東洋の知としての日本の印章

夕刊が面白くなってきた。

ネットニュースも良いけど紙の新聞を広げて思索にふけることが、この年になり満足感を得ることになろうとは、予想していなかった。

先日の毎日新聞夕刊にゴリラの博士で有名な京大学長をされていた山極壽一先生の講演記事が目に付いた。

「脱二元論へ東洋の知を」という表題にもひかれた。

フランスのベルグ博士は、「西洋近代の古典的パラダイムは存在論的には二元論、論理的には排中律に基づいており必然的に近代性と工業化を伴ってきた。このパラダイムは行き詰まりに達している」と述べています。

そして、日本の社会は「容中律」(中立を許す考え方)を多く育んできて、多様性を受け入れる文化を有している。

それがこれからの社会には必要であると山極先生は述べています。

縁側は家の外でも内でもないと同時に外でも内でもあると日本家屋を例にとり説明しています。

また、西田幾太郎は「形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞く」・・・これが日本人の情緒。

雪舟や上村松園は背景を描かず「余白」を大切にします。

それが日本人にとって当たり前であったと言われています。

印章もそうだと私は読みながら思いました。

また山極先生は、「SDGsにはそんな大切な文化が含まれていません。文化は体験と共感によって身体に埋め込まれ、生産物はいっぱいあるが、捉えどころがない。世界中の目標とはなりえないのです。でも、文化は地域に根差しながらグローバルに共有できるものであり、倫理的には共有できるはずです。」と述べられています。

印章もメソポタミアからシルクロードを旅して、中国の漢字文化と融合して、「おしで」の国である正倉院に到着した後、長い押印経験を通じて人々に根付いて来た文化であります。

印章業者は変なところに靡くのではなく、本来の印章の在り方にもっと自信をもって、デジタル化にも声を出して、自分の陣地の正当性を主張するべきであり、また主張できるだけの歴史と中身を有している文化だと論を張るべきだと強く思いました。

山極先生も最後に次のように締め括っています。

「文化を科学が共鳴し合う新たな環境論理を作る。今のうちに知恵を練っておかないとポストコロナの世界に対処できません。これからは日本の強みを東洋の知として世界に出すべきだと考えます。」

東洋の知として日本の印章の強みを逆に世界に発信することの方が、デジタルと共存を模索(迎合)するより楽しそうだと私は考えます。

 

posted: 2021年 8月 11日