レッテルの独り歩き

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

【作者】松尾芭蕉

 

昨日の暑さに体が悲鳴を上げていたので、早く帰宅して、東京の長男が送ってくれた鰻を頂きました。

丁度、土用の丑の日でしたが、長男がくれた鰻と思うと、尚更美味しくいただけたような気がしました。

コロナと暑さに負けないように頑張りたいと思います。

 

クオリティを上げることよりも、クオリティを維持することは、その継続性を要求され、並大抵な努力ではできないことだと、最近思うようになりました。

若い頃は、技術の向上が、即印章という商品のクオリティを上げることだと思っていました。

技術が向上し続ければ、それも良い事だと思いますが、人がしていることですので上がり下がりがあり、そういうクオリティは低下することもあります。

業界全体ではどうでしょうか?

クオリティを上げる努力をしてきたと言えるでしょうか?

あげるどころか、維持する努力をしてきたのでしょうか?

印章の公益的な事は、今全て、印章の知識と技術にあると思います。

印章の販売方法や経営拡大は私益となり、とても公益であるとは思えません。

公益なる事は、社会との接点が多くあるという事です。

経営イコール公益であるとすると、社会はそっぽを向きだします。

唯一無二が放棄されたようなパソコン印章やフォント印章、デザインと銘打った気品なきパソコンデザインハンコ、キャラクターを入れたオモチャのような印章・・・。

それらを見ると、今、印章は社会からそっぽを向かれて当然の位置にあるのではないでしょうか。

印章自体の公益性はあるのに、何故社会からそっぽを向かれるようになったのか、そこを考え、反省していかないと、社会との接点は取り戻せないように感じます。

それどころか、不要、無用、邪魔、障壁というレッテルを剥がすことは不可能になります。

そういうレッテルは、独り歩きをしだします。

現に、そこに商機ありと、業界内からも含めて、様々な商品やそれに付随するペーパレスと脱押印のセミナーの開催が目に付くようになりました。

 

蝉は暑い夏の朝から、鳴き続けているので、その存在を意識します。

秋になり、鳴き声を聞かなくなると、死んだと思います。

今、印章は死んでいるようにも感じるのは私だけでしょうか?

 

 

 

posted: 2020年 7月 22日