Q7、よくある苗字の印鑑は、同じような文字の形になりますか?
印章の文字には6つの書体があります。
楷書、行書、草書、隷書、草書、篆書、古印体です。
篆書を除いては、文字の形や画数を増減することは出来ません。
例えば、多い苗字で「山田」さんや「山本」さんの「山」の字を篆書の辞書『篆刻字林』で引きますと、15個もの変化ある形を見せています。
この辞書以外にも更なる変化を可能としているのが篆書体です。
この「山」ともう一つの文字を組み合わせることにより、自由闊達にデザインを変えていくことが出来ます。
また、印章の大きさが大きく画数の少ない文字ですと、「印」の字や「之印」と名前に付け足してレイアウトする方法もあります。
ただ、この篆書を使いこなすには、篆源に精通した熟練の印刻師でないと出来ないことです。
いわゆるデザイン能力のあるハンコ屋さんと出会うことが必要になります。
パソコンソフトの文字に振り回されているハンコ屋さんでは、それは不可能です。
posted: 2014年 2月 3日Q6.卒業記念にもらった印鑑って、実印や銀行印にできるの?
解答:ネット等でこの解答を見てみると、ろくな解答がありませんでした。
今は学生だから、そんなに硬い高価な材質のものはいらないとか、柘で充分と安価な物の方へ誘導していくような解答・・・挙句の果てには、ネット激安店を推奨しているものがありました。
学生だから安価で良い・・・就職しても若いから安物でよい・・・いつになれば、一人前の印章を持てるのでしょうか!
これらの解答にふさわしい藤本流始祖の藤本胤法先生のお言葉を紹介いたします。
「学校の卒業生に、社会に出る餞として印章を贈るのは大変有意義である。しかし、これに三文判、または三文判に近い駄作印を用いるのでは、意図はよくとも晴れの門出の若者に贈るには適さない。これは人生という高い山を登るのに粗末な草履を贈るようなものである。人生は道遠く険しい物であるから、立派な登山靴を自分で買い求める認識が望ましい。・・・本人が無自覚のまま卒業印を永く心証の具として使用することは、人格を表す印章としての見地から嘲笑と軽蔑を買い、その害は非常に大きく計り知れないものである。三文判を以て、記念とするのは印章の道を誤る愚挙である。」(『財運と印章』より)
posted: 2014年 1月 31日Q5、印鑑の輪郭が欠けているのですが・・・。
A, 印鑑の輪郭が欠けているものは、最初に役所や銀行に登録した状態と印鑑の形状が変わったとして捉えられ、印鑑を変えるように言われます。
最初から欠けているものは、登録を断られます。
これは、輪郭も文字もともに印鑑の一部と考えられているからです。
偽造されることを恐れて、自ら印鑑を磨滅させたり、一部を破損させたりする人がいます。
ハンコ屋さんを信用できない猜疑心の強い病的な人です。
また、100円ショップの印鑑は同型印であることを知っているので、輪郭等を欠けさせて使用する人もいますが、小心翼々、誰に対しても信用を措けずに、ついには自己そのものも信じることのできないという悲惨な運命をたどる方であります。
輪郭破損の原因は、多くは印鑑を乱雑に使用したか、または印鑑ケースについている口径の小さな朱肉に無理やり印章をたたくようにしてつけたために角が当たり輪郭部分を弱め、ついには欠けてしまった結果となります。
印章は自己の人格の象徴であり、信を示してくれる生涯の宝器であります。乱雑に扱うことは自らを滅ぼす結果となります。
尚、安価粗末な印鑑の素材は、簡単に輪郭が欠如してしまうものです。
上記のように長い付き合いの印鑑です。あまりにも粗末なものを何度も購入するより、できるだけ良材を選び、生涯の友として大切に扱われるように心がけると、必ず陰徳より印の徳が生じることでしょう。
Q1、印鑑で、人の運命が変わるのでしょうか?
A,印鑑自体は、護符(お守り)やお札ではありませんので、それを持つことで運命が変わるということはありません。
開運や印相、吉相を売り文句にしている印鑑は、易という人の心の動かされやすい売り文句を印鑑に当てはめたものです。
名作と呼ばれる美しい印鑑は、その押し型(印影)を見ているだけで、美をシェアし、幸せな気分になります。まるでラファエロや東山魁夷の名画を鑑賞したような感動をえることができます。
印章は美学であります。美のあるところに徳を生じ善を呼ぶ。
そういう意味で、良き印章を持つことが運勢を左右するとも言えます。
Q2,親の形見となった象牙の実印を自分の名に彫りかえても良いのでし…
A、親の印章を子が使うことは、上を刻して下剋上となりよくありません。それは、親の人生を冒涜することであります。
また「形見」という言葉は、モノを大切にしているようで、実は親と一緒に苦楽を共にしてき
た印章に、さらに私の代も働いてくれとする、モノの終いをしてあげるという東洋的かつ日本的考え方に反するものであります。
親には、お葬式や一周忌の法要をするのに印章はまだ息子が働かせている。それでいいのでしょうか。
印章のお葬式をあげる必要はありませんが、きちんと供養するという気持ちが大切です。
Q3,印鑑の供養は、どうしたらいいのでしょうか?
①公益社団法人全日本印章業協会やその所属組合が、各地で「印章供養」を毎年10月1日の「印章の日」前後にされています。最寄りの印章業組合のお店にお尋ねになれば、無料で供養していただけます。
②「印章供養」をしてくれるお店が近くにない、或いは宗派が違うので自分で供養したいとお考えの方は、亡くなられ方が死後5年を過ぎられた折に、相続人、あるいはそれに相当する方が印面を抜生(砥石などで印面に彫刻してある名を削り落とす)し、白紙に包み納めます。
人も供養、モノにも感謝の気持ちが大切です。
もったいないからと、親の名を削り、自分の印鑑にすることは上を剋して下剋上となり、逆にモノを粗末に扱うこととなります。
posted: 2013年 6月 9日
Q4,実印を役所で登録しましたが、使用を始める心構えは、ありますか…
モノを使用し始める心構えは、様々ですが、実印は一生を通じてあなたの信を示してくれる人生の宝器です。
それ故にこれを「印章の開眼」といいます。
難しい法式や神社で祝詞をあげてもらう必要はありません。
まず、身を清め心を正し、新しい印章(この場合実印)を神棚または仏壇に捧げ、燈明をかかげ、自らも襟を正してその前に端坐します。
神棚や仏壇がない場合は、机のうえにおいてそうしてもかまいません。
祖先の霊に、この印章(実印)を使用するに当たって自己の良心に恥じず正義公道を守り、家業の盛運に励むことを誓い、その式典の盛大、質素は関係ありません。
必要なことは精神であります。
法人の実印の場合は、社員の前で、例えば朝礼などで、その旨を報告し、会社発展を祈願し「印章の開眼」とされるべきであります。