死んだハンコ

昨日は、散髪屋さんに行きました。
ずーっとお世話になっていた散髪屋さんが廃業されました。
どこに行こうか?と考えあぐねていましたが、激安店?には行きたくないなぁ~と・・・同世代の友人から聞くと、それは嫌やろという内容でしたので・・・
しかし、若い人が行くようなメンズ~~~や美容院にも行きたくない。
3,600円の所がよい・・・・「散髪屋さん」と言われるところがよい・・・
難しい世代なのです。
家内からは、大した頭でもないのにどこでもええやろ!・・・と。

思い切って、お店に近いところにある散髪屋さんに勇気をもって入りました。
結果オーライ!
長いお付き合いが出来そうなところです。
特に、髭をあたるのが上手です。
昔からあったのかなと思っていたのですが、お話を聞くと、阪神大震災で神戸から店を焼け出されて、こちらに越してきたとのことです。
じゃあ、私と大阪での起業が同じで、尚更共感できそうです。
3,500円・・・前の所より100円安い!

本来、散髪屋さんもハンコ屋さんも技術職のはずです。
一人ひとり違う頭に対応しなければならないのが散髪屋さんで、一つ一つ違うハンコを彫らなければならないのが、ハンコ屋さんのはずです。
人の頭を機械にいれて散髪する時代が来るかもしれませんが、印章はすでにそういう時代に入っているということが社会的に認知されています。

池上彰さんに聞く「AI、ロボット時代の人間の仕事」という番組の中で、将来AIに取って代わられる700万職種の仕事が無くなる。
その代わりに720万職種の新しい仕事ができるというお話をされていました。
もうすでにAI以前の問題として、印章彫刻はパソコン機能とフォント文字による彫刻に取って代わられていて、技術者や技能士の頭脳は社会的に不要になっているというのが現状かなと思いました。

ある印章彫刻職人さんのブログに次のような事が記されていました。
「技能士=いいハンコ⁉」として、技能を持ったハンコ屋さんが、良い仕事をしているわけではないとお話されていました。
医師免許を持っておられるお医者様も、名医もおられれば、言葉は悪いですがヤブ医者もいます。
それと同じだと思います。
ただヤブ医者に見てもらうと死ぬかもしれませんが、ヤブ職人にハンコを彫ってもらっても死にはしません。
死にはしませんが・・・見えない良さを感じられないし、捺印時に幸せをシェア出来ないことでしょう。
努力されている技術屋さんは、技能士でなくとも想いを込めた仕事をされます。
フォント文字をそのまま使用されているハンコ屋さんは、たとえ技能士でも同型印販売の危険性を持つだけでなく、彫刻においては想いを込めることができません。
それは、「死んだハンコ」・・・。

AIは、720万職種の新しい仕事を生むかもしれませんが、その反面失くしていくことや消滅していく仕事の中にある大切なものをも同時に無くしていくような気がしてなりません。
デジタルガバメント然りですね。

posted: 2018年 9月 10日

ものづくりのスピリット

昨日は、午前中だけでも店に行こうかどうか迷ったのですが、思い切って台風21号接近・上陸の為に臨時休業にさせて頂きました。
ず~とテレビでの報道を見ていました。
風は尋常ではなく、最大瞬間風速47メートル越えでした。
今日の通勤時に、大通りを挟んで、わりと重そうなスナックの看板が100メートル以上吹き飛んでいたのを見ました。
短い時間でしたが、停電もあり、とても怖い想いをしました。
ず~とテレビを見ていただけなのですが、仕事をしているよりも疲れたなと嫁と話していました。

夜になり、台風の恐怖から解放されると、そのままドラマを見ました。
『義母と娘のブルース』のなかで、朝ドラの律君役の佐藤健さんが潰れかけのパン屋さんをしているのですが、名人と言われたお父さんに指導してもらうも、教えることは何もないが、不味くもないが美味くもない・・・普通のパン・・・それでは売れない、次に買おうという気にさせれない。
お父さんいわく、「本当にこのパンが世界で一番美味いパンだと自信をもってつくっているのか?」の問いに応えられない律君こと麦田章。
彼が作るパンには職人の想いが入っていなかったのです。

今朝の朝ドラ『半分、青い。』のなかで、その律君が、かんちゃんと一緒に動くカニさんを作ります。
そして、現在管理職で、エンジニアとしてモノづくりに携われていない自分に気づき、子供の頃、周りの人の笑顔を見たくて作ったモノづくりのスピリットを思い出します。
相手の為に作る
使う人が喜ぶ顔を見るために作る
その感動からすべてが始まる

台風一過で、同業の方でも看板が飛んだというお話も聞いています。
今日は、後始末で大変なところもあると思います。
心よりお見舞い申し上げます。

三田村印章店は、「姿のうつくしい印章」をお届けするというスピリットを掲げ、今日も元気に頑張ります。

posted: 2018年 9月 5日

こだわり=コンセプト=強味

朝ドラ『半分、青い。』のお話。
いよいよ「ものづくり」のお話になってきました。
鈴愛は、少子化のために廃校になってしまった校舎をオフィスにしている津曲の会社を訪れます。
そこには、楽器を作る人やデザイナー、家具職人、こだわりのパンを販売するお店、IT系など、自分のこだわりをもった人が多く、「お一人様メーカー」を経営する人もいます。

少子化というところがミソだと思います。
ドラマの当時は、リーマンショック後の世界的金融危機の時代でした。
総理大臣もコロコロと変わり、何を信じていけばよいのかがわからない時代に突入していったのでした。
そんな中で、大量生産、大量消費の時代に終焉が見えつつあったころ、個性を大切にする生き方や、共鳴共感を広げていく「ものづくり」がクローズアップされてきました。
人は少なくなっていき、少子高齢化社会を目の前にしていました。
今は、既に少子高齢社会ですね。
たくさんの人にたくさんの商品を安価に供給することに行き詰まりが生じてきて、ついには見栄えをよくするために「偽装」しなければならなくなってしまいました。
今は、国会において、数字合わせの「偽装」をしているようですが・・・

モノを作るには、コンセプトが必要です。
それを消費者側からは、「こだわり」と呼びます。
そして、そのモノを商品化するにも、コンセプトが求められます。
商品を販売するために、それを発信していくにもコンセプトが前提とされます。

そう、こだわり無きモノ、物、者は、大量消費終焉の時代には意味を持たないのです。
そして、未だにこだわりなくモノをデコレート(偽装された「こだわり」)している、コンセプト無き商品とその販売は、大量販売と大きな儲けを果たさねばならずに、右往左往しているようです。

ドラマの中の廃校での「お一人様メーカー」の人達は、儲けてお金持ちになりたいというより、自分のこだわりを大切に、理解していただける人に使用してほしい、食べて頂きたい、大切な人にプレゼントしたいという想いを先行させた仕事をされています。
とてもワクワクするお仕事で、楽しそうです。

明日からのドラマの展開が待ち遠しくなりました。
ワクワク、楽しみですね。

posted: 2018年 8月 30日

仕事の拠り所

秋立てば それに従ふ 天地かな  星野立子

関東中心なテレビ局は、台風への警戒をわめき立てるなか、立秋を過ぎても暑すぎる大阪です。

先日、39度を超える京都での納涼会に寄せて頂いた道すがら、京阪電車の車中で、積読にしていた三谷龍二著『すぐそばの工芸』(講談社)を速読いたしました。
読後感を絡めて、最近思っていることをお話いたします。

私のつくる印章は、暮らしに寄り添う実用道具としての印章です。
そこから離れるつもりはありませんし、それが自分の思想であり、職人としての生き方ですので、誰に文句を言われる筋合いもありません。
「生活工芸」の考え方や「民藝」の思想は、私の仕事の一部をなすもので、すべてではありません。
しかし基底にあるもので、揺るがないものです。
バーナード・リーチが言ったように「自覚的な方法を持つ芸術家」と「自覚と無縁な職人」のつくるものは、天の円卓におかれた時に、どちらも「美しい花」であります。
「美しい花」に工芸、美術といった垣根はなく、芸術家のつくったものも、職人のつくったものも、美しいものには優劣はありません。
しかし何に依拠するかで、ものの本質は変わり、そこから生まれる感覚も少しずつ違ってくるように思います。
人が暮らす地面から浮き上がってしまった「工芸」への批判として、「民藝」が大地性を重んじ、「生活」を見失ってしまった作品群への自戒を持つことが大切だと主張する点に、私も共感いたします。
それは、なにげないようでいて、とても大切なことだと私は考えます。
そういう自覚を持つことが、今後の職人の在り方を決定づけるように思えてなりません。
現実は、ドンドン簡単にハンコができてしまう「無自覚な印章」を社会に輩出ではなく排出しているのが実態です。
それに対して、職人たる自覚を持ち「自覚有る印章」を消費者に提供するのと同時に、自らの言葉で「歴史ある印章の本質」を伝える事が大切だと思います。
著者の三谷さんは次のように話されています。
「ものの本質は、人の心に響くということだと思います。上手に話す人の言葉が、必ずしも人の心に届くものではありません。朴訥と、決して上手くはない喋り方の人の話がむしろ心に響くことは誰もが経験してきたことだと思います。」
今は、誰にでもできる、いろいろな発信方法があります。
「自覚と無縁な職人」のままでいれば、いくら美しいものを追い求めても、業が息絶えていては、無用の長物としての技能か、趣味と同一化した自己満足の技術屋ごっことなってしまうこと然りであります。

お盆を前にして、バーナード・リーチの言われた「無名の工人」が帰ってきておられます。
先人に合掌を。

posted: 2018年 8月 8日

心技体の三位一体の仕事

暑い日が続いていますが、その朝から炎天下の大阪恵美須町、大印会館には、それよりさらに熱い想いをもった講習生が15日の日曜日に集まっていました。
「継続は力なり」を私自身も感じた一日でした。
翌日の海の日は、海には行かずに、ゆっくりとさせて頂き、久々の休日気分を味わいました。

夜のテレビで、これも久しぶりの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました。
宇多田ヒカル、最近の歌が一皮むけたような気がしていたのですが、色々とあられたんですね。
素晴らしいのは、歌への情熱が覚めないモチベーションと、自らの内実に真摯に向き合い妥協しない歌作りをされている姿勢が、音楽に興味のない私の感性までをも取り込むことのできるものを作り出しているのだと思います。
プロの仕事というものは、心技体の三位一体だと思います。
バランスではなく、三位一体なのです。
どれだけ技術が高いと思っていても、他を小馬鹿にするような心根では、その自惚れた技は、心根が低めてしまいます。

今朝のNHKニュースで奈良の舞妓さんのお座敷を紹介していました。
女将兼現役の芸子さんが、おっしゃっていました。
『多くの人にお座敷の楽しさを知ってほしい。私らの仕事は、斜陽になり始めています。変えていかないといけないところは変えないとダメです。楽しいお座敷やったと思っていただきたい。「なんや面白うもない」と思われたら、もうそれでお終いです。』
それがプロフェッショナルだと思います。
私もお客様に精魂込めて製作した印章をお渡しする時が一番緊張します。
「なんやこれ・・・」と思われたら、そのお客様は、二度と当店に足を運ばないでしょう。
さらに怖いのは、「ハンコってこんなもんや・・・。」と思われたら、それでその人の印章への価値は、その醜いハンコによって限定されてしまうということです。
プロフェッショナルとして、宇多田ヒカルさんや奈良の舞妓さんのように熱い情熱と仕事に対する厳しさと他を認めることができる心の柔らかさをもって、新しい週も頑張ります。

あっもう火曜日だった・・・。

posted: 2018年 7月 17日

本義に外れたことは・・・

今日と明日は、氏神さんの夏祭りです。
太鼓やお神輿、獅子舞が町々に繰り出します。
一時期、夏祭りを土日にして、さらに盛り上げようという話が出たと聞いたことがあります。
たまたま土日になることもありますが、神事ですので、勝手に日にちを変えることは出来ません。
イベントなら盛り上げる事が最重要課題ですが、神事であるお祭りの日程を変えてまで盛り上げようとなると、本来の趣旨から外れたものになってしまいます。

消費者の方からお電話を頂きました。
「デザインを使用者とともに考えて頂けるお店とお聞きしたのですが可能ですか?」
どういう意図でお聞きになられたのか、少しわからないところもあるのですが、当店のコンセプト「三田村印章店は印章をきちんとデザインする印章店である」という発信や当店のお客様からの口コミのお蔭かも知れません。
ただ、印章の本義を変えてまで、消費者の要望のみを取り入れて作製するというものではありません。
「お花がすきだから、花の絵を入れてほしい」
「ピアニストなので、♪をどこかに忍ばせてほしい」
「アニメのキャラクターの端に名前を彫ってください」
・・・そういう要望には、当店はお応えしておりません。
印章の本義に外れたことは、お客様自身の信を示す道具としての価値と印章そのものの価値を低下させることとなり、暮らしに寄り添う実用としての印章を玩具化してしまうことに他ならないからです。
お客様や使用者への想いを大切にそれをきちんとデザインすることは重要ですが、時流や嗜好のみをとりいれることが、印章の本義を崩すことになる場合には、お断りさせて頂きます。

今日の昼からと明日は、太鼓の音と子ども神輿の掛け声でにぎやかになる事でしょう。
また、生魂締めの声と拍子木の音が夏を迎える地震の後の町々の平穏を守ってくれることを祈りたいものです。

posted: 2018年 7月 11日

才能の限界?

朝ドラ「半分、青い。」のお話。

鈴愛が漫画家を強い決意で辞めました。
強い・・・に少し疑問を感じます。
才能に限界を感じたから・・・止めます。
秋風先生も、第二の人生を歩ますために、「マンガを止めなさい」
「物語の構成は、努力だけでは補えないので・・・」

それは、努力だろ!と、思わず突っ込みを入れたくなりました。
努力だけでは補えない物、天分はあると私も思います。
その人の持っている線質・・・ペンで描く線の質感は、各個において必ず違うので、絶対同じにはならない。
しかし、その線質を上手な人に合わせようとするのではなく、自らの線質をどう使えば効果的かを自分で考え出すことが努力で出来ます。
天分は、努力で必ず補えます。

亜流や我流の道を歩んでいる人が、謙遜して言われることがあります。
多くの人を見てきましたが、不思議と必ず言われます。
それは・・・「私は基本ができていません。」
基本が出来ていないということは、その上に積む応用もできないのです。
ましてや、オリジナルなどできるはずがないのです。
基本は、全ての出発点です。

今、その基本を教えるところが減ってきています。
悲しいかな、教えられる人も少なくなってきています。
教えられる人がいないということは、基本を理解している人がいないということです。
それは、その人に出発点がないから基本を教えることも自らの技術にも基本を踏襲していない、曖昧さを残しているのです。
現在の印章の技術においてそういうことを感じます。
他の職種においても、時折似たような話を見聞きします。

話は朝ドラに戻りますが、漫画家時代から次の時代を設定するのに、漫画との決別をするために、ドラマの構成上そうしてあるのでしょう。
ただ、努力は天分をカバーできるということだけは、自分の経験からだけでなく、いろんな人を見てきての私が自信を持って言えることです。
そして、天分を持っているからと言っても上手くいかない人もいました。
見ていて、「神は二物を与えず」という言葉があるようにも感じました。

また、天分は誰にだってあります。
その天分を生かすも殺すも、その人の努力だと私は思います。
趣味ではなく、プロに仕事として大成するかどうかは、基本から目をそらさないということです。
基本を理解するということは、努力を継続するというかなり大変な作業があります。
それから目や手を背けていたのでは、常に何かに引け目と、自らへの疑問を持ち続けなくてはいけないことでしょう。
それも苦しみかな・・・。
同じ苦しみなら、基本習得に努力する苦しみを味わってください。
その苦しみの次には、自らが何をすれば良いかが、必ず見えるはずです。
見えていない人は、基本習得が出来ていない人です。
亜流や我流で通そうとすると、そのうち行き止まりを感じ、飽きてしまうことでしょう。
亜流や我流は、本流にはつながりません。
そうならないように、共に頑張りましょう!

posted: 2018年 7月 4日

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