デザインの適材適所

今朝、毎日新聞を広げると、一面より「平成という時代」と石飛さんの揮毫が目に留まりました。
対談の連載企画です。
全ての人に事実としての情報発信するだけなら、もう新聞は要らない時代です。
ペーパレスの世に、ペーパーなる新聞を読んでいただく価値は、知性に訴えるこのような方法かなとも思いました。

この間から印章の権威が無くなりつつあるとの指摘をしてきましたが、何故印章の権威がここまで低落してしまったのかの原因の多くは、印章に携わる業界人とその経営姿勢にあると私は思います。
印章が本来有していた本質を侮蔑し、新しい?売れる!と感じてしまった価値をそこに無理やり付加して、適合しようとしたところにあると私は考えるようになりました。
例えば、篆書は古臭い!読めない!素人受けしない!という攻撃
外圧より本来守らなければならないところへ、内部から攻撃していたのでは、当然その命中率は高くなります。
篆書が印章の権威を高め、これまで印制という制度や考え方を維持し、社会的信頼を得ることができたことは、先人の大きな智慧と働きであります。
古臭い!読めない!素人受けしない!なら、篆書を試行錯誤し、今の実用の在り方に適合するものに研究していくなら理解が出来ますが、他で流行ったモノや可読性は高いが、印章としての気品に欠ける文字を、篆書に変えて篆書を否定することは、印章の役割や意義を歪めてしまうことになってしまっています。

『塑する思考』という本のなかで、著者でありデザイナーの佐藤卓さんは、食のデザインについて次のような内容を述べられています。
日本人が大好きなラーメンで、美味しかったラーメン屋を考えましょう。
そこは、カフェのように洒落たつくりのお店でしょうか?
建物は古びた木造、暖簾は褪せはて、壁の品書きは日焼けと油で染みているというお店ではないでしょうか。
それを洗練されたモダンなデザインのお店に改築すれば、もう台無しです。
佐藤さんは、「シズル(sizzle)のデザイン」と言われていますが、見て唾液が出るデザイン・・・食のデザインには、これが必要なのです。

デザインには適材適所があります。
印章の印面のデザインにも実はそれがあるのです。
そして、それはフォントを駆使したり自分流に歪めた文字ではなく、印章文字としての篆書であり摹印篆であります。
訓練された職人が普通に仕事をして、先人の智慧をそこに発揮できるのが、実は篆書なのです。
その他の書体には、それ相応の役割があり、適材適所で活躍します。
唯一無二を作るという役割を持ち印章の美を表現できるのが篆書であります。
そこに、関係のないキャラクターやイラストを加味することは、「デザインの適材適所」に合致しないし、ましてや商業フォントを利用して、パソコン機能を使用して篆書を歪めたりすることは、その権威の喪失を助長していると言って過言ではありません。
その機能や方法論は他では、良き役割を発揮するかもしれませんが、誰にでもできるパソコン操作なら、デザインを誤謬しているとも考えられます。

これは、印章だけに限ったことではありません。
今日の日本の社会のモノとデザインの在り方に多く見られることです。
流石に大量生産、大量消費の時代からは、足抜けしたようにも見えますが、まだまだ「デザインといえば、洗練・美しい・シンプル・機能的・効率的・便利などのキーワードが挙がりますが、そこから見逃されてきた、もしくは排除されてきた、全く逆を意味する言葉、洗練されていない・美しくない・複雑・機能的でない・非効率・不便などに、実は近代が避けてきた大切な事柄が潜んでいるように思えて仕方ありません。」(『塑する思考』より)

「大切な事柄」とは、柳宗悦の民藝思想とその運動のなかにも見出すことが出来ます。
西洋モダンデザインに対する日本的霊性を有した東洋的なる美学がそこにあるはずなのです。
とりわけ印章は、その美学のなかから暮らしの中で実用化し継承されて来ているものだからです。
そして「デザインの適材適所」は、その物の本質をクローズアップするために用意されるものでなければなりません。
そして、「デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。
あらゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮らしへと繋ぐ<水のような>ものなのです。」(『塑する思考』より)

そこへ目線と思考を変えることが、印章の権威を取り戻すことに繋がると私は考えます。
また、冒頭で述べましたように印章の権威の低迷の原因が印章業界内部にあるとすれば、襟を正し真摯な気持ちで反省の経営姿勢を示さなければならないと思います。

posted: 2018年 8月 28日