雷様と市江さんに怒られました
昨夜の何時頃かは?なのですが、わりと長い雷鳴を寝床から、神様に怒られているような気がして聞いていました。
昨夜J:COM12チャンネルで視聴した『繕い裁つ人』の中谷美紀が演じた市江が、仕立て屋さんの老職人に目に涙をいっぱい貯め乍ら、自分の気持ちを吐露したシーンでは、まるで自分が市江に窘められている老職人であるが如く感じました。
老職人は、老舗デパートの専属の仕立て直し屋さんです。
齢64歳で、デパートからの仕事が収入の中心で、その頼みのデパートからの仕事が年々減ってきて、お仕立てのコーナーももうなくなると思い込んで、店を閉めようとの考えを市江に話していました。
市江は、「先代(祖母)が死ぬ間際まで、私の仕立てに文句を言い、病院のベッドの上、震える手で指導してくれた。しかし、その縫い目にはくるいが無く、きちんと揃っていたんです。印籠を渡されるまで、自分から止めるなんて言わないでください。私の祖母のように最後まで自分を全うしてください。それが仕立て屋だと私は思います。」
一昨日見たNHKの「スイッチインタビュー達人達」の中で、梵鐘つくりの元井さんが、刀匠の川崎さんに「梵鐘を聞くとか刀を鑑賞するということは、我々日本人が日本人としてのスイッチを入れる瞬間である。故郷に帰る。日本人としての存在を意識する場である。」と話されていました。
それは、迅速にとかスピーディーにとか、合理的、理路整然と、均一にとか・・・そういう世界とは無縁な、本来日本人が歩んできた道に回帰することではないかなと・・・。

写真の提供は、朝散歩を欠かさない家内からです。
そう「善きことは ゆっくり動く」のですから。
posted: 2021年 6月 14日
素晴らしい景色を見るために
昨日たまたま見たNHK(BS)、染色家の吉岡幸雄さんのお話が、今日も同じ時間に同じ内容で放送されていました。
わずか15分の番組でしたが、再度見ると、また違った見方ができるようです。
2回目は、最後の部分に共感しました。
吉岡さんが、何気なく言われた言葉・・・
「簡単にやりたい・・・近道を通りたい・・・それをやったら駄目なんです。世の中の人生と同じなんですわ。」
世の傾向は、早く大量につくる・・・これを良しとしてきました。
しかし、それをすると大切な景色を見ずに、目的地へ持って行かれます。
私は印章から学びました。
お客さんと話しをして、お客さんの名前や会社名を預かります。
それを、自らの課題として、その課題をどう表現すれば美しいか、お客さんにフィットして大切に一生使って頂けるかを、頭と手を使い苦労してその設計図である印稿(完成デザイン)を作り上げます。
それを印面に表現して、荒彫り刀で精魂込めて彫り進めていきます。
次に仕上げ刀で印稿をよく見ながら、線を生かす表現をして行きます。
捺印、補刀、捺印、補刀、捺印を何度も繰り返して、荒彫り刀と仕上げ刀を駆使して浄刻を完了して、次はお客様の思いをいれながら育ててもらいます。
そのどの工程が欠けても、素晴らしい景色は見ることが出来ません。
デジタルで目的地へ
飛行機で目的地へ
新幹線で目的地へ
自動車で目的地へ
自転車で目的地へ
歩いて目的地へ
周りを探求しながら目的地へ
一番上から順に早く目的地にたどり着きます。
ところが、一番下から順に、素晴らしい景色は失われ、一番上に至れば、121212の繰り返しで、情報量は一番少なくなります。
添付したNHKアーカイブは、昨日と今日見たものとは違いますが、重なる部分が多く、ご参照下さればと思います。
https://www.nhk.or.jp/archives/people/detail.html?id=D0009250592_00000
posted: 2021年 6月 2日
伝承の道に今いる人の責務
今朝BSのNHKで、2年前にお亡くなりになった染色家の吉岡幸夫さんの番組をたまたま見ました。
日本には伝統的な色があります。
藍、紺、群青、露草…青系色だけで20以上の名称があり、世界には例のない日本独特の文化でもあります。
それらの色を染色により表現する技術は、ほぼ失われています。
色という抽象的な概念があっても、それを表現して来た日本の伝統技術の継承は絶えています。
色の概念の欧米化は印刷技術とともに、化学的な染色技術も進化させました。
それと共に、実用に伴う本物の概念としての色は絶滅してしまったのです。
吉岡さんは、染色家として美しいと思う色が、化学的なそれでは表現できていないので、染料となる植物を求めて山中を探し、自ら草を植え、色抽出の手法も奈良時代にまで文献を遡り、日本人が愛 (め) でてきた「色の世界」とは? 失われた色を求めた、時空を越えた旅を続けられました。
その吉岡さんでさえ、まだ正倉院の色には追い付いていないと言われました。
一度失くした技術は、後でどのように探求しても元通りにはならないし、そこにそれを使用した天平人はすでにいないのが現実です。
印章もコンピューター技術を用いて、パソコンで簡単にフォント文字から印章デザインを表出して、機械で彫刻するという、誰にでもできるものとなり果てています。
そこに規範はありません。
その隙間を狙われて、古より続いて来た印章への、日本の伝承への攻撃にさらされています。
日本の伝承である本物への挑戦は、まだ続いておりますが、灯火はいつ消えてもおかしくないのが、継承現場の現実であります。
継承現場が無くなれば、技術は途絶えます。
そのメルクマールである印章彫刻の技能検定が危機に直面しています。
昨日、後輩よりのうれしい連絡がありました。
「あがき」のために、もう少し奮闘いたします。
それが、伝承の道に今いる人の務めですので・・・。

職人スピリットの崩壊
梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり
【作者】ジャック・スタム
梅雨と言うより大雨警戒レベル3の大阪でしたが、小降りになってきています。

印章の命は印面であり、そこに彫刻されている文字の姿とレイアウトの美しさが、その良否を決めると言うと、もっともらしい話であります。
いわゆるデザインが肝要である。
しかし、そのデザインだけを一生懸命追求しても身につくものではない。
ある人いわく、「今は彫刻機がデザインさえあればその通りに、却って手で彫るよりも綺麗にできる?ので、唯一無二を表現するデザインの勉強をすれば良い。彫刻は彫刻機に任せればよいのであるから。」と・・・。
結論から言うと、印章デザインのみの勉強で、美しき印影を得ることは出来ません。
これは、少し印章を勉強した人には理解できることです。
印章には字法、章法、刀法という印章三法(篆刻三法)があります。
その刀法を彫刻機械に委ねて、後を勉強するという事だろうと思います。
この三法は敢えて三つに分解したもので、本当は密接に関連しあっています。
その理屈は以前にもお話したことがありますが、専門的になりますので、ここでは止めておきます。
修錬ということで、その説明をさせて頂きます。
修錬とは、それを通して何かを身につけることであり、その過程が大きな役割を果たします。
印章を作製するには、多くの作業工程を経て出来上がるものです。
他の職種も、手で作製されるものはみんなそうだと思います。
その過程で、形や形状、そしてその物の本質に深く触れることが出来るのです。
最初と終わりだけでは、目立ったところだけを拾い上げても、その物の全ての製作過程に携わらないと、その一部の意味が認識できません。
利便性やスピードを職人の育成にまで問われている今日、本当の意味での「ものづくり」や職人仕事というのは、スピリットの面で既に崩壊しているのかも知れません。
自分で書いていて、怖いこと書いているなと思います。
posted: 2021年 5月 21日技術継承現場はアナログなのに
あいまいな空に不満の五月かな
【作者】中澤敬子
世はデジタル化に向かう社会で、脱アナログのスピーディな生活を求めているように感じます。
デジタル化≒スマートな生活とつい思いがちでありますが、コロナワクチン接種の予約状況を見ていてもそうとも言い切れないなぁとも考えてしまいます。
印章製作の基本技術を習得するということは、アナログであります。
自らの技術が今、どのあたりにあるかをチェックする場が、嘗ては多くありました。
今残るのは、大印展(大阪府印章業協同組合主催)と全国印章技術大競技会(公益社団法人全日本印章業協会主催)の二つとなりました。
大競技会は隔年開催です。
大印展は毎年開催でしたが、今年隔年開催を表明し、大競技会のない年の開催となります。
嘗ては、業界誌の誌上講習会(毎月)や各地の競技会、講習会が多くありました。
その作品作りに追われたものです。
当時は、追われたという認識でしたが、毎月のチェック機能が全国的技術の向上に大きな役割を発揮してきました。
今、デジタル化社会なのに、そういうチェック機能を果たすものは、ドンドンとなくなり、過去の印影や情報ばかりが過多になり、自らの技術をチェック出来る場も人もいなくなり、独りよがりな仕事となり始めています。
これは、印章だけの問題ではなく、技術継承があり成立する世界の減少を意味するのかなとも思います。
とても便利なデジタル化、我が業界もそれに準えようとしています。
あちらこちらで、その断片を感じざるを得ません。
それは一見良い事に見えますが、本義をドンドンと潰していることに気が付けばと強く訴えたい。
自分は手で覚えてきた技術があるから、それでOKでは、技術は繋がりません。
自分の所だけ何かをしている、それでも全体としたら疲弊していきます。
それで、良いのでしょうか・・・。
木偶の坊には成りたくない
五月雨ややうやく湯銭酒のぜに
【作者】蝶花楼馬楽
4月の稼ぎは薄く終わり、このままではどうなるのだろう「湯銭酒のぜに」もでなくなるかなとため息ばかりでございました。
デジタル庁法案のついでのように、再び行政手続きによる「押印廃止」という言葉を重ねて宣伝して頂き、新社会人の「就職祝いとしてハンコは贈らない・・・。」結婚もコロナで減っていますが、「結婚祝いにハンコはならない」という雰囲気が漂い蠢いています。
まるで、妖怪のようです。
先日、還暦を迎え実印を新調したいとご連絡を賜り、ご来店下さいました。
嘗て、同じ技能士ということで法人印を作製頂いた表具師さんです。
表具師さんと言うと、掛け軸や絵画の表装という文化的な仕事や襖の貼り替えというイメージがありますが、そんな仕事ばかりではなく、現場ではクロスや床の貼り替えを短期、安価な仕事ばかりが増えて来ているとのことです。
いくら働いても表具技能士としての自らの技術を活かせない、技術や伝統にしがみつくところは廃業に追い込まれるとの厳しい現状をお話しくださいました。
大阪の表具職業訓練校も休講状態(実質の廃校)とのことを以前お聞きしました。
技術が現場で活かせないので、継承現場が有名無実化するし、現場の仕事と遊離していくのかと思います。
修業や修錬と呼ばれるものは、ただテキストを覚えたり、ノウハウを身に着けることではありません。
技術を身に着ける過程で、その業に必要な基本的な考え方を身に着ける事であり、職人としての道徳を一つ一つの工程を覚えることで感じ取っていく事だというお話を致しました。
印章の技能検定継続が危なくなってきているという事から、本当は1級技能士という資格を頂けば、それ以上の仕事や技術を探求する能力を頂けたということで、技能という枠にとらわれないで、高見を目指せるはずだと話も致しました。
継承現場が疲弊しているのは、技能検定すら維持できない業界意識や今のコロナ禍によるところも大いにありますが、職人としての立ち位置をもう一度各自が胸に刻み直さないといけない時期に来ているのではと、互いの奮闘を誓い合いました。

昨夜、テレビで『雨あがる』を久々に観ました。
今の心境と、原作者の山本周五郎の座右の銘「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたかで決まる」というテーマを宮崎美子演じる妻である才女の言葉として表現されたシーンに胸を打たれました。
「主人には賭け試合をせぬよう願っておりました、でもその願いは間違いで御座いました、主人も賭け試合が不面目で有る事は知っていたと思います、止むに止まれぬ場合が有るのです、あなたたちのような木偶の坊には分からないかもしれませんが、大切なのは主人が何をしたかではなく、何の為にしたかではありませんか。」
技能検定廃止への対策のみならず、今、木口師という職人として何を為すのがが、問われています。
木偶の坊だけにはなりたくはありません。
posted: 2021年 5月 17日
木口師としての生涯を全うしたい
3年前の「時代に遅れ続ける経営」の一澤信三郎帆布さんについて書いたブログを読み返して、先日テレビで観た映画『繕い裁つ人』を思い浮かべた。
神戸にある「南洋裁店」の2代目店主である市江は、「2代目は、初代の仕事を全うすること」と周りから“頑固おやじ”と呼ばれています。
ブランド化を目指そうとする誘いを断り、先代の「一生着続けられる服」の直しを懸命に続けている。
百貨店の仕立て直しを専門としている腕の良い職人が時代に遅れて仕事が無く、店を閉める事を市江に話した。
後日、市枝は「先代は病院のベットで、亡くなる寸前まで、技術指導をしてくれた。震える指であるはずなにに、縫い目には狂いなく真っすぐでありました。
印籠を渡されるまで、最後まで足掻くのが仕立て屋だと私は思います。止めないでください!」と泣きながら訴えたシーンには胸に迫る物を感じました。
今年2月の技能グランプリで紳士服製造職種は、5名集まらず競技が出来ませんでした。
技能検定の灯火が消えかけている印章彫刻職種・・・「最後まで足掻くのが木口師だと思います。」
しかし木口師の仕事は、技能検定と言う資格のみでは表されません。
変容した印章業というハンコ屋より、私は木口師としての生涯を全うしたいと強く思います。
posted: 2021年 5月 11日
