第19章 印章学による印章・・・その5
第19章 印章学による印章
(6)字体と刻法
<よき文字、よき配文>・・・その1
ハンコ屋さんも知らない人が多いので、少し難しいお話ですが、しばらくお付き合いくださいませ。(どちらかというと、ハンコ屋さんへの啓発でなく啓蒙かもわかりません。)
●何故、ハンコに篆書体を使用するのか?
●その篆書体は、現代印章において、何故朱文(浮彫彫刻)なのか?
●篆書があるから、自分のハンコが他のハンコと区別が出来るようになります。即ち、他に類のないあなただけのハンコが出来ます。→これは、何故なのか?
●何故、他の書体では無理なのか?
以上の説明に入ります。
中国印章史、唐以下を今体とし、秦・漢・魏・晋を古体とします。
これは印の正制であります。
今体は朱文を要としたる六朝以来の変制であります。
この制こそ現代印章の祖というべきであり、六朝の頃は変化があったが、「未だ偽誤に至らずこの時代の朱文には尚印篆に拠れり」といいます。
よって、現代印章は朱文を以て篆源を正しくして、機宣に応じて小篆を用いるも正法を守り、芸術的香気ある作品でなければなりません。
正しい印章は、各氏名に調和する印篆を用いるのですが、ここに印篆について概略の説明をいたします。
印章の文字をこれを印篆と称して、秦八体の一つにして方正質直にして(文字画数の)増減の法があります。
故に姓名学に則して悪姓名を改名する必要なく、正しい増減法を以て画数を損益して、良い数理を表して用いることが出来ます。
印篆は秦漢のとき印章のために設けられた一体であります。
この篆法も唐に至り断絶して雑体篆を用い、大篆、古文、奇字等までも使用したのです。
元の時代に至って吾子行が印篆を見出し再び世に現れ、これを基として印章道は大いに改まり、清の名印時代がこのようにして出現しました。
「秦ニ至リテ八体ノ書アリ、ソノ一ヲ摹印篆ト云フ、古ヲ去ルコト未ダ遠カラズ、其ノ法由来スル所アリ、秦漢ノ制ヲ承ケ公事ニハ官印アリ、家ニ私印アリ、牽強杜撰ノ失ナシ、魏晋ヲ歴テ六朝ニ至リ少ク改易アリト雖モ大体ヲ失セズ、サレバ数代ヲ歴テ天地更変スレドモ、独リ印章ノミ守リテ制ヲカヘズ、誠ニ信ヲ示スノ重キヲ見ルベシ」と。
また古書、印判秘訣集(享保)にも「文字ハ説文ノ古文字ヲ用ウルナリ、異国ニハ八体ノ中ニ刻符篆ノ字アリ、多クハ是ヲ鏤メ用ウルナリ」と。
現代印章はこの制にかかわりなく変体文字が横行しています。
相当に研究を積んだ印人であっても正印は奇字を用い正法のあることを知らない者少なしとしない実情であります。
印篆小篆こそ印章の正しい字体であります。
長くなりましたので、次回とさせていただきます。
<印例の規格なし>
藤本胤峯先生は多くの著書を残されました。
その著書の中で、最後の『財運と印章』にはお弟子さん方の多くの印例が載っていますが、先生の作は一つです。
唯一印例が示されたのは、昭和9年の『印章の常識』であろうと思います。
その後、そのことを『印章と人生』の中で触れて、次のように記されています。
「印例を示すや、外形のみに追随し、その刀法排劣にして人心を迷わせる愚作の横行を見た。<鵜の真似をする鳥、水に溺れる>というが、これらの似非の輩はいつか馬脚を現して世人の嘲笑のうちに霧散したが、尚一部が蟠踞しそれらの印章に起因する幾多の災難を想うとき、その一端をも示すことを恐れるのである。」
印章の正しい刻法は、判下(ソフト)によるものだけではなく、印刀を筆として印材を紙として、精魂込めて彫りあげて、初めて気品高き名印を生ずるのであります。
机上の印章論は窺がうに易く、その字体を得ても(ソフトを有しても)、これを布置配文(レイアウト)し、那依し正則俯仰、渾然一体となり情意豊かな印章はできません。
唯々刻者の技術と人格がその印字を生かして人生の宝器としるか、瓦礫の駄印とするかにあります。
字体の外形のみに囚われることは無用であります。
小篆、印篆は調和よき良印を得る上、時には調和を破り奇樸を求めることが出来ます。
この奇は怪奇の奇に非ず、自然の秀色であり美術であります。
「凡ソ印刀ヲ執リテハ何事ニモ妨ゲラレズ、小篆印篆ノ出典ヲ明ラカニシ、印ヲ能ク知リ印面ニ書クガ如クスベシ、然レバ細大、疎密整斉、風流ハ自然ニ生ズルモノナリ、コレヲ古撲典雅トイフ」
<印影は範(かた)ありてなし>
印章は姓名の組み合わせであり一様でありません。
同一であってはいけないのです。
それぞれに個性のあるところに妙趣が生じ、偽造も生じないし、変造も出来ないものです。
印文のレイアウト、これを配文布置(もじのくばり)と言います。
それは、各姓名に応じて千姿万態であらねばなりません。
楷書・行書・隷書・草書より更に変化の多い篆体の妙を遺憾なく発揮するところに、真善美の印章があり、世に一つしかない印章が出来上がります。
文字の芸術性ということでなら、篆書以外の書体、とりわけ書という分野においてはその存在は大きいと思いますが、文字のデザイン性においては、篆書を抜く書体はないと思います。
最近のことですが、デザイン関連の職業の方とお話をしていて、「均斉、対称性、その変化性においては抜群の能力が本来ある書体ですね、それを小さな世界で表現されることはすごいことです。」と称賛をいただきました。
配文の要諦は「妙」の一語に尽きます。
技術の優れた刻者とは、妙手を足るに達した人です。
ほんとうに一寸した妙手が印を活かし気品を備えるものです。
印例でも口でも説けず、言わない境地といっても過言ではありません。
「妙」という字は、少(わか)き女のみだれ髪、結(い)うにいわれず、解くにとかれず・・・。
印章はそのもつ特性が印章の信を示す意義であります。
小篆印篆の自由闊達の一人舞台であります。
印例のみに拘泥しては良印は求められません。
posted: 2014年 7月 10日