その次の課題となります。
応用や研究ばかりを追っていても、後進がいなくなれば、その業は絶えます。
業がなくなれば、応用や研究は絵に描いた餅となります。
1級技能士の方は、それを看板にして満足されているだけでなく、是非とも教える側に立っていただきたいと切に思います。
それにより自分の技術の足らずを知ることが出来ます。
来年実施される技能検定・・・受検者が100名集まらずに、その後休止対象となる事が今から予想されています。
そういう意味では、1級技能士の役割が大いに問われていると私は考えます。
継承は、スローガンや空言ではなく、具体的な事の繰り返しであります。
そして、継承を受けた側は、必ず継承する側に回るべきだというのが自然の摂理だと私は強く思います。
それが、直接の師だけでなく、先人へのご恩返しとなるのではないでしょうか。
そして自分の技の存在の為にも!

posted: 2018年 5月 17日

美しいものが美しい

写真は、家内が買ってきてくれたNHKテキストです。
NHKテキストは、何年ぶりに手にしたことでしょうか。
「私の好きな民藝」・・・どうせ、民芸品や職人さんの紹介くらいで終わるのだろうと思っていたのですが、番組を見てみると、柳宗悦の思想が所々に見え隠れしているので、泥田の中に咲く蓮の花を見るような気持ちになりました。

印章業界のみを例にとっても、デジタルガバメント問題や象牙問題と二重苦の世の流れで、ものづくりや職人にとって仕事がしにくい世の中です。
社会の情勢は、テキストの言葉を借りると、「どんどん世の流れがスピード化し、グローバル化が進む、今。」であります。そういう泥田の土壌でありますが、その中からでも、その中だからこそ美しい蓮の花がさくのです。

人の意識は、「ものとの出会いを大切にしたい、身近にある自分自身の暮らしを大切にしたい、そんな気持ちを抱く人が増えてきています。そんな時代背景があるからこそ、『それぞれの個性を生かした、心豊かな社会にしたい』という考えに、現代に暮らす私たちが共感するのは必然です。」

先日の放送でもありましたが、松本の民芸館に掲げられている丸山太郎さんの言葉を最後にご紹介しておきます。

美しいものが美しい
では 何が美しいのかと申しますと色とか 模様とか 型とか 材料とか 色々あります
その説明があって物を見るより無言で語りかけてくる物の美を感じることの方が大切です
何時 何処で 何に使ったからと云うことでなく そのものの持つ美を直感で見てください
これは ほとんど無名の職人達の手仕事で日常品です
美に国境はありません

泥田の表面の汚れを見るのではなく、その中にあるエネルギーをきちんと捉えて、日々の仕事に役立てていきたいと思います。
今ある仕事や商品を無理やりその本質から外して、暮らしとはかけ離れた光を無理やり当てたとしても、その本質にあるエネルギーには逆行することとなるという事を、我々職人は肝に据えなければなりません。

posted: 2018年 4月 19日

NHK趣味どきっ「私の好きな民芸」がいいね!

昨日は、早く帰ってNHKの趣味どきっ!「私の好きな民芸」を見ました。
いい!
いい!
松本の民藝館や丸山太郎さんの娘さんが受け継いだ民藝のお店に行ってみたいと思いました。
今年のGWは、そちらの方に行くのですが、見学する時間的な猶予はないかな・・・
丸山太郎さんの娘さん、といってもおばあさんなんですが、たくさん並ぶ民藝の陶器を選ぶのに、アドバイスをされるのですかと問われると、「しません。お客さんが気に入ったものを選ばれると、それを大切にして下さいます。」

私もお客様に完成デザインを3点お見せしますが、アドバイスは致しません。
時折、アドバイスをお願いしますと言われるのですが、好きな形、文字線の好きなアール、全体的な雰囲気・・・好きな絵や好きな花を選ぶようにお選びくださいと言うだけです。
自分だけの一品は、自分を表現する一助となります。
使用していただいてなんぼのもん・・・というのが民藝の考え方であり、暮らしに寄り添う実用性を「用の美」を感じて、素敵に暮らしたいというものであります。
ましてや、印章はそうでなくてはなりません。

講師の鞍田崇さんが次のようにお話されていました。
「大量生産型の粗雑な機械的なデザインではなく、安定した美や心癒されるデザインを求める時代に変化してきている」
・・・印章は、パソコンでできるデザインをオリジナルと呼んでいる、本流とは逆行しているように感じるのは私だけでしょうか?

昨年、出させて頂いた毎日放送の『ちちんぷいぷい』を見ましたというお客様がこの4月にもお二人ほどご来店いただきました。
家内と「ちちんぷいぷい効果」と言っていますが、「ちちんぷいぷい」とは、もともとおまじないの言葉です。
ちちんぷいぷいと唱えるだけで、効果があるのかもしれません。
お店の入り口にも、当時の写真を出して、さらにアピールしています。

さあ、今日も「ちちんぷいぷい」といきましょう!

posted: 2018年 4月 18日

相棒

世の中、「手仕上げ」という言葉が一人歩きをしているようで、それが業界人の間にも常識となりつつあるので、恐ろしいと思い少しお話させて頂きます。
ネットショップでは、手彫りの価格が高く、手仕上げはそれより安価です。
パソコンフォントによる機械彫りに至っては、激安競争の同型印の大量生産となっています。
だから、一から手で彫る「手彫り」に比べて、「手仕上げ」は仕上げをするだけなので「手彫り」よりお安くできる。
作業工程の区分をしたことの弊害に対して、規範作りができなかった業界の責任を痛感いたします。
芸術的なことや学術的なこととしての論理を説明すればよいのではなく、実用印章は必ず消費者相手です。
販売、流通ということが表裏一体してます。
価格が先行して、作業区分の在り方を歪めていくことだろうとは想定されていた、少なくとも私は自覚していたことですが、それに対する規範作りが何らなされなかったことが、現在の状況や、ひいてはデジタルガバメント問題に繋がっていると解釈しています。

印面に字を書いて、荒彫りをして、仕上げをかける。
作業工程上、仕上げは一番最後です。
だから簡単なのではなく、それをおろそかにすると、それまでの工程すべてが台無しになります。
仕上げは、輪郭を少し触ることと思っておられる業界人もいます。
そういう商品が多く見られます。

今まで放置して来たことが、すべてデジタルガバメント問題に向かっています。
今まで放置されてきたのだから、私一人が今更何を言っても仕方がないし、何もできないですが、それを私の仕上げ刀(判差)は、じっと見つめているだけです。
そして私の仕上げ刀だけは、全工程を生かせるものでありたいと叫び続けています。

写真の仕上げ刀は、東村山の今は亡き名工の作です。
その他、いろいろと譲って頂いたものも試しましたが、結局ここに戻ります。
軸も筆を利用しての私流にしてあります。
勿論、サウスポー用のものです。
刀は今流の薄刃ではなく、象牙であろうが何であろうがこれ一本でこなす厚刃です。
切れるというより、もうすでに相棒であります。
相棒は、輪郭直しだけには使用したくないものです。
職人として恥を知れと言いたいのですが・・・今はすでにもう・・・

似て非なるものという言葉がりますが、分岐点というのが必ずあります。
篆刻芸術と実用印章にもそれがありました。
また、彫刻方法に於いて類似している木口木版もおそらく最初は同じで、分岐点があったのでしょうが、印章木口においては、文字を対象とするということと、この仕上げ刀を使用するということが一番大きな違いで、似て非なるものに変化したのだと思います。
有難う!相棒よ。

posted: 2018年 4月 11日

実用印章の書籍

実用印章の書籍は、あまり目にしません。
私の知るところでは、ほとんどありません。
篆刻の本や学術的な印章論の本は、多く目にします。
実用印となると、商売という見方をしがちなので、そういうところから外されますが、暮らしとは大きくかかわっているのは、実用印章・・・ハンコや判、(印鑑)と呼ばれているものです。

写真の書籍は、すべて故藤本胤峯先生の著書です。
著書ということでもあるのですが、印章通販の走りのような方法論を用いたパンフレット的役割を担う書籍であったようです。
書籍を先行させて、印章の意義や重要性を情報発信して、集客に役立てるものでありました。
SNSを通じてされている宣伝効果に注目を集めている昨今ですが、通販やネット販売の大先輩的なやり方を昭和20年~30年に実践されていた先見性には、今更ながら驚きを感じます。
巻末には、印章申込書があり、出版社への申し込みになっています。
凄い宣伝方法であるのと同時に、当時注目されなかった宣伝広告費がたくさん掛かったことだろうと推測します。
その後、昭和40年代には多くの印相家と自称された人により、それが模倣し始められます。
今度は、印相学という名称で著書を多発された時代が出現します。
やり方、方法論は藤本先生と同じですが、中身が易学先行型に変更されて、文字論や印章学、印章の歴史が欠落していました。

春ですので、それらの派生が一時期影を潜めていた新聞広告にも少しですが目につくようになりました。
また、ネットには土筆のようにニョキニョキと顔を出しています。
見ていると、一流の技術者と宣伝されている所?でも誤字が目につきます。
百年続く老舗とあると宣伝の所?も、フォント文字使用が多く見受けられます。
共通しているところは、藤本胤峯先生のような「印章の本質」発信が見られないところかも知れません。
性根が入っていないので、小手先となります。
小手先発信です。
それが売れているとのことで、驚きです。
売れればよいのかな、そんな仕事はご免被りたいものです。
さあ!楽しい仕事を始めましょう。

posted: 2018年 4月 7日

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