利便性という掛け声にきちんと向き合えるのは・・・

この顔を五月の風にあづけけり

【作者】三吉みどり

 

♪卯の花の 匂う垣根に

時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 

押印廃止の行きつく先は、デジタル庁だったのかと昨日の法案可決のニュースを聞きながら、なるようにしかならないのかなとも思った。

利便性という言葉は、このコロナ禍において、正統性が高く、聞こえの良い言葉であるように感じる事があります。

利便性の対義語は、一般的には不便さでありますが、デジタル化において使われている利便性の対義語はそうではないように思います。

デジタル化において、利便性が高くなることもあるでしょうが、その一方で、今叫ばれているのは、セキュリティ対策であります。

利便性とは、ある一面スピーディに物事が進み便利になる、わずらわしさが取れるという語感を含んでいますが、早く物事が進むという時間軸を基準にすると、職人の丁寧な仕事は対立軸に位置します。

丁寧な仕事には時間が掛かります。

時間が掛かるという事は、物を多くの作業工程を経て出来上がるという時間と、その技術を習得するのに多くの時間が掛かったという二つの意味が内在しています。

スピーディには職人という人は育ちません。

アンチョコな急仕立ての職人程危なっかしい物はない、質のないところに進歩はないと思います。

人を育てるには、丁寧な指導の繰り返しという教育が必要なのです。

それは面倒なことであり、時間が多くとられます。

今、デジタル庁を掲げる国に一番欠如しているのは、それではないかなと最近一人で考えていますが、そういう顔も五月の風にあづけけり。

posted: 2021年 5月 13日