「OSHIDE」の思想を残すために

柘駒を使った新商品「OSHIDE」のパッケージの相談に村上紙器さんへ行ってきました。「OSHIDE」について説明お話していくなかで、もう少しきちんとお話できる内容に高めておかなければということを感じましたので、少し文章化しておきたくキーボードをたたいています。

先日、ナンシー関さんの消しゴム版画を「消しゴムはんこ」という表現をしている新聞記事についてご紹介しましたが、お亡くなりになられて24年になります。彼女は消しゴムはんこ作家ではなく、版画家でありコラムニストであります。

版画の素材が消しゴムなので、消しゴムはんことはこれ如何にですが、わずか24年の間に消しゴム版画家としてのナンシー関さんの仕事と生き方の本質が変えられてしまいました。「版画」を「はんこ」に変えただけなのです。

印章が中国からの伝来であるということは、だれも疑うものではありません。金印に始まり、律令制度とともに始まった印章制度は、現存する養老公式令文により具体的資料の存在をもって日本印章史は始まっています。それ以前は資料の不在とともに歴史がないのも同然なのですが、何も土壌がないところに印章制度が受け入れられるはずもなく、不確かなものとして日本書紀「きのおしで」や神様「おしでのおおかみ(印璽大神)」として音で存在している「お・し・で」がどのようなモノでどのような形で行われていたことなのかを知ることはできません。しかし和訓としての音は残っているのです。それが「OSHIDE」であることはハッキリしている事実なのです。ここからは、私の想像なのですが、それはナンシー関さんの版画をはんこというくらい、似て非なる物であったと思います。日本の印章の専門誌などには、「おして」や「しるし」という表現であったり、それは掌(てのひら)に朱肉など(その時代に朱肉があったのか?)をつけて、べったりとおしたものという表現がされているものもありますが、何ら根拠がないことです。しかし、和訓の「OSHIDE」という音は存在していて、印章以前の印章の在り方だと言われています。

そこには、おそらく神と人との「約束」があり、それが人と人との「約束」を具体的に示す手段であったろうとの推測を私はしています。それは全ての工藝的なモノに共通することであるということが、工藝を勉強していくと見いだせることです。そして、そういう「OSHIDE」という土壌があったから、大陸からの印章やその制度を受容できたのが我々の祖先であったのです。「OSHIDE」と印章は少し違います。「OSHIDE」は制度に基づかないものであり、それ自身が「約束」という言葉の代替をはたしていたのです。大陸からの印章は、律令制に付属した印章制度に依拠したもので、印章制度が無くなると消滅するものです。ですので、現在の中国には実用の印章は見当たりません。印章から遊離していった篆刻芸術は文化として存在していますが、印章制度のない中国には実用の印章は無くなってしまったのです。

今の日本は、印章の制度をなくそうとしています。正確にいうと印章制度を形骸化しようとしています。印章制度に依拠している印章は、それと共になくなりつつありますが、長年、少なくとも木口彫刻技術が民間の間で「約束」を基軸においた道具を作られてきた技術としての在り方が、「OSHIDE」の本質を貫いてきたのです。その技術は「OSHIDE」という思想と共に残す価値のあるものだと強く感じているので、新商品名を「OSHIDE」と名付けて世に問うていきたいと考えています。「印章」や「はんこ」、「印鑑」という名称で「OSHIDE」の本質を伝えていない制度のみに依拠して存在しているオチャラケ品は淘汰されていくのが自然の理であると私は思いますし、そういう時代にいよいよ突入したという実感があります。印章技術者は、工人としての自己の在り方をしっかりと見つめ工藝として印章を位置づけたブランディングが求められています。その技術者もこれからの厳しい印章をめぐる環境のなかで、おそらく自然淘汰されていくものだと、最後に予言して長文を締めくくります。

 

 

印章彫刻において、「デザイン」という言葉はあまり使いません。印面デザインとかレイアウトという言葉を私が使うのは、消費者に分かりやすく説明したかったので、出来るだけ専門用語を使わないで印章の要は、印面のデザインであり、それを駆使することにより生まれる美の在る印章が良き印章であるということを知って頂きたいためであります。

最近、印章彫刻の職人や技能士と呼ばれる人のものよりデザイナーのハンコを良しとする風潮があるように感じています。デザイン業界の、たとえばグラフィックデザイナーがパソコンを利用して製作した印面デザインが、今までの伝統的ではあるが古く見慣れたものより、印章として見たことのない文字デザインや今までにない形状、規範を無視したレイアウト方法が市場に紹介されています。良し悪しは置いておいたとしても、少なくともそれは「OSHIDE」という印章の根幹をなす思想とは結びついていないということは言えるのではないだろうか。「OSHIDE」と印章は少し違うというお話をしましたが、大陸から伝来した中央集権的な政治制度のなかに内包された印章制度に依拠してきた印章ではありますが、400年くらい前の織豊時代からの木口彫刻の技術は、それ以降の社会と民のなかで鍛え上げられた工藝としての在り方を多く含み、社会的接点を多く持ったものとして今日に至っています。

その彫刻方法は、他の工藝と同様にデザインありきではなく、彫刻優先型のデザイン(彫刻の後に示されたデザイン)でありました。

それというのも、書や紙に描いたデザイン、今でいうパソコン画面のデザインではなく、印刀によるデザインであります。

その印刀は、基底刀と呼ばれるもので、通常の和的な彫刻刀とは随分と仕組みも彫刻方法も違います。その事は以前にもお話しましたので、ここでは述べません。

その印刀の基底の幅は1号刀と呼ばれる極細の幅から5号刀、6号刀とその幅を大きくしていきます。

印章に使われる文字、篆書はご存じのようにクネクネと画数が多く、縦横の文字線の間隔の数字で一つの文字が構成されます。その間隔のことを書の言葉を用いて分間といいます。この分間が如何に等しく、見ている者の目に飛び込んでくるかによりその印章の良し悪しがきまっていきます。文字線よりも空間が美を決めていきます。それを覚えていくのに、前述の印刀の幅の違いが職人の腕に自然に染み込んでいくのです。それは先人からの教えを受け継ぐという結論に達します。先人の思いは「OSHIDE」としての「約束」を重んじる道具をきちんと表現する(彫刻する)ということにつながっているのです。印刀がバトンとなり、繋がって今日の印章彫刻技術と職人を作っているといっても過言ではないのです。

そのバトン無きデザインは、印章ではないということで、ましてや「OSHIDE」では決してないということなのです。

工藝のデザインとして有名な芹沢銈介や柚木沙弥郎」のデザインは染色という仕事の結論としてのデザインであり、その仕事の中に柳宗悦の民藝という思想が乗っかり、さらに良きデザインに、我々を魅了してくれるのであります。

何処かから湧いて来たデザインが印章や染色に乗っかっても、それは本物ではないということです。

posted: 2026年 6月 6日