省かれた大切な行為
巻き込んで卒業証書はや古ぶ
【作者】福永耕二
昨日、「小学校卒業証書に他校の公印」というヤフーニュースを題材にお話を致しましたところ、多くのコメントをお寄せいただきました。
小見出しに「古代文字で4年間気づかず、漢字に詳しい児童が発見」というおかしな言い訳がしてありました。
古代文字という単語には、多くのご批判があったみたいで、その後訂正され篆書体のため・・・とされました。
しかし、その要因が篆書体の印章であることを匂わせたことには、書法展を擁する大きな新聞社の記事とはとても思えません。
現場の方からは、その要因として数年前からの証書のデジタル印刷化があるとご意見を頂きました。
数年前までは、生徒の名前も手書きで、公印は木の枠組を作って、その枠に合わせて丁寧に押していたそうです。
卒業証書の行方もそうですが、印章の価値の低落とともにあるような気がしてなりません。
印章は、印影だけが単独で成立しているものではなく、印章本体(印顆)の一部が印面であり、それを朱肉で「押捺す」という行為があるから価値を有し続ける事が出来るのです。
印影をデジタルにして「押捺す」という行為を省き、効率化することにより、間違いが生じることは勿論、人の意識から印章が遠ざかっていくということです。
コロナ禍で発生した「押印廃止問題」も認印を省くということは「押捺す」という行為、大切な行為が省かれる事となっていくことだろうと、この事より予想されることだと私は思います。
そういえば、技能検定の合格証書もデジタル印刷化となっていたような気がいたします。

