職人の誇り

職人の誇大事に初仕事
【作者】池上不二子

消費税の増税の煽りをくらって、昨年の暮れは、お餅が買えるのか?年が越せるのか?はんやを辞めようか!という状況でした。
今は、相変わらず忙しくさせて頂いております。
感謝です。

職人の誇りを大切にしたいものです。
最近、お客さんや同業者から聞かれることが多いのですが、現在お持ちのハンコと似たように彫ってもらえますか?とか、下地の文字デザインはあるのですが、それと同じように彫ってもらえませんか?
下請け時代は、そういう仕事もありました。
嫌で嫌で仕方がありませんが、食べていく為にしていました。
これは、職人の仕事ではありません。
(おそらく、現在はスキャンされて彫刻ロボットが代替していることだと思います。)
その思考の裏側には、職人を見下した考え方があります。
・・・職人は、言われたことをしていればよい。
意見など、主張や思考は要らない・・・字彫り虫でよい

印章作製というのは、単なる作業工程で分解されるものではありません。
それによると、機械彫り、手仕上げ、手彫りという名称だけが一人歩きします。
フォントの文字を転写し、手で彫った物が、手彫りでしょうか?

本来の印章作製は、字法、章法、刀法という分野から構成されているとするのが、常識的な印章彫刻職人の考え方です。
作業工程で示された区分は、刀法という分野のみで、あとの字法、章法という考え方はほったらかしとなります。
そのほったらかしにされたものを得る為に、手で彫刻することを学び、手で覚え込むのです。

先にお話しました今お持ちのハンコと似たような物を彫ってくれというのは、どういうことでしょうか?
職人の誇りは、その仕事にはあるのでしょうか?
仕方がないからしていたのでは、印章の価値を貶める事にはならないのでしょうか!

藤本胤峯先生は、著書の中で次のように話されています。
久しぶりの引用をお許しください。
「篆源を知らずして、楷書を折り曲げた篆書風に気品はない。篆源を能く知ってその上に一般にわかり易くするのは容易ではないが、これを行い得るとき帝王の文字の篆体は如何なる場合にもその真と美を必ず表現する。
ここに百歩譲って佳き配文を得て、佳き判下を書けたとしても、これを彫刻機で刻ればどうなる。気迫と気品はとても生ずる筈もなく。平々坦々とした凡作に終わることは必至だ。即ち彫る力が乏しく格好だけの三文判になり下がってしまうのである。すべての印章の真価を冒涜するものでしかない。」

人の判下は、人の頭脳です。
パソコンのフォントは、自分の頭脳ではありません。
人の仕上げ線は、自分の仕上げ線ではなく、人の褌を締めて試合にでることとなります。
それらを使うことは、職人の誇りをドブに捨てることです。

posted: 2020年 1月 31日