令和印章修錬会

昨日は午前中に仕事をさせて頂いて、午後から印章組合の事務所に向かいました。
久しぶりに事務所の扉を開けると、技術委員が懸命に事務作業に汗を流していました。
それから、20時近くまで作業を続けながら、漸く「令和印章修錬会」作品応募要綱が出来上がりました。
大印展が中止になり、その代替事業としての技術研鑽の発表の場を設けようとして、withコロナ社会に於ける、技術展覧会の在り方を模索し続けてきたことが、形になり始めました。
三密を作らないで運営していく、審査を集まって実施しない、表彰式も懇親会も行わない、そういうこれからの社会の技術継承事業になるかも知れません。
そして何よりも嬉しかったのは、久しぶりに集まった技術委員がみなさん元気でいたことです。
朝早くから夜遅くまで、みなさん本当にご苦労様でした。

日本社会が、人口が増加していき、大量生産大量消費の時代から人口の減少に伴い、様々な弊害が表に出始めている時に、このコロナは突如として我々に様々な啓示を与えてくれました。
伝統工芸や伝統技術の産業が衰退していくのと同時に、その技術の担い手が減少していき、知らないうちに消滅していく技術の数が増え、その影響は計り知れないところにまで来ています。
また、同業組合の組織率の低下からその業自身の在り方が問われている時代でもあります。
このコロナで、大学の講義に潜らせて頂いた時に、お聞きした話では、人口が減少する社会を英語では、シュリンキング・ソサエティといいます。
これに「縮退社会」という訳語が当てられます。
人口増加の社会では、進歩や繁栄という言葉が用いられます。
先の万国博覧会のテーマは、「人類の進歩と調和」であったように記憶しています。
そういう社会は、もう終わりを告げたんだという自覚なしに、社会が物事を今まで通りに進めようと試みても、今まで通りにはできない社会がそうであると思います。
量的な利益、量的な期待、量的な規模、量的な豊かさ・・・
大学の先生は、「濃縮社会」「凝縮社会」に切り替えていくことが大切だとおっしゃっていました。
小さくなった社会が、何もしないで濃縮な状態には、ならないと思います。
今まで通りなら、ただ単に数が減っただけ、もっと悪くとるなら、質も低下していく社会となるのではと思います。
濃縮されない社会、技術が途切れ、嘘偽りのモノが溢れ、それを真実と思わせる新たな技術が開発はされるが、その繰り返しの輪のなかに溺れ行く社会・・・そうならないために、小さくなったことを意識して、質を高めていける在り方を見つけ出す社会、それが私は求められていると、この間の大印展の代替事業を模索しながら考えました。
これからも動きながら、職人は手を動かしながら、考え続けないといけないと強く思います。

posted: 2020年 6月 29日