押印機会の減少は日本文化崩壊の一里塚

行先ちがふ弁当四つ秋日和

【作者】松永典子

 

 

「お疲れ様でした、まだまだ志が高い方がおられる様で頼もしいですね。新聞紙上でも盛んに印章不要論が掲載されてますが私が思うにちょっと待て、新聞は今話題の記事を掲載すれば売上になると不要論をもり立てるが新聞もいつ不要論が沸き起こるか分からないよ、と。印章や新聞に係わらず私の今持っている技術も取り上げられたらお仕舞いです、世の中は全てAIで完結する時代はいずれ来るでしょう、しかし汗水を流し技術を習得する事や今まで必要だったからこそ続いてきた文化を棄てるのが幸せなのでしょうか?私は人が汗を流さない、技術文化を大切にしない世の中は人にとって地獄であると思います。」

 

 

上記の文章は、ブログに頂いたコメントをそのままコピペしたものです。

それに対しての、私の返答は以下の通りです。

 

 

「コメント、有難うございます。

『令和印章修錬会』への出品や今年の大競技会の作品への審査に携わらせて頂き、思うのですが、やはり量は減っています。

「志の高い方」も一部ではおられますが、全体量の減少は、悲しいかな、そのクオリティも低下させています。

印章不要論を掲載する新聞も自分で自分の首を絞めているのかも知れませんが、印章業界の大半の意見は、私とは違い、行政の無駄な押印に関しては、無くすことも同意しています。

私は、「無駄な押印」などないと思いますし、これ以上押印の機会を無くしていくと、或いは、国の言う通りに重要な印章のみにすると、今ある制度では実印のみしか残りません。

その実印も、政府の在り方が変われば、今の脱ハンコが急に降って湧いたかのように出現したのと同様に、実印廃止が出るかもわかりません。

また実印のみなので、それを形骸化することは容易い事だと思います。

本当は、それ以前より業界の在り方を国がしっかりとレクチャーしており、「志の高い方」が少なくなったことを、技能検定受検者の減少で押さえて、廃止検討の方向に持ち込んだり、象牙を扱う店舗の状況を横のつながりで押さえ、その推移を把握していたことは、押印廃止への道をしっかりと歩んできたともいえると私は考えます。

新聞や雑誌の活字文化、印章の持つ力を封じ込める事は、日本文化崩壊の一里塚であると私は思います。」

 

 

国の言う「無駄な押印廃止」を許せば、婚姻、離婚届けや確定申告への押印も「無駄な押印」に入ってしまいます。

ドンドンと押印機会が減らされて行きます。

経験の減少をしていくということは、とても怖い未来に繋がります。

今、私もそうですが、ほとんどの人はパソコンを使い文章を書きます。

変換機能を使いますので、漢字を自分で書く経験が減らされています。

次には、書けなくなります。

ハンコは、どんなに立派な印章でも、100均の既製の認印でも使用しないと、ただの棒です。

捺印の機会が多いから、印章の重要性を感じるのです。

印章業者もはんこ職人もパソコンやスマホを使用して、或いはそれで仕事をして、その利便性を享受しています。

それに、慣らされてきて、利便性高きことや、合理的であることに、とても満足を感じています。

間がある事や、時間が掛かること、一見不合理なことには、腹立たしく感じる日常を過ごしています。

だから、今回の脱ハンコ騒動においても、印章業者は寛容に「不便な押印」はいらないと言われて、それを全体の意見のように言われることもありますが、私は脱ハンコ全てに反対です。

平成10年に押印廃止のガイドラインが施行され、その後多くの自治体で押印機会が奪われてきました。

これ以上押印機会を奪うと、印章が有名無実の状態に益々追い込まれて、冬の時代から氷河期に突入してしまうと予想致します。

 

みなさん、一般消費者のみなさん!

今は、まだ実印の効力高き世です。

印章のクオリティーである技術の低下が進む前に、良き手仕事のモラルある印章店にての実印作製をお勧めしておきます。

 

 

posted: 2020年 10月 27日