日本文化と職人という存在

噴水や 東風(こち)の強さに たちなほり
【作者】中村汀女(なかむら ていじょ)

フェイスブック友達の伊勢根付職人であります梶浦明日香さんが、ご自身のことが掲載された『プレジデントファミリー』という教育雑誌を紹介されていましたので、即購入しました。
好きなことを究める「職人」という生き方というタイトルで3人の高学歴な方がたどり着いた「職人」という生き方の魅力を説いています。
その中で、靴職人の方がスタンフォード大学で古代中国とギリシャの哲学を専攻されており、荘子(ジョアンズ)の言葉がその後の人生に大きな影響を受けたと話されています。
それは、「人間の存在の最高の状態というのは職人である」という言葉でありました。

デジタル手続き法案の中から、「ハンコ不要」の文字が消えたことに、業界内外からの議論が始まりつつあります。
政治、経済、法律という側面からの議論がほとんどでありますが、印章を作製している職人サイドからの議論を目にしません。
それは、肝心の印章の本義に基づいた議論がなされていないように思います。
法案なので、どうしても向こうの土俵に立っての議論で物事を進めようとするのは仕方がないかなとも思いますが、それを作製する人、即ち職人がいなくなれば、その論拠をどこに求めていくのでしょうか。
使用者が職人とその仕事を大切に想う日本的土壌という日本文化がドンドンと破壊されてきている今日、職人が人間存在の最高の状態であると言えば、世間から議論の渦中から嘲笑を受けるかもしれませんが、私は敢えてそれを叫びたくなってきています。
日本文化の一端である「はんこ文化」が日本を支えてきたとするなら、日本文化の噴水は留まることなくあふれ出していることだろうと思います。
一時期の横風に耐えながら、それでも「たちなほり」姿勢を正して凜と上を向き噴き上げることができるようにしていきたいものですね。

『プレジデントファミリー』のそのコーナーで、次のように記されています。
「荘子の書物にはさまざまな技能に秀でた職人・名人が多く登場する。一心に技術を研鑽していく中で、人は次第に無心の境地に入っていき、やがて人為を超越して対象と同一化し、やがては自然と同化して無為自然の境地に至ることが出来る、と荘子は説く。」
日本文化は、それぞれの職人により支えられてきたことを忘れると、そのうち未無尽蔵であるはずの噴水が活き絶えてしまうということもある事を大変危惧する次第です。

posted: 2019年 3月 12日