印章が大切にされた時代

写真は、昨日の毎日新聞の夕刊に掲載されたものです。
このニュースは、奈良の印友であり、フェイスブック友達の記事から知りました。


印章が大切にされた時代・・・
・・・それだけでなく、印章に権威があり、人と人との約束や国と国との約束を取り結んでくれるという役割も含有しています。
そういう多くの在り方を含んでいた印章が、合理性や利便性、スピード性というそういう枠組みから外れてきたという国の方向性と海外からの要請で、消し去られようとしています。
このことは、印章の在り方だけでなく、日本のモノづくりの危機を露呈していると私は考えます。
本来、モノ・・・とりわけ実用品は、様々な事象をその内側に有しているものでした。
ところが、大量生産と情報化時代の波は、それらを一つ一つ分岐させて、その事象の一つ一つを商業化させてきました。
商品、生産性、技術、サービス、流通・・・
一見それにより、全体が進化しているような錯覚に陥りますが、よくよく考えてみると、そのモノの在り方が変容して、やがては破壊されてゆくという極自然な論理が待ち構えています。
それが今の日本のモノづくりの現状ではないでしょうか。
今度は、それをもう一度モノのなかに押し戻す考え方が問われているように思います。
それにモノの存在意義としての土壌開拓として、民藝思想がそこに加われば、大きな社会的運動として起動しだすかもしれません。
それは、モノがお客様に手渡されてお終いではなく、長くご使用頂けるようにという想いをそこからさらにお客様と共に育てていけるものを提供していくという思想づくりが必要になって来ます。
分断させられた思考を一つに・・・今や、技術のみの追及は、技術を崩壊させることにも繋がります。
技術やそのあり方を今こそモノのなかに押し戻す考え方を共育していかないと、そしてそれが急がれているようにも強く感じています。
また、販売ということも同じであります。
経営と技術が分離していたのでは、またそれを望むようなことがあれば、事態は収束し、共倒れという破滅が待ち構えている事だけは確かです。
お盆を介して、ひょっこりと現れた徳川の銀印は、学術的価値だけでなく、印章を扱う我々にも大きな教示をしてくれていると私は捉えました。

posted: 2018年 8月 21日