第19章 印章学による印章・・・その1

(1)現代印章の正制

<印章学の本質>

印章は自己の信を現わし、自分の分身の役目を果たす大切な宝器であることは、繰り返しお話ししてきました。

従って、自分の分身であるということは、自己の人格を表現し、その品位を印影(押し型)にも漂わせているものであるはずです。

印章史において、印章は過去数千年の歴史を有し、文字、彫刻、治金、美学、考古学、民俗学等によって組み立てられたものであることをお話ししてきました。

この複雑に交錯した諸要素によって製作された印章を、あらゆる角度から研究考査して、現代印章として系統的に組織し、あるいは分類してその正誤を問い、真に信を示すに足りる十分な機能を有しているかを検討するのが、現代印章学であります。

換言すれば、学理的に組み立てられた実際的価値より批判して、現代印章に再編成するのが、今日の印章学の本質であり役割でもあります。

印章学は、それ自身において十分な権威を備え、次に字法、章法、印顆(印態)、印材、寸法に大別して各部門より観察をくだして、これらが完備したものを以て、初めて紳士淑女の印章として及第点が与えられる。

また、これらの一つでも欠けたものは、避けるべき印章とならざるを得ないのであります。

最近の実態は、一つどころか、全面的にその大義なき印章の多いことには、驚かされる次第です。

<字法と章法>

印章三法に字法・章法・刀法があります。

以前に何度か説明させていただきましたが、「印章講座」を長らく開店休業状態としておりますので、再度簡単にご説明いたします。

字法とは、篆書の文字の形状よりどれを選択するかということです。これは章法と深く関連し呼応するものです。その章法とは、その文字のレイアウトのことを言います。

刀法とは、字法と章法により完成した印章のデザインを印面に彫刻することを言います。刀法の出来不出来でも印章はがらりと、その趣をかえますが、ここでは、あくまでも彫刻方法と考えてください。

その彫刻方法が、実用印章において、手彫り・手仕上げ・機械彫りと企画分類されて久しいですが、世はその手彫りと言う言葉のみが独り歩きする状況です。

手彫りを頂点として、高級から機械なら安物と言うレッテルが張られています。

しかし、そこには前述の残りの字法と章法が完全に抜け落ちています。

今までこの「印章講座」をお読みいただいた読者のみなさんならもうお気づきのことでしょうが、印章の出来栄えの正否を決める重要な66パーセント以上の分野が消費者の皆さんに隠されている・・・ある意味偽装されていると言っても差し支えのない状態なのです。しかも66パーセント以上です。

印章の刻字面を印面と言います。

即ち印章の目鼻立ちです。

如何に良い印材と腕の良い技術者の彫刻を以てしても、字法と章法が拙劣であれば、化け物が綾羅錦繍を纏い百鬼夜行する如きものであります。

<正しい字法>

印章文字としての正位を守る。

印篆と小篆を本源とする。

しかし、ここに考慮しなければならない点は、実用印章は対者に自己の信を示すことを要点としているので、文字を誤らず、且つ読みやすいもので、さらに気品を保つことが肝要であります。

奇を衒う如き文字は邪道と言わざるを得ません。

独りよがりの文字か絵か区別をつけることのできないような得体のしれない字法を採用することは、慎むべきであることは言うまでもありません。

<章法>

章法は秦漢の制を宗とします。

これも現代印章は、その全てを墨守していたのでは、却って章法を誤るものがあります。

我が国では円形のモノを主として使用します。

私印には特に古い章法も、実用上の利害得失の点からも、改変は当然行われたのですが、その根源は秦漢の正法に則し、朱文刻法により各種の印章の要求に応じて、姓名、社名を配文します。

そしてあらゆるものには範疇があり、その範疇内における改変は許されるものでありますが、一度その範疇を逸脱してしまうとそれはもう異端であり邪道と言わざるを得ないモノであります。

その代表的なものが怪物印とされる俗称で印相体と呼ばれるモノであります。

個々刻者の勝手な解釈に基づき篆書という範疇を逸脱し改変され気ままな方向に文字を歪めていくモノであります。結束、違う文字となったり、あるいは意味不明、誤字とまでなる者さえ出現してきます。

それだけ文字の規範は厳しい範疇に守られています。

ご自分の印章がそのような曖昧不気味なものであるかどうか今一度お確かめ頂きたいと存じます。

次回は実用としての印顆についてお話ししていきたいと考えています。

 

posted: 2014年 5月 14日