大阪万博は炭をつげるのか

学問の さびしさに堪え 炭をつぐ
山口誓子

寒い朝でした。
朝刊には、「大阪万博決定」の文字がありました。
嬉しくもなく悲しくもなくというのが感想です。
1970年の万博は、小学校5年生で、地元ということもあり、友達と一緒に何回も行きました。
楽しかった思い出も残っています。
今は、当時と時代が違います。
同じような事をまたやるのでしょうか。
イベントを国や自治体が誘致して、何かメリットがあるのでしょうかとFB友達が発信していました。
2025年というのは、7年先です。
イベントはイベントです。
この頃、国や自治体が政治よりも商売人のような事を言い出したり、行おうとしているのも不思議な現象だと感じます。
嬉しくもなく悲しくもなく、興味がありません。

1970年の万博の頃は、祖母が火鉢に炭を毎朝おこしていたのが思い出されます。
消えかかる火鉢に炭をつぐのは、学問でいうと、孤独な作業をコツコツと積むということです。
技術習得とその継承や伝統文化を受け継ぐのも、消えゆくことに炭をつぐ作業と同様で、イベントで派手なパフォーマンスをいくらしても、一時の盛り上がりや流行を作るかもしれませんが、そんなことより黙々と炭をつぐ作業の方が、効果があるし尊い仕事だと思います。
地道な炭をつぐ作業が無くなれば、いくらイベントをしても火は受け継がれずに虚無なることだと思えてなりません。

posted: 2018年 11月 24日