才能の限界?

朝ドラ「半分、青い。」のお話。

鈴愛が漫画家を強い決意で辞めました。
強い・・・に少し疑問を感じます。
才能に限界を感じたから・・・止めます。
秋風先生も、第二の人生を歩ますために、「マンガを止めなさい」
「物語の構成は、努力だけでは補えないので・・・」

それは、努力だろ!と、思わず突っ込みを入れたくなりました。
努力だけでは補えない物、天分はあると私も思います。
その人の持っている線質・・・ペンで描く線の質感は、各個において必ず違うので、絶対同じにはならない。
しかし、その線質を上手な人に合わせようとするのではなく、自らの線質をどう使えば効果的かを自分で考え出すことが努力で出来ます。
天分は、努力で必ず補えます。

亜流や我流の道を歩んでいる人が、謙遜して言われることがあります。
多くの人を見てきましたが、不思議と必ず言われます。
それは・・・「私は基本ができていません。」
基本が出来ていないということは、その上に積む応用もできないのです。
ましてや、オリジナルなどできるはずがないのです。
基本は、全ての出発点です。

今、その基本を教えるところが減ってきています。
悲しいかな、教えられる人も少なくなってきています。
教えられる人がいないということは、基本を理解している人がいないということです。
それは、その人に出発点がないから基本を教えることも自らの技術にも基本を踏襲していない、曖昧さを残しているのです。
現在の印章の技術においてそういうことを感じます。
他の職種においても、時折似たような話を見聞きします。

話は朝ドラに戻りますが、漫画家時代から次の時代を設定するのに、漫画との決別をするために、ドラマの構成上そうしてあるのでしょう。
ただ、努力は天分をカバーできるということだけは、自分の経験からだけでなく、いろんな人を見てきての私が自信を持って言えることです。
そして、天分を持っているからと言っても上手くいかない人もいました。
見ていて、「神は二物を与えず」という言葉があるようにも感じました。

また、天分は誰にだってあります。
その天分を生かすも殺すも、その人の努力だと私は思います。
趣味ではなく、プロに仕事として大成するかどうかは、基本から目をそらさないということです。
基本を理解するということは、努力を継続するというかなり大変な作業があります。
それから目や手を背けていたのでは、常に何かに引け目と、自らへの疑問を持ち続けなくてはいけないことでしょう。
それも苦しみかな・・・。
同じ苦しみなら、基本習得に努力する苦しみを味わってください。
その苦しみの次には、自らが何をすれば良いかが、必ず見えるはずです。
見えていない人は、基本習得が出来ていない人です。
亜流や我流で通そうとすると、そのうち行き止まりを感じ、飽きてしまうことでしょう。
亜流や我流は、本流にはつながりません。
そうならないように、共に頑張りましょう!

posted: 2018年 7月 4日