ホワイトと絵筆・・・修正と加筆の繰り返し
まつすぐの道に出でけり秋の暮
【作者】高野素十
実用印章を彫刻する仕事は、芸術でなく工藝であり、職人の世界であるということを、更に説明しようとしていて、何かと時間が無いのを理由にかまけて居たら、そういう大切な事は書き残さないと、ドンドン自分から逃げていく事に気が付きました。
もうかなり、逃げているのかも知れませんが、取り急ぎ覚書程度にお読み下されば幸いです。
幼い頃、小学生の低学年であったと記憶しています。
左利きの私は字が下手だと母親が心配して、近所のお寺で習字を習わせてくれました。
絵を描くようにペタペタと墨を何回も左手でお手本を真似乍ら塗り付けていました。
お前の字は、看板屋の習字だと言われ、1日で辞めてしまいました。
書道は芸術の分野であると思います。
印章を彫刻するにあたり、書を知っていることはとてもプラスになると思いますが、書や篆刻が出来るからといって、実用印章は彫刻できないのです。
今、印稿(完成デザイン)を書く時は、まず鉛筆で大まかな骨格の線を書きます。
そして、筆を使わずに、細いロットリングペンで籠文字を書き太さを与えていきます。
その後、太ペンでそのアウトラインの線の中を塗ります。
気になるところは、ドンドンと白絵具(ホワイト)と絵筆を使い修正していきます。
またペンで加筆したりして、それを何回も繰り返して、お客様にお見せする印稿(完成デザイン)を仕上げます。
その後の彫刻作業は、彫り続けるのですから、何となく工藝的な匂いは感じられると思いますが、実は彫る前の文字とそのレイアウト作りが非常に工藝的であると私は感じています。
その文字やレイアウトをする段において、自分をそこで主張すると、不思議なことに佳印のレイアウトにならないのです。
文字やレイアウト方法は先人が作って来た感覚に依拠すると、自ずと明るいレイアウト、空間から光が均等に目に飛び込んでくる、朱肉が詰まらない実用的な佳印となり、使用者が押捺して綺麗な美しい印影を表現してくれることとなります。
そして、それを後に続く者に伝える事により、さらに先人と繋がり一つの道が出来上がるのです。
自分、自分ではなく、頭を下げて教えてもらったことを次に伝える作業に中にあります。
修正、加筆、修正、加筆の繰り返し、
先人と相談しながら、後進からも学ぶ、蝸牛の歩みです。
それは、芸術が果たす役割ではなく、あくまで工藝のそれだと思います。
河井寛次郎先生のおっしゃっている
「美を追わない仕事
仕事の後から追ってくる美」
が、それにより少し説明できるかなと考えます。
posted: 2021年 10月 16日
今回で大印展の審査員を辞します
南無秋の彼岸の入日赤々と
【作者】宮部寸七翁
昨日は彼岸の中日、朝散歩で菩提寺にお参りに行きました。
少し決意がいる日で、ご先祖様に背中を押して頂こうと思いました。
お墓に手を合わせて帰ろうとすると、ご住職さまがよく冷えた缶コーヒーを下さいました。
朝食をしっかりと取り、大印展の審査会のために大印会館に出かけていくと、まだシャッターが閉まっていました。久しぶりの一番乗りでしたが、そんなに早く来たつもりはないのに・・・大丈夫だろうかという不安がよぎりました。
審査員の先生方から、何かと今回への不満を聞き乍ら、何とか審査を終えて三賞を筆頭に各賞が決定しました。
審査終了後に「個人的なご相談なのですが、今回を持ちまして大印展の審査員を辞したいと思います。」と述べさせて頂きました。
一番多きい理由はここでは述べる事をしませんが、同業組合である業界団体の運営と業界の根本である技術とその継承が乖離し始めていると思いながら、自分に無理をして続けてきましたが、もう我慢するのは止ようと思いました。
自分がやりたいことを大切にしないと、もうそんなに元気で活動できる時間が無いと考えるようになりました。
今から後の10年は私にとっては貴重な時間です。
もっと技を極めたいし、それを伝える伝え方を他分野で勉強や交流をしていきたいというのが理由です。
誰かに言われましたが、自分自身では後進は多く作ってきたつもりです。
その為の裏方仕事もしてきましたが、ここらでご免被りたいと強く考えています。
審査員の先生方には長らくお世話になりました。
心よりお礼申し上げます。
ハンコには物語がある
玉霰夜鷹は月に帰るめり
【作者】小林一茶
「実印が入用になり、印章ケースの蓋を開けてみると輪郭が破損していました。」という一本のお電話から相談を受けて、お客様がご来店されました。
奥様が結婚祝いに頂いた印章で、登録の時に一回押しただけ・・・何故輪郭が破損していたのでしょう?・・・どうも柘かアカネの木の素材にカラフルな色が塗られているその塗装?が木の素材が息をして膨張したのに耐えられなくなり、破損したようです。
お客様の近くには二軒の手彫りのはんこ屋さんがあって、自分の印章はそこで店主の蘊蓄を聞きながら、購入したとのこと・・・しかし、3年前には店主が亡くなられて、廃業されたとのこと・・・名前を聞くと、物凄く昔に組合で共に理事をされていた方のようでした。
とても寂しい限りです。
そういう技術にこだわりがあるハンコ屋さんがどんどん無くなり・・・ネットの大量生産型のお店が繁盛しているらしい・・・変な世の中だと、私は思います。
問屋さんが、悪気はないのだろうが・・・「はんこ屋さんは、一~二本のハンコが売れるだけで喜ぶ」と言われました。
分速でハンコが売れていく大手ネットショップから見ると、他愛もない一本だろうが、技術にこだわり、矜持をもっているハンコ屋さんが売る一本のハンコには物語がある・・・私は、そういうハンコを作製したい。
明日は、大印展の審査会です。
思う処あり、それを月に帰るきっしょにしたいと考えています。
※写真は、通勤途上にあるお地蔵さんの横にある掲示板に貼られていた言葉です。
posted: 2021年 9月 22日技術継承を考えなおす
選挙近し新米古米まぜて炊く
【作者】大元祐子
今朝の朝散歩は夫婦ともども寝倒しとなりました。
明日は、大印展の作品開封日ですが、早起きして頑張ろうと思います。
今日は、仕事量調整と審査員作品作りで休日出勤して、シャッター半分で作業中です。
昨日のブログ「押印廃止から押印禁止へ」にコメントを寄せて頂きましたので、ご紹介させて頂きます。
「印章自体を面倒なもの、邪魔なものと我々一般の使用者に認識させたのは申し訳ありませんが印章が無くなる訳がないと盲信し出鱈目な商売をした印章業界にあると思います。それも正しい修業をされた技能士が、ではなく売れればいいと開運印鑑やキャラ物、象牙は家庭の発展の様な霊感等一言にまとめれば胡散臭いものを胡散臭い業者が何も知らない使用者に売りつけたのが原因の何割であると確信します。印章競技会等で見られる技能士達の卓越した密刻等の技術を見れば大半の者も印章の価値が分かるでしょうし開運屋か技能士のどちらかを選ぶかは明白です。また印章の値段は地方や店によって違いがありすぎ素人には入店しづらい部分もあります、これからは印章という道具ではなく芸術としての部分が色濃くなっていくと思われますが何卒心ある技能士の方には印章文化の復権のため頑張って頂きたいと願います、私も一級技能士の方に彫って頂いた印章を持ち歩き微力ながら宣伝等させて頂きたいと思います。」
頂いたコメントへの私の返信です。
「コメント有難うございます。
私も業界内におります商売人ですので、ご指摘に片腹痛い側面もあります。
しかしながら、半分職人ですので、その道を生かして行きたいとも考えます。
道具という側面を大切にしてきた一面、芸術性というと、多くの技能士の方を見てきましたが、芸術的側面で生き残られる技能士は何割、いや数パーセント、いや数人かも知れません。
それほど技能士の方の切磋琢磨の場も減り、熟練者の高齢化は印章の芸術分野を残すことを難しくしていると思います。
ハッキリ言いますと、技術が継承されていないということです。
その点を喧しく言ってきたつもりなのですが、今からどうのこうのということは無いであろうと思います。
そういう点では、技能士としてのというより、職人としてのきちんとした伝承を怠ってきた・・・これは組織の問題のみではなく、技能士自身の問題も大きくあると思います。
技能検定継続が本当に大切だと思われている方(技能士も含めて)がどのくらいおられるかが、来春の技能検定を100名以上の受検者でむかえようとする取り組みの中から、私には見えてきたものもあります。
それは良き面、悪しき面の両方ですが、それを踏まえて、業界内部からではなく、それをきちんと伝えるために、業界を飛び出して、学び広めたいと考えています。
あなた様のご愛用の1級技能士の印章が大きな宣伝物となることを応援できるように頑張ります。」
返信を終えてからも、いろんな事を考えさせられました。
嘗て10人ぐらいで1人の高齢者を支えていましたが、今や2人で1人の高齢者を支えています。
このままでいけば、2050年には1人が1人の高齢者を支えなければなりません。
それと同様にと言うわけではありませんが、伝統や伝統技術、それに伴う組織や団体を少数の人が引き受けなければならない時代が到来することと思います。いや、もうその芽はいたるところで出ては叩かれている(隠されている)ようにも思います。
支える人に過重負担があるということは、それだけ継承の土壌が日照り続きで養分が無くなってきていると考えます。
だから、頂いたコメントにも一理あるし、私の返信にも理はあるのです。
しかしながら、誰が悪いということをいっているのではなく、連綿と無視しつづけてきた技術継承を表舞台に出さねばなりません。
それは、今の印章業界では難しいことと悟りました。(少し呆れ、嫌になってきたというところもあります。)
では、どういう風にすればよいかを業界の外から眺める機会を頂きたいと強く考えるように変わってきている自分を感じています。
子どもの運動会より大印展の裏方や講習会運営に努めてきました。
(今はその子らも独り立ちしています。)
そのお蔭で、技術継承という問題をずっと考え続ける事が出来てきました。
しかし、それらは後10年くらいの私の活動期間を狭めることに今はなってきています。
もう少し頑張るためにも、少し距離を置いて考えたく思います。
posted: 2021年 9月 19日
『印章憲章』を神棚から降ろしてガイダンス化を
一足の石の高きに登りけり
【作者】高浜虚子
朝刊に尾身先生の閉会中審査での発言がありました。
‟コロナ「あと2~3年」“
「正確には神のみぞ知ることだが、ワクチンや薬があるインフルエンザのように、不安感がなくなるには2~3年かかるのではないか」
感染者数が減ってきているので、なんとなくコロナ以降について語られている今日この頃ですが、周りを見ても安易な方向に流されないように、気持ちを引き締めないといけないと思っています。
国会においてもそうですが、あらゆる事象において、現場を常に軽視されがちです。
しかしながら、動いているのは現場で、新しい在り方を作っていくのも現場です。
よくお話する『印章憲章』は、印章業界の理想形であり憲法と言って過言ではありません。
しかしながら現実の市場は、それに反する状態が横行してフェイク印章が氾濫しております。
それへの対応をせずして、いくら『印章憲章』を掲げても「絵に描いた餅」であり、具体的なる方策が見いだせないままに、昨年の「押印廃止」の河野発言に繋がりました。(総裁選での知名度がそれにより上がったのは事実です。)
そして、印章の価値は低落の一途を辿っています。
印章の製作現場を変えていくには、印章技術の継承現場を変えていかねばなりません。
頃は常日頃より私が喧しく言っていることで、皆さん耳にタコが出来ているかもしれません。
そして今、技術の継承現場は疲弊しております。
その理由は、技術を『印章憲章』とともに神棚に置き、現実の製作現場とは大きく乖離してしまっているという事だと思います。
技能検定2級の対策講座が各地で開催されて、私も愛知県に呼んで頂いておりますが、こう言う手仕上げの講習や将来的にはパソコンを使用しての文字レイアウト講習などもしていかないと、製作現場とかけ離れた講習会の在り方では、技術屋も育たなくなり、新しい芽が摘み取られて行くことになります。
それは私の理想でありスピリットのほとばしりからの発言ですが、これも現実的には受け入れられてきませんでした。
きっと、これからも難しい事だろうと思います。
今日の朝ドラ『おかえりモネ』のなかで、一般の人から天気の情報を集めるアプリの運用を始めだした朝岡さんが、「私は私の方法でも発信したいと考えています。」ととある場面で言われました。(朝ドラ見ていない人ごめんなさい)
私も今強くそういう気持ちになっています。
そして、神棚に祭り上げられている『印章憲章』と先人よりの技術を製作現場での身近な指針に引き寄せていきたい。
posted: 2021年 9月 16日
最後のフライト
八月のしばらく飛んでない箒
【作者】森田智子
箒に跨り飛んでいるのは、魔女ですね。
映画『魔女の宅急便』の中で、主人公のキキが自分に自信を無くして箒で空をとべなくなる場面があります。
自信は継続の中から生まれます。
当たり前のようにずっとしている事、キキにとっては空を飛ぶこと、それが何らかの原因でできなくなると、その再生にはとてもエネルギーがいります。
今、ドンドンと押印体験の場が減っています。(この文をその理由と共に書きましたが、削りたくなり削りました。)
押印体験の減少は、「しばらく飛んでいない箒」と同じです。
9月から技能検定の各会場予定地域での職能による説明会が始まります。
いわゆる実施団体への「意向調査」です。
3年前の木口彫刻作業、昨年実施されたゴム印彫刻作業も大阪会場の段取りをさせて頂きましたが、やはり「しばらく飛んでいない箒」的な状態で、忘れていることが多い状態です。(年の所為でもありますが)
「しばらく飛んでいない箒」に跨り空を飛ぶにはエネルギーが必要です。
明後日から空を飛び少し遅い個人的な夏休みをとり、英気を養い9月からの嵐の空に臨みたいと思います。
そして、これを最後のフライトにしたく考えています。
どうあろうと、どのようになろうと、いつまでも飛び続ける事は周りにも私にも意味を持たないと感じております。
キツネノカミソリ
きつねのかみそり一人前と思ふなよ
【作者】飯島晴子
土曜の夜に2回目のワクチン接種し、翌朝には家内と朝散歩をしました。
2回目は熱が出た人の話を聞いていましたが、何ともないやんと高を括っていたら、午後から微熱・・・そして39度台まで行きました。
今朝はスッキリとまではいきませんが、平熱に戻りました。
一日中横になっていたので、夜寝れないかなと心配しましたが、充分な睡眠がとれて、却って良い休息になりました。
さあ、8月が始まりました。
緊急事態宣言でもありますが、この8月はほぼ行事がありません。
技術講習会もありません。
名古屋の講座もパスさせていただきます。(ごめんなさい)
以前より8月は休息月と予定していたので、行事は入れないし、あっても行かないと決めていました。
9月に入ってからが大変だろうと思いますが、他所事は参加程度で技能検定関連を中心に位置づけて動こうと思っています。
そうすれば、次が見えて来るかなと思い、そうします。
見えないことをがむしゃらに頑張っても仕方がないかなと考える年になりました。
職人の仕事を覚えるのは、最初の3か月から一年、次は3年目、5年目、10年と節があると思います。
えっ!十年では一端ではないの?という声が聞こえてきそうですが、一端というのは漸く職人の仲間入りが出来た、その端においてやるよという段階だと思います。
この最初の一年や3年目までに、このコロナ禍は2年以上を占拠して、現場での経験や対面講習会がおろそかになってきています。
一番大事な時に、それらがないというのは・・・職人にとって致命的なことであります。
それは10年選手の節目の人にも同様な事が言えます。
10年選手が後進の指導ができない環境になってきています。
実は、これも致命的な事なのです。
職人自身が一人前などとか、ましてや作家などと言うのは、NHKの京都ドラマではないですが、千年早いという事だろうと思います。
今夜、狐が剃刀を銜えて枕元に座っているかもしれませんよ。
posted: 2021年 8月 2日