見つくせぬもの

見つくせぬものゝ中に居る
見つくせず

今日も、河井寛次郎の言葉をご紹介致します。
人は、自分がしていることに厭きると、気が移るものです。
仕事は単調、続けるのはしんどい・・・
時代遅れ、旧態依然・・・
そういう時、何処からか新しい・・・とかオリジナル・・・とか、今流行りのという笛を吹く煽動者がやって来ます。
ところが、その者は我々をどこへ導くのでしょうか?
楽園にたどり着いた者は、今までにはおりません。

河井寛次郎の言葉に以下のような補足文が添えられています。
「人は少しを見て多くを見ない。然し一つを見る事はすべてを見る事だといはれる。そうだまさにそうだ。然し見つくせぬものゝ中にいればこそ見る事が出來るのだ。」

新しいものや他の考え方をペタぺタと貼り付けても何も見えては来ないし、かえって本来の在り方が見えにくくなります。

見えないとか伝わらないということや、在り方が社会に認知されない、されなくなったという大きな原因は、実はそのものの中にあるんだと思います。
だから、今ある在り方を反省し、軽視してきたことを補足していかないと、次には進めないと私はそんな気がしています。

posted: 2020年 5月 28日