三田村印章店がTシャツを販売する理由(その2)

台風の目の中にあるプリンかな

【作者】蔵前幸子

 

台風10号が猛烈な台風に発達しているなか、福井での震度5弱の地震のニュースも飛び込んできました・・・みなさま、お気をつけてくださいませ。

9日から始まる国際雑貨エキスポに向けて三田村印章店は取り組んでいます。

といっても、家内と私だけ・・・私は日常業務に追われていますので、家内一人でバタバタしてくれています。

当日は中日の10日(木)以外、三田村印章店は臨時休業とさせて頂きます。

ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い申し上げます。

 

【私がTシャツを販売する理由(その2)】

 

芸術家と職人の決定的な違いは、作品発表に対する姿勢かも知れないと考えるようになったのは最近であります。

現在、芸術家と呼ばれている過去の名人であるミケランジェロやラファエロ、ダビンチが、自分の作品を売り歩いたり、個展を開催していたという話は聞いたことがありません。

しかし、その名は各地に行き渡りパトロンよりお声がかかることはひっきりなしでありました。

それでもなお、より良い仕事を求めて、名声も上がり、自分の技量が思う存分発揮できる仕事をするために、ライバルと技量の腕比べをして、お互いを尊敬して、切磋琢磨することにより、後世に作品が残り、芸術家という称号を与えられるようになりました。

今の日本の職人さんはどうだろう。

職人の仲間内では、出る杭は打たれます。

無名性こそ尊いとする同調意識があるように思います。

本来の無名性というのは、民藝思想である、「無数の名も無き職人達の霊」のことを言います。

しかしながら、現職人気質のなかにある無名性というのは、名を出すな、杭を出すなという同調意識でしかありません。

仕事の平均化として使用されることを多々見てきました。

それでは、折角の手仕事が大量生産の仕事と同じになり、良い物、より良い物を世に出さない仕組みづくりをしていると感じてきました。

技術を量的に判断する「技能」という考え方もその一つです。

2級の仕事、1級の仕事と技量を限定的に区画していきます。

そこからは、より良い物は偶発的にしか生まれずに、互いに尊敬しあった切磋琢磨が見られません。

機械的な商品と言ってよいと思います。

印章においても、技術の平均化はある意味技術の固定化に繋がり、パソコンフォントを使用して機械彫刻されたものと、一級技能士が手彫りした仕事の違いが消費者の皆様に理解できるだろうか。

理解できる人もいるとは思いますが、きっと同じに見える方が多いと思います。それだけ技術が標準化された印影イメージが消費者に固定されてしまった。

そこに美などあり得ないし、既製の認印と同様に捺せればその役割は完結してしまう文具としての印章となってしまったのだと思います。

ですので、新型コロナウイルスの感染が拡大している中、危険を冒して仕事場へハンコを捺しに出社しなければならないという社会から悪者扱いの印面は全て平均化して同一物として捉えるしか仕方がなかった。

それだけ沢山の捺印行動が会社の中にあるようです。

印章店は、会社に依拠すれば存在出来ました。

平均的な印面を持つ文具としての印章を大量に納めれば、その経営を維持できたのです。

しかしながら、そこには平均化した面白くない美などあり得ない名前を確認する手段、責任を確認する手段としての文具としての印面しかあり得なかったのです。

それがハンコだ、印章だと認知されてしまったことへの私なりの挑戦を突きつけたい。

それが、実用印章作製のデザイン技術を表現したのが、今回の企画「HANKO KIAN」®となりました。

写真は、昨日出来上がった国際雑貨エキスポで使用するチラシです。

 

 

 

posted: 2020年 9月 4日