カフェ蘇谷(sokoku)

お盆明けから今日の土曜日までお仕事はゆっくりでした。

お盆休みに家内と帰阪していた長男とで京都に行っていたのですが、六月に一人で出かけた時に立ち寄った「河井寛次郎記念館」を案内してあげようと自慢げに行ってみると、何と!!!お盆休みを取られていました。

その前に、美味しいところがあるねんと案内したお店もお休みだったので、しかも暑い最中の話・・・面目ないと、ふと見ると、河井さんのはすかい前(斜め向かい)にカフェがありました。

家族をなだめるように、そこに入らせて頂きました。

座敷に上がらせて頂きました。

河井さんところ(カフェの女性店主の京都らしい言い方を真似ました)がお休みなので、お店にはお客様はうちの家族だけで、冷たいお茶(私はビール)をいただくと、汗が引いて行きました。

座敷には、陶芸品が無造作に置かれていて、火鉢のようなものや花器、何か分からないオブジェのような物もありました。

家内が、これはなんですかと店主に尋ねると、オブジェですとの返答から、いろいろとお話をさせて頂きました。

元々は、河井さんところと同様の工房であったようです。

しかも、そのオブジェが示すように、お父様が日展作家の工芸家の八田蘇谷という方とのことでした。

店主が子どもの頃は、中二階にはお弟子さんが住まわれて「お兄ちゃんがたくさんいてはりました」と内弟子の徒弟制度のお住まいであったようです。

おじいさまの八田蘇谷さんは、金沢から京都に出て来られて、一代で登り窯を有した工房で寺社仏閣やお茶の家元などに陶芸品を納め乍ら、青磁を中心とした作品作りも怠らずに精進されたようです。

女性店主は二代目蘇谷の娘さんです。

家内が、店主に「跡を継ぎはらへんかったんですか」と尋ねると、「私は陶芸に何の興味も持ちませんでした」と、家内も実家の印章業には何の興味も持たなかったのと一緒ですねと、しかし今は主人が印章を彫刻する職人ですと話すと、それからいろいろと更にお話下さり、とても楽しいひと時を過ごしました。

技術の継承というのは、一子相伝という言葉がありますが、職人なら誰しも思っているように、世襲制にならないのが技術です。

自分の技術は、そうやすやすと子どもには伝わりません。

かえって、自分と共感力のある他人の方が、その技は伝わるものです。

だから、カフェの店主が陶芸に全く興味がなく、娘だからといって窯を継がなかったのには大いに理解できる所が私にはありました。

お店には、とても大量の香合や鉢、花器などが大量にあるそうです。

工房をカフェにリノベーションされたときに、それらの一部を上手く使っておられました。

香合の蓋を足元に埋めて、その文様の亀が顔をだしていたり、茶巾筒を並べて、竹の節に見立てた装飾につかってありました。

この茶巾筒は、寸分違えずに焼いて同じ色に仕上げなければならないので、お弟子さんの修業の一環として行われたものらしいです。(まるで印章の柘駒での練習作品に向き合うようです)

装飾に使われているのは、大量に残ったその失敗作であったようです。(これも私の採用されなかった完成デザインという印稿のようです)

それだけ練度を積まないと、一人前にはならないのだということです。

今、修業中の印章彫刻職人さんは、どのくらいの作品を作り且つ失敗したのだろう・・・それが自分の軌跡になることを、ここへ行かれてその数の多さの前に猛省が必要かなと自分の指導も含めて思いました。

また、この店のリノベーションを見ていて、自分の修業の軌跡が何かこれからの商品としての印章に役に立たないかなと、印章の価値が低落し続ける今をどうにか生き残る一つのヒントを頂いたようにも感じました。

門口までお送り下さり、また立ち話で、京都らしい言い方しはるなと思ったのが、「蚊取り線香たいているのに、蚊が大谷さんからびゅーっと飛んできはるんです。かんにんです。」・・・久しぶりに聞いたホンマの京都弁でした。

https://rurubu.jp/andmore/article/16636

 

posted: 2022年 8月 20日