手仕事のプライド
きさらぎや 人の心の あらたまり
【作者】吉分大魯(よしわけ たいろ)
今日は調子が良い日です。
手仕事をしていると、そういう日ってありますね。
印稿(完成デザインの草稿)を考えていて、輪郭である円のなかで、鉛筆を滑らしていると、線が線を生んでくれます。
文字骨格を線書きしていて、その線が全く上手い形に収まらない、頭に来て破いて捨てて、本当に文字との格闘だと思う日もあります。
書いている線が次の線の予兆をしめしてくれたり、模索して沢山の線の中から美しい線が生まれてくることもあります。
仕上げ刀を何回砥いでも切れるという感覚が伝わらない、上手い線が表現できない日もあります。
そういう日は、仕上げを止めて、別な事をします。
だから、より良い物を作るための職人仕事って時間が掛かります。
デジタルには、ここのところ色々とミスが続いていますが、本来デジタルや人の手が入らない機械仕事は、安価に大量に安定した供給をしてくれます。
しかも今流行りの迅速に・・・。
やはりそれらとは一緒にはして欲しくないし、一緒にはしたくないという、手仕事のプライドが私にはあります。
posted: 2021年 2月 10日仕事
寡作なる人の二月の畑仕事
【作者】能村登四郎
以前にもご紹介させて頂いた句かも知れません。
何となく、今はそういう気分です。
寡作であっても、2月の今から畑仕事をする。
大規模農業(経営)をされている人からすると、わずかな作物しか取れないけれど、丹精のこもったその地からの素晴らしい恵みであります。
それで満足する。
足るを知る在り方(経営)もいいのではないかな。
仕事の仕方にはいろいろあると思います。
仕事の捉え方も様々なことでありましょう。
「いい仕事していますねェ・・・。」という仕事と
マルクスの言いう『賃労働と資本』の労働としての捉え方の仕事もあるでしょう。
みんな一括りにはできませんが、「働き方改革」という働き方の中にある仕事や、リモートワークという仕事は、みんな一括りに仕事を纏めようとしているような気がしてなりません。
リモートワークって何でしょう?
それは、パソコンの前に座ってする仕事?
それが悪いというのではなく、なぜ、全ての仕事をパソコンを前提にするのだろう?
デスクワークばかりが仕事でないし、家で出来ない仕事もある。
自分の置かれた環境やその中で楽しく仕事をしているのが普遍的な事
それを一つにまとめようとするところに無理があります。
以前にもお話したことがありますが、「村の鍛冶屋♪」という嘗ての小学校唱歌である鍛冶屋さんの仕事が大好きです。
鍛冶屋さんではなく、その仕事に向き合う姿勢が大好きです。
今日もいい仕事ができるように、自らの畑仕事に精を出します。
*写真は、河井寛次郎60歳頃の拓本「仕事」です。
posted: 2021年 2月 5日用と美
春立つと古き言葉の韻よし
【作者】後藤夜半
千里山の大阪民藝館を訪れた時に、考えていたことがあります。
実用の道具の美を考える時に、作り手と使用者の存在があります。
「用の美」という言葉が好きでしたが、柳宗悦が言った言葉ではなく、その後の民藝運動で出来上がった言葉であるとある方に教えて頂きました。
柳宗悦は「用の美」ではなく、「用と美」と言っていたらしい。
今の私にとっては、その方が確かにしっくりと来ます。
作り手は、先人から伝わる美の本質を確かめながら、そして次にその美を示しながら、自分の位置を確かめます。
その方法は、使用者との共鳴であると、最近考え出しました。
使用者が作り手の用を使用して自らの実用道具として高めていく。それは以前お話した職人が自らの道具を調整していく過程に似たものかも知れません。
印章の依頼を頂き、調整の彫刻を施し、依頼者にお渡しする。
そして、それを登録などをして捺印することにより開眼させて、自らの道具として高めていく。
一時の使用ではなく、長きにわたり、重要な場面で活躍を使用者と共に作っていく。
この流れが大切なことです。
そして、その用の中に、美を見つけ出す喜びを感じる。
それが日本的であり、日本的霊性のなせる業であると、懐かしの太陽の塔を見上げながら、自分の中の腑に落ちていきました。
posted: 2021年 2月 4日足らずを感じる力
二月はやはだかの木々に日をそそぐ
【作者】長谷川素逝
大阪日本民藝館の展示室の最終渡り廊下を渡ると、階段下の小さなビデオ上映コーナーがあります。
4~5脚の椅子にゆっくりと座り画面を見ていると、バーナード・リーチのお孫さんフィリップ・リーチさんのお話が始まりました。
濱田庄司のもとに、若い青年が自分で焼いた陶器を風呂敷に入れて持参してきた。
その作品を濱田先生に見てもらいたいとのことでありました。
二人が、その陶器を中にはさんで、沈黙が流れる・・・傍には、柳宗悦やおじい様のバーナード・リーチが見守る・・・さらに沈黙が流れる・・・おもむろに席を立った濱田庄司は手に朝鮮の名も無き陶工の白磁を持ってきて、その青年の作品の横に並べた・・・更なる沈黙が続き、青年は再び自らが持参した陶器を風呂敷にしまい、「有難うございました」と一礼をして出ていった・・・
バーナード・リーチは、厳しすぎるのではと濱田に問うと、「いや彼は、自らの作品と美しい朝鮮陶器を見比べて、自らの足らずを認識できたのだ。これでよいのです。」と応えた。
孫のフィリップ・リーチさんは、日本的過ぎる伝え方(伝承方法)だと言いました。
昨日休養方々出かけた一番の収穫でした。
理路整然とした論理で伝える。
今の伝承方法だと思います。
それが良いと思ってきました。
しかしながら、最近少し違うのかな~と思い始めていました。
解剖学者の養老孟司さんもテレビで、理路整然とした論理や文章ほど、胡散臭いものはないと言われていたのを思い出しました。
見て覚える、見て感じて、足らずを知る
そして、見て、圧倒的な感動を覚える
それが一番なんじゃないかな
もの作りにとって
デジタルに対峙するよりも、そういう土俵にはいらない圧倒的な感動
それが求められているように強く思いました。
濱田のもとに教えを乞いに来た青年には、足らずを感じる力があったのだと、強く考えさせられました。
私も精進努力して、そういう力をつけたいものです。
posted: 2021年 2月 1日職人
或日あり或日ありつつ春を待つ
【作者】後藤夜半
春を待つ冷えた体を温めるために、湯船につかり疲れをいやしていると、ふと、「あれだけ嫌がっていた職人によくなったものだな」と誰かがささやいてくるような気がする。
私は印章店を営んでいますが、実家は祖父が福井から単身大阪に出向き、職工から独立して開業した印刷物加工業(断裁業)でした。
いわゆる、断ち屋の職人です。
子どもの頃、あさ、「行ってきます!」と大声で工場である家を出て行く時に、もう仕事の段取りをしていた祖父・・・祖父は頑固で父親よりも子どもの私にとっては存在感が大きい人でした。
高度経済成長の波に乗り、船場の糸へん景気で沸いた印刷物問屋街はとても忙しい日々でありました。
朝から晩まで、夜なべ仕事もあり、なりふり構わず、黙々と働いている姿がわたしにとっての職人の姿の記憶であります。
勤勉以外には、お酒が大好きで、休みの日には一升瓶を持って出かけるか、仕事仲間が来ての酒盛りであったように思います。
その匂いが大嫌いで、職人=酒臭い人、遠慮のない人と、一家総出の職人家業は職人のいやな面をかぶりながら生きてきたと言えます。
母親なぞは、計算が出来ないのが職人とよく嘆いていたのを覚えています。
働いている映像しかなく、働いても働いても、まだ仕事・・・。
そうはなりたくない、ネクタイを締めて、背広を着て仕事に出かけたいとず~っと思っていました。
印刷物加工業が印刷業の衰退とともに無くなっていき、実家があったあたりを印刷物問屋街であると知っている人も少なくなりました。
昨年来のコロナ発による「脱ハンコ」騒動で、繁忙期に向かうはずの印章業には、目下仕事が少ないようです。
大手のネットショップは大量の宣伝を打っておられますが、どうなのでしょう?
象牙の業者登録申請期限も迫ってきていますが、儲からない業者登録を何故しなければならないのかと、登録廃止を考えておられる同業が多いと聞いています。
認印を奪われた業界は、今後どうなるのかは、私にもよくわからないところですが、印章が氷河期に入ったことは確かで、今年は業界の在り方が大きく問われ、現実として方向を定めなければならない岐路に立たされていく事だろうと推察致します。
昨夜、NHKで養老先生を見ました。
その中で新潮の編集の方との会話で、コロナは人に多くの気づきや先生の仕事への題材をくれるというお話があり以下の文章をネット検索しました。
コピペにてお許しください。
「自分が日常を生きて行くときに排すべきなのは。本日のコロナによる死亡者何名という神様目線であろう。神様目線が生存に有効になるような社会を構築すべきではない。神様目線の対極は文学の目線であろう。我が国の文学は伝統的に花鳥風月を主題としてきた。当たり前だが、花鳥風月は人ではない。コロナが終わった後に国民の中に対人の仕事をするより対物の仕事をする傾向が育てばと願う。具体的には職人や一次産業従事者、あるいはいわゆる田舎暮らしである。そういうことが十分に可能であれば国=社会の将来は明るいと思う。対人のグローバリズムに問題は多いが、対物のグローバリズムに問題は少ない。自然科学は対物グローバリズムといってもいいであろう。物理法則は言語や文化の違いで変化しない。対人より対物で生きる方が幸せだと感じる人は多いと思う。」
【新潮社 新潮 [特集/特集・インタビュー] (哲学・思想)】
posted: 2021年 1月 30日
the Revolution of skilled craftsm…
「論語読みの論語知らず」(『上方いろはかるた』より)
『人新世の「資本論」』で最近話題になっている斎藤幸平さんが、ゲスト講師を務めるNHKの100分で名著『資本論』の第3回目を見ました。
NHKが『資本論』を取り上げる時代なのかと、少しびっくりしています。
第三回目のテーマは、「イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を産む!?」という内容でした。
資本主義下、企業間の競争が激化する中でのイノベーションは、効率化を求めるあまり過度な分業化を推し進めてしまう。その結果、本来豊かな労働を「構想」と「実行」に分離、創造的な「構想」のみを資本家が奪い、単純労働のみを労働者に押し付けるといった過酷な状況が構造的に生じてしまうというというお話でした。
なんか、職人という仕事(労働)に当てはまるなぁ~と思いました。
嘗ては、職商人と言われた印章業です。
職人が作ったハンコを職人が販売していた。
その時には、上手い下手が商売のカギを握っていました。
世界に一つしかない印面を作るという創造的な仕事を職人の腕(技術)が担っていました。
それを機械化するにも職人の知恵は役割を果たしました。
しかしながら、そこには価格と納期の競争を引き起こしました。
資本家は、技術を平均化して消費者に分からない商品が出来るロボットを開発し、それを使用して市場にさらなる競争が激化しました。
その次は、流通の在り方が変化していくなかで、さらなるイノベーションによりインターネットでの販売競争が激化して来ています。
いわゆる、イノベーションが上手なところがネット販売を握る状態が出来上がり、ついにはその商品は中身のない、印章の本義を捨て去った商品となっていきました。
ドンドンと商品の価値が低下してくる中、コロナによりあぶりだされた「脱ハンコ」という騒動がおこり、価値無き印章の市場からの退場を求めてきました。
イノベーションに頼るしかない資本家は、それでも利益追求を求めて大量の宣伝に打って出ているのが現状であります。
ここに一つの逆流の芽が潜んでいます。
資本家に奪われてしまった本来豊かな労働を取り戻し、「構想」と「実行」を再統一する動きであります。
即ち、嘗ての職人仕事の復元であり、復興であります。
それを具体的にどうしていくかは、残り少なくなった技を有する職人の考え方の転換だと私は強く思いました。
学生時代、経済学部でした。
もう少しきちんと『資本論』を読んでいたらなぁ~と後悔致しますが、さらにNHKで勉強をさせて頂きます。m(__)m
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/index.html
posted: 2021年 1月 19日
何を受け継いでいかねばならないか
うそのやうな十六日櫻咲きにけり
【作者】正岡子規
2年前の「最高の道具・・・手」のリブログに頂いたコメントとその返信をそのままご紹介致します。
頂いたコメント・・・
「先日印章ケースを作っている職人さんにカチッと閉まらないケースを修理に出したところ、こんなものかな?と手で少し曲げた?ら完全に閉まるようになりました。長年の経験がなければできないことでありその他にもケース製作の際の拘りも色々話して頂きました。私もこの歳になって思うのですが簡単に作ったモノ、安価にはしったモノを優先させる人生は薄っぺらいものであると感じます、印章に限らず修行をした技術者の手により作られたモノを大切に使う、それが高価であっても使う度に幸福感がある、今の薄っぺらい時代に残された最後の至福であると信じます。」
私の返信・・・
「ケースの金具は「かしめる」と自分の納まるところを知り、きちんと閉まるようになるとケースを作製している義父に聞いたことがあります。
職人も修業をして「かしめられ」、何を作っているのかの職人道徳を技術とともに叩き込められるのが、本来の姿だと思います。
修業は死に物狂いの大変さを伴います。
それが嫌で、それに向かわないのに職人面した職人や、日々使用しているデジタル的な事に呑み込まれて行ってしまうのは、もはや考え方の時点で職人ではありません。
つい先日、お客さまより「職人」と呼ばれる事は嫌ではありませんか?作家とか印章デザイナーとかお呼びした方が良いのでしょうかと問われました。
いや、職人と呼ばれる事にプライドを持っています。
職人で構いません。
むしろ、職人と呼んでくださいと・・・
いま、印章業界に日々手を動かし、印刀や仕上げ刀を手で砥ぎ、手仕事をされている本物の職人さんが何人おられるでしょうか?
また、印章の本義を大切に守ろうと努力されている職人さんは何人おられることでしょう!
薄っぺらい時代ですが、貴殿のように手仕事の重みと魂を理解してくれる人の為に、もうひと頑張り致します。」
最後に、先日ご紹介させて頂いた『刃物たるべく 職人の昭和』の背表紙に書かれていた文章の一部をご紹介致します。
「・・・神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気と呼ばれた、戦後いくつかの好景気の波は、豊かさや便利さを生活にもたらす一方で、日本人の価値観や感性を変えていった。
より安価に、早く、多くのモノを均一に生産しうる新技術や新素材は、道具を使ってものを生み出すことにかかわる価値観や道徳を変質させ、あれほどの輝きを放った技術の系譜は、昭和から平成へと時代が移る頃、老鍛冶・老職人たちの退場とともに終焉を迎えようとしていた。・・・」
その中から、その教訓から今の我々技術者・職人は、何を受け継いでいかねばならないかは、コロナが教えてくれた、又あぶり出してくれている大切な事象ではないだろうか。
posted: 2021年 1月 16日