本質をきちんと伝えるために

もつれつゝとけつゝ春の雨の糸
【作者】鈴木花蓑

連続テレビ小説『スカーレット』がいよいよ佳境に入りました。
川原喜美子先生に観光客向けの陶芸教室の依頼をするなんて、自分を責めながら頼みに来た信作に、喜美子はあっさりと引き受けた。
他の窯元の息子さんは、アーティストであり、陶芸教室のようなことはさせないと断られた穴埋めであったようです。
またその時、信作の部下が喜美子の作品を見て、「どこがええんやろ?こんな地味なもの・・・」

私もアーティストではなく、一職人であると自負しておりますが、嘗てしていた「篆刻教室」のようなことを今は、しておりません。
「篆刻教室」で実用印章が伝わるなら、ドンドンとやりたいのですが、それのみをしていても、或いはそれをしていても印章の本質や実用印章の意味が伝わらないように感じています。
現に、実用印章は危機を迎えています。
篆刻教室で作るものは、実用印章ではなく、製作するのは落款印です。
その落款印を作るという事への参加者の創作活動に対する喜びはあるとは思います。
しかし、落款と実用印章の彫刻はある意味違います。
安直なところは、フォント文字を使用して、それを彫刻させているところもあります。
パソコン印章やフォント印章の宣伝にはなりますが・・・
勿論、印章を製作することを、広義には「篆刻」といいますが、篆刻教室でされるのは実用印章とは距離があるのです。
距離を縮めるプラスアルファをされていない。
(例外として、神奈川県の印章技能士会は字入れ体験も含めたり、実用印章の彫刻体験もされていると聞き及んでいます。)
あちらこちらから怒られそうですが、本質を伝えるという事からすると、「篆刻教室」というプロデュ―スは、今や業界や職人の自己満足かなと思います。

喜美子の陶芸教室は、はんこ屋さんの「篆刻教室」と少し意味が違うと思います。
「どこがええんやろ?こんな地味なもの・・・」という問いに対して、陶芸の本質を伝えようとしています。
陶芸は、アーティスト仕事ではなく、職人仕事である。
陶芸教室に来られた女性の感想・・・
「一週間の真ん中の水曜日に仕事に行くのが辛く、朝起きるのが嫌でたまらなかったが、陶芸教室でつくった湯飲みでお茶を飲んで、さあ頑張ろうと思えるようになった」
きちんと実用のなかに息づいています。
アーティストは、そんな事をしないのでしょうか?
しないというアーティストは、信の在る(思想を持った)アーティストだと思います。
今の似非アーティストは、体験教室的なことをされています。
それは、印章のそれと似て、本質を伝えるのではなく、パフォーマンスによる自己完結であるように思えますし、現実に何も伝わっていないと観察できます。
本当の意味でのプロデュースとは、生産と結びつきの在るものとマルクス・ガブリエルも昨夜のテレビで話していました。

現下、生産と直結している問題は、何といっても印章の技能検定廃止が厚労省により検討課題の議題となっていて、技能検定の世界から印章が消されようとしていることではないでしょうか!
私から言わせると、「篆刻教室」をしている場合ではなく、それは篆刻家と呼ばれる人達の役割で、カルチャーセンターでもやっておられます。
今のはんこ屋職人は篆刻教室をするのではなく、篆刻を勉強すべきです。
技能検定を守ることが出来るのは、印章制度や印章文化を守ろう!と旗頭を鮮明にされている方たちにしか出来ないことで、それは生業を守る喫緊の課題であると私は思いますが・・・。

今日は冷たい春の雨、週末にも雨模様の様ですね。
しっかり仕事が出来ます。

posted: 2020年 3月 4日