印章自身が欲している道

コロナ前から印章無用論や印章を無くそうという声がありましたが、最近は5日に一度くらいニュースになっているような気がします。
昨日も、NHKラジオから聞こえてきたのは、「テレワーク阻む押印をサントリー来月から廃止」というニュースでした。
その事実を伝えるだけでなく、大学の先生が述べていたのは、単なる印章無用論ではありませんでした。
如何にしてこれからの社会において印章を無くしていくのかという、無くすことを前提とした解説がされていたことには、驚きを隠せません。
企業のこのような動きは、良し悪しは別にして、一つの流行・・・それこそウイルスのように伝染していく事だろうと思います。
業界が無くなるような危惧を致します。
そうして、この問題は印章業界の経営問題でとどまらず、社会現象としての社会問題であるように思います。
一印章店や、はんこ屋が太刀打ちできる問題ではないように思います。
NHKが学者先生を立てて解説するなら、印章側も学者先生のお知恵を借りればと思います。
印章学というのは、あるにはあるのですが、物理学者のように印章学者はいません。
印章は文字や工芸とか、芸術であるとかとも考えられますが、実用印章は社会学です。
是非とも、そういう方向で問題を見つめ直して頂きたいと強く思います。
手遅れにならないうちに・・・
それとは別に、私も趣味で道楽で印章彫刻をしているのではなく、生きる糧として印章を商っています。
今までの何でも扱ってきた印章業とは区分して、これから印章を商いにするには、刀を商うようでなければならないと思います。
江戸時代には、多くの刀商がいたと思います。
明治になり、廃刀令がだされ、その商売は社会的になくなったようにも思えますが、現在でもあります。
江戸時代には竹光も含めて商われていました。
武士にとって、刀を携える必要があったからです。
しかし、今刀商のように印章店がなるためには、竹光やオモチャを販売していたのでは、笑われるだけとなります。
名刀を扱わねばなりません。
今より精進が求められるし、技術のみの厳しい修錬の時代をむかえると予言しておきます。
心も技も鍛え直さないと生き残れそうにない
そういう道を印章自身欲しているように思えてなりません。

posted: 2020年 5月 29日