平地人の思いあがり

昨日、8年ぶりに国連IPCCが報告書を公表した。

そこには、分かり切っているような当たり前の事が文章となり、地球温暖化の原因は人間の活動であると断定された。

産業革命以前の状態に戻るための具体的な対応を求めている。

では、産業革命以降の人間の活動が自然を破壊して、地球温暖化に関与してきたとすると、産業革命の在り方を否定している事になる。

産業革命でもたらされた人類への貢献を再思考しなければならないということになる。

その思考を現在の経済活動の中に取り込もうとしているのだから、また100年後にはそのこと自体を問題視する報告が公表されるであろう。

平地人の思いあがりとは恐ろしいものだなと思う。

自らを中心に置き、その存在が思考の出発点になっている。

平地人は利便性の高さをメルクマールに活動していくようである。

それは産業革命以降の根本思想、資本主義のそもそも論なのかも知れない。

初めから、地球に住まわせて頂いているとする自然との共存思考があれば、温暖化も今の状態ではなかったかのように思う。

逆に自然から頂く恩恵という思考は共存共栄という方向に益々進んでいったことだろう。

しかしながら、現在は共存することは不可能であるから、人類の行動を制御という「住み分け」行動が提案されて然りなのかも知れない。

もはや、自然と共存することなど、人間の行動とは逆行することに他ならない。

確かにデジタル化は利便性という言葉の裏返しかもしれないが、利便性のみで突き進んできた平地人の世が温暖化を進行させたという事実を忘れてはならない。

今のデジタル化を無視して、自然人としての在り方を模索するのも一つであろうと思います。

しかし、それではCMにあったような原始生活を強いられることになる。

初めからデジタル化とそうすべきでないことをきちんと議論し、住み分けする。

遍く事をデジタル化すればよいという思考は、一面、利便性はもたらすが、公平性や正確性を反面奪っていくという処にも目を向けるべきである。

そうして我々は産業革命以降の社会の在り方を再思考すべきである。

産業革命によってもたらされた利益とそれによって奪われた人間らしさ・・・戦争という問題も内在しているようにも思う・・・をきちんと見つめ議論する必要が平地人には必要かなと強く思います。

 

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posted: 2021年 8月 10日