生花と造花
ひねりつつものの種まく太き指
【作者】森 俊人

『生花と造花』
写真は、家内が買ってきてくれた生花と以前よりある造花です。
水をやり、気を付けても生花は萎れ枯れる法を持っています。
造花は、水やりも要らずにそのままの状態を保持してくれているので便利です。
しかし、生きているという美しさに欠けますので、人は本物を嗜好するのかもしれません。
本物は、生きているがゆえに、同じものは一本とありません。
同種の花でも同じではありません。
自然の造形美を楽しませてくれます。
造花は、同じものが出来ます。
造花は、造花の役割があります。
病院などで、匂いや花粉を出してはいけない環境にも適応します。
そう役割があると思うのです。
インクで印影のような形を示してくれる文具があります。
事務的にとても便利だと思います。
しかし、これは印章のお友達の朱肉と仲が良くありません。
印章が朱肉と引き離されて、久しいですが、今度はデジタル画面でインクとも引き離そうとされています。
本体は要らないのです。
そうデジタルで表記されるという事は、もう誰にでも印影まがいの画像が作成されるのです。
パソコン印章やフォント印章の印影まがいも、誰にでも作製できます。
そこに技術などありません。
あったとしても、我々職人が呼称する「技術」ではなく、パソコン操作というノウハウくらいです。
勿論、パソコン画面のデジタル印章まがいには本体がありませんので、法的根拠はありません。
「捺しておく」という慣習は、印章が作ってきた大いなる歴史の産物です。
デジタルの利便性が更に進んでいくと、そこには印章の遺産である印影など目にしなくなることは必然であります。
日本人は、日本的霊性をかなぐり捨て、その道を進んでいくのでしょうか?
その内、オモチャのハンコも無くなることでしょう。
造花には造花の役割がありますが、生花には成り得ないのです。
役割分担は大切にしましょう。
その内、造花も無くなりますよ。
ものの種をまく指が細くなり、ぽきっと折れて、種をまけなくなりました。
花も咲かず実もできなく、収穫が無くなり国が滅びます。
そこに気付いてほしいと切に今は願うだけです。
