風評被害真只中の新しい船出
はんこ屋さんは、脱ハンコという風評被害の真っ只中です。
脱ハンコに関しては、国にも業界にも言いたいことは沢山ありますが、それでもはんこ屋さんは、ご飯を食べていかないといけません。
象牙の取扱業者である登録更新にも、国はお金を取ります。3万なにがし・・・。
それも支払わねばなりません。
「武士は食わねど高楊枝!」とはいきません。
はんこ屋さんが廃業や倒産という事に至れば、喜ぶのは誰でしょうか?
IT業者の人とまでは言いませんが、世の中を全てデジタル化にしたい人達か名と思います。
デジタルとアナログという対立軸を作ることは、ひょっとするとダメなのかも知れませんが、少なくともデジタルのなかには、文化は育たないように思います。
以前から、お知らせしておりました「はんこやが作ったユニークなTシャツ!」HANKO KIAN®の販売を昨日からネットショップとお店で開始し始めました。
チラホラと売れ始めました。
以下、家内が考えてくれたチラシの文章をご紹介致します。
「印章において、要なるものは、文字デザインです。このデザインは、手で何度も線を探り、文字同士の最善のバランスを試行錯誤して、生まれるもの。ダンサーの決めのポーズのようにしなやかに、そして、堂々としたデザインがその特徴です。
HNKO KIANでは、もっと多くの方に印章デザインを知って、親しんで、頂けたらとの思いから、Tシャツのデザインにトライしてみました。
苦境に置かれた時、誰でも、心に迷いや不安が生じやすい状況になります。そんな時でも、普遍的な禅の教えは、励ましや救いになるのではと思い、禅の言葉を印文としました。日本人が古来より、大事に育んできた、印章文化や禅の言葉が新たな形で、多くの人々の心に響くことを願います。
https://mitamura-inshouten.easy-myshop.jp/c-item-list?category_id=88&parent_category_id=88
posted: 2020年 10月 29日
脱ハンコ社会に向かう今、私にできること
「印章業界の反省と言っても業界の大半を占めるFC店、印相屋、モチーフ印章?という名のインチキ業者は全く反省しないでしょう。何故なら最初から正しい文字や彫刻の技術を知らず誇りも何も無いからです。今の若者達はバブルの頃の馬鹿な日本人ではなく質素な時代に生きていますので物の本質を見抜いています。この若者達を納得させる何かが具現化出来なければ今何かしらのキャラクター等で誤魔化し現在を乗りきっても近い将来印章そのものが無くなります。しかし今、荒掘りから実際に印章を彫刻出来る技能士が何人いるでしょうか?本物を追求できないなら全てを失って気付くべき業種です、新聞社等も今存続に必死です、必死にならなければ古い伝統は滅びますしまたそうあるべきかも知れませんね。」
上記文章は、私のブログへの読者の方からのコメントとして頂いたものです。
印章業界の反省というのは、私がブログに書いた次の文章からです。
「印章業界が実印の在り方を守るためには、今まで寛容過ぎた印章という商品の在り方を唯一無二を守るという観点から、また業界の猛省の視点に立ち洗い直さねば、最後の砦の実印の在り方まで崩していく事となると推察いたします。」
先日、20年前くらいに技術講習会で私の生徒であった方が来られました。
「コロナで、今年3月から皆目仕事がない。」
そういう状況の中、河野大臣の一連の脱ハンコ発言・・・「周りの技能士さんも困っている」と・・・
今朝、メールチェックをしていると、山梨の問屋さんの情報メールの最後に「このままでは、コロナでは死ななかったが、国に殺される」と悲鳴を上げておられました。
読者の文章から、業界はどのように襟を正さないといけないのか自明の理ですが、このままでは印章業が崩壊するのも(印章店が無くなる日も)あっという間なのかも知れません。
コロナが始まった今年の初めに、河野大臣の脱ハンコを誰が予想できたでしょうか。
しかしながら、できることはまだあります。
今ある陣地をきちんと守り、業界が襟を正して、唯一無二のモラルある印章をお客様に提供しますよと言う姿勢を如何に社会に浸透させていくかであります。
私にできることは、技術の継承への微力ながらのお手伝いです。
写真は、今年中止になった大印展の代替事業であります「令和印章修錬会」の審査と寸評です。
大印展の時は、審査員が集まり半日くらいで審査完了となりますが、今回集まらない審査のために、却ってじっくりと作品が吟味できました。
やはり、昨日丸一日を潰しました。
嘗てと違い、こういう世知辛い状況ですので、後進への指導を嫌がる傾向があるようです。
技術継承は大変なことで、仕事以外の時間や労力、お金もかかることです。
また、継承現場を助ける役割の裏方さんもいなくなり始めました。
そういうことからも、業界の状態を察知してきましたが、私にできることは今後も頑張っていきたいと強く思います。
この18日の日曜日は、zoom講習会から漸く抜け出し、対面教授の講習会が再開されます。
新年度となります。
posted: 2020年 10月 12日
【悲しみ】と【嬉しさ】
出会ひの握力別れの握力秋始まる
【作者】今井 聖
自分が全てをかけて打ち込んできた事が、明日からもういらないと言われた時の【悲しみ】
古臭い技術では時流に合わないと、パソコンや機械でできるから、あなたの技術は用無しですと言われ続けていた技術には、驚くべき価値が内在していて、他に真似のできない物であります。スゴイですと評価された【嬉しさ】
【悲しみ】と【嬉しさ】、あなたはどちらを選択しますか?
印章彫刻職人の技術は、きちんとした文字をその解釈を歪めることなく、如何に上手く印面に表現するかにつきます。
文字が良いだけではダメですし、デザイン性があるだけでもダメです。
いくらデザイン性があるように見えても、登録できない印章や、長い間の捺印行為に耐えることのできない作者本位のデザインでは、きちんとした印章とは言えません。
印章とは、本来その実用的なるデザイン性が問われる道具であるのです。
ところが、その印面から目を背けるようなことを業界人は多岐にわたりされてきて、それが通じなくなると、他の物を販売し始める。
ゴム印や名刺のみでなく、文字や印刷関連からとウエアープリントや名入れ事業にまで手を伸ばし始める。
それはそれで、頑張っておられるのかも知れませんが、肝心の印章技術をさておいてどころか、それを揶揄されるととても【悲しみ】を感じてしまいます。
このコロナ禍では、良い悪いは別にして、マスクやフェイスガードまで販売を始めているお店もあります。
印章は印面が命で、そのデザイン性が求められるとする当たり前の事を当たり前に技術継承するのではなく、コンピューター彫刻機が開発されると、業界外から参入され、パソコン機能を利用してのデザイナーによるデザインに印面を奪われている市場です。
本当の印面デザインは、長年の手での彫刻が醸し出す品性高き篆書の実用としてのオリジナル性を知る職人の手にありはずです。
それはフォントのみで作製されていては分からない高見であります。
世界は、その高見のてっぺんのみを切り取り評価されます。
その高見を今まで見せて来なかった後悔を教訓にして、「HANKO KIAN®」がこの秋始動致します。
私と家内(父ちゃん母ちゃん商売)で【嬉しさ】を実感できる活動を展開していきます。
どうか、宜しくお願い申し上げます。
つなげていく大切さ
縄とびの縄を抜ければ九月の町
【作者】大西泰世
熱中症とコロナに振り回された8月で、いろんな事が中止になり、コロナ以前の事ができませんでした。
自宅近くの毎年お供えをさせて頂いている地蔵盆も今年はありません。
来年は、あるのだろうか?
この夏に中止になった行事やイベントは、来年にはあるのだろうか?
コロナ収束後の社会について、いろいろ言われていますが、いつ収束するのだろうか?
Withコロナ社会なのだろうと、元には戻らないと考える方が賢明なのだろうと思います。
しかし、そもそも物事、森羅万象は常に変化流転していくものです。
同じという事はあり得ないのです。
それを考えると、変化への対応力が求められているのが、今ではないかと考えるようにしています。
今の自分の位置や役割を目の前に、一つ一つを対応していくことで、その力をつけていく、未来に向けて生きる力を養っていく事になるのだろうと思い、踏ん張っています。
自分に関係することでは、現在休講となっている技術講習会があります。
それについては、ほぼ毎日のようにお話しています。
何故、そこまで考えるのか?
技術講習会は、先人から受けついた私の原点であるからです。
師匠なしの私を育ててくれたのは、技術講習会です。
そして、講師というお役目をいただいて、後進を指導しています。
先人→先生、先輩→私、印友というライバル→後輩→・・・
延々とこの矢印が続いていく事が、今の私を形成しているのです。
そして、それは常に変化していくのです。
その中の、パイプの役割・・・つなげていく大切さ
これを理解している人は、技術講習会や研究会という継承現場に立つ人だけかもしれません。
だけれど、気づいた人、気づいている人のお役目ではないかと強く主張したく思います。
この30日は、zoom講習会を実施します。
※写真は、昨年の地蔵盆です。
posted: 2020年 8月 27日柳宗悦と棟方志功
先日の日曜日に、久しぶりに『日曜美術館』を見ました。
柳宗悦と棟方志功・・・お二人共に大好きな人です。
民藝という考え方で交流があった程度しか知りませんでしたが、まるで師弟関係のようなお話に驚きました。
棟方志功は、青森県の鍛冶屋に生まれ、職人を脱するために芸術家を目指し上京しました。
職人が芸術家よりダメなのではなく、美を求める姿勢は職人とか芸術家とか関係ないとして、「きっと、君のお父さんの刃物を美しいと思える日が来るだろう」と諭した民藝思想の本質を見たような気がしました。
私の実家も印刷物加工と言えばカッコよいのかも知れませんが、紙工、断裁、「断ち屋」と言われる仕事が家業で、仕事をする祖父や父、叔父は職人であります。
今は、職人さんというと、モノ作りの人とか、〇〇作家とか言われて、そのカッコよさを商売的にアピールされておられる方もおられます。
実際の職人一家というのは、そういうモノではありません。
棟方志功が、親の仕事を見かねて、自分は世に出て有名になるためには芸術家を目指すのだとしたことは、とてもよく理解できることです。
しかし今、私も職人であり、その職人的なことが大好きで、仕事に精を出すという意味を噛みしめています。
とても、不思議な事だと思います。
棟方志功は、柳宗悦との出会いが大きかったと思います。
私は、印章との出会いであったことは、間違いがない事だと思います。
https://masaya-artpress.com/2020shiko_munakata1-nichibi
posted: 2020年 7月 28日
withコロナ社会の我儘な職人気質
昨日、久しぶりの休日をゆっくりと過ごさせて頂きました。
それを除いての四連休は、休日出勤させて頂きました。
コロナで、毎月の講習会やいろんな行事がなくなり休日が自由に過ごせるようになりました。
自由なのですが、通常の日にやらねばならない事も増えて、休日は仕事をしなければ、回らなくなりました。
もう少し使い方を考えねば、有効に休みの日を使えないなぁ~と反省然りです。
この頃は、お招きいただいたリモート講義にも潜れずにいます。
そんなに忙しいのか!と言われそうですが、なんせ一人での製作ですので、そんなに大量には出来ずに、また大量にはしたくなく、一つ一つを大切につくりたいという我儘な職人気質があります。
昨日は、本当にボ~っと、昼寝をしたり、テレビを見たりして、くつろいでいました。
業界関連のテレビ放送を見逃しました。
理事長から今やってますと、ラインをもらったのを見たのは、とうに番組が済んだ時間でした。見逃しました!
先日行われた第23回全国印章技術大競技会の審査風景がテレビ東京の『ニッポンの(秘)協会100選』という番組から取材を受けていました。
東京だけの放送かなと思っていると、テレビ大阪でも放送されたようです。
連絡欲しかったな・・・。理事長が録画してくれているようで、見れるのが楽しみです。
審査で、東京に行った時は、コロナの感染者数がドンドンと増え始めた時で、ある意味命がけで行きました。
たまたま、その取材に遭遇したのですが、見られた理事長のラインには、「ちょっと映ってましたよ」とありました。
今でも、感染者数は増え続けています。
withコロナ社会やコロナ禍後のモノ作りの在り方を考えないで、モノ作りに向かう、生業として発信することは難しいと思います。
いくら技術に自信があっても、そこの価値を伝えきらないと残らない、コロナにやられてしまうか、コロナと共に消えゆくか、withコロナかが問われているように思います。
posted: 2020年 7月 27日
印章彫刻工としての誇り
本日も仕事量調整のために、休日出勤です。
電話が鳴り、出てみると、「会社のゴム印、住所や社名とかの・・・何時間で出来ますか?」という内容でした。
そういう電話もありますが、昨日は石川県から来れたお客様もありました。
印章を作製する人のことを、何というのだろう。
ハンコ職人、はんこ職人、印章彫刻職人、印章彫刻工・・・
ハンコ作家、はんこ作家、印章彫刻技能士、現代の名工・・・
はんこ芸術家、篆刻家、書家?・・・
技術者、技能士、技術師・・・
ブログに書く時には、その場の雰囲気で使用してきた感があります。
ちなみに、技能検定という国家検定をしている国は、どのように規定していると思いますか?
技能士というのは、間違いですよ。
技能士というのは、その方の技術の量的な度合いを示す呼称で、一級、二級があります。
技能検定試験を受けて合格すると、技能士と名乗っていいですよと言う意味です。
厚労省からの「現代の名工」では、技能者という言い方をします。
技能士でなくとも、「現代の名工」はもらえるからです。
だから、「卓越した技能をもつ労働者」という表現をされています。
それは、印章に限ったことではなく、いかなる職業においても、そういう表現がされます。
黄綬褒章の賞状には、明確に「印章彫刻工」と区分されています。
国は、印章を製作する人のことを「印章彫刻工」としているという事になります。
「現代の名工」と名乗る人がいても、私は「印章彫刻工」だと名乗る人はいないと思います。
そこからは、「職工」というイメージがあるからです。
『男はつらいよ』の映画のなかで、寅さんが裏の印刷工を捕まえて、「こら!職工」とか「労働者のみなさん」と言っているイメージがあります。
それを、嫌がる方が多いと思います。
でも、そういう側面があるから印章は成り立ち、国が成り立ってきたと思います。
私の中では、職人や職工というイメージは、○○作家さんや○○家と呼ばれる先生より、コツコツと同じ事を厭きなく繰り返して技を積んでいくというイメージが強く、大好きなことばです。
永六輔さんが愛した言葉も「職人」という言葉であり、在り方であると思います。
「〈私もいっぱしの大工になりました〉って威張っている職人がいたけど、〈いっぱし〉というのは〈いちばんはしっこ〉ということなんだよね。
威張って言う台詞じゃない」
「子供は親の言うとおりに育つものじゃない。
親のするとおりに育つんだ」
「彫り3年、研ぎ4年。
女房貸しても砥石は貸すなって教えられました」
「職人が〈何かすることありませんか〉なんて言うな、おまえ。
すること探して、黙ってやってろ!」
永六輔『職人』(岩波新書)より
そういう世界観が大好きです。
posted: 2020年 7月 24日