タテカンと認印の陣地

はたらいてもう昼が来て薄暑かな

【作者】能村登四郎

昨日の毎日新聞に斎藤浩平さんの「京大タテカン文化考」とする特集記事がありました。

京大のタテカン(立て看板)が撤去されていることは、知っていましたが、記事の最後の方に大阪市大に学生自治会はないと書かれてあるのを見てショックを覚えました。(斎藤幸平さんは大阪市大の先生であります。)

今の若い人は、表現が多様化してきているし、その表現を発表する場も多様化して、SNSやデジタル的発信も多く、タテカンのような古い発信をしなくなってきているのかとも思っていました。

しかし、学生自治会がないというのは別だと考えます。

タテカンを立てないというルールがある。

それをすんなりと受け入れる学生、その先には学生自治がなくなり、ちっぽけな問題は大きな自由や権利の問題に繋がっていくと思います。

香港の学生には権利意識がきちんとあり、上からのルールに疑問を持つ思考や自治意識があるということです。

日本の大学に学生自治意識が健全なのかどうかが疑問に思われます。

コロナ禍において、リモート授業ばかりで大学を辞める人やアルバイトが無く生活が困窮している人が声を上げきれない。

ルールだからと疑問を持たずに冷静に?従う・・・若者らしさを感じません。

印章においても、タテカン同様に、「押印廃止」を粗末な問題として、声を上げずに、権力や周囲、付き合いに遍き、タテカンを立てていた陣地、押印していた認印の陣地を失った状態。

声は今やどこででもあげられる時代なのに、本質を、印章の在り方を見つめようとしないことに、斎藤幸平さんの「京大タテカン文化考」は答えをくれているようにも感じました。

posted: 2021年 6月 7日