第10章 印章史・・・その1

第10章 印章史

(1)中国印章史

<東洋文化の淵源>

東洋文化はその淵源を中国に発するといわれている。

当時の後進国であった我が国も、文物の輸入は最も多く中国に仰がざるを得なかった。

従って印章史を述べようとすれば、自然と中国の印章史に遡らざるを得ないのです。

しかし茫邈五千年の歴史を有する中国のことでありますので、印章の起源もどの時代に始まったのか・・・適格にこのことを知ることは出来ません。

あるいは三代の時代にすでに印章があったとも伝えられています。

秦に至って国璽が出来、漢の時代にその制度が整ったが、当時は公文書に限って使用を許され、私文書には許されていなかった。

人、あるいは三代には印なしと説く向きもあるが、博物誌には堯旬舜の時すでに璽印ありと記載されていますので、三代を以て印章の発源とすることは常識的な観察であろうとされています。

 

<三代印>

唐の杜祐が撰した通書という書籍には、三代においては人臣皆金玉をもって印とし、龍虎の鈕(つまみ)をつけていたと記しています。

しかし、如何なる根拠によってこのように断定したのかは不明であります。

周時代に至るに及んでは、明らかに印の存在していることが立証されています。

即ち左伝には季武子が公治をして問わしめ璽書して追って与えたことを載せています。

故に周時代にはすでに印が存在していたことは議論の余地はないのであります。

<秦印>

秦の代に至るに及んで初めて国璽が出来ました。

即ち始皇帝は、周の制を易えて、藍田の白玉を以て印を作り、螭虎の鈕(つまみ)をつけて皇帝の印としました。

これが国璽の始まりです。

その制方四寸(約12センチ角)と言われていますが、秦は二代にして滅んだので、当時の印にして現代に伝わるものは極く稀であります。

 

<漢印>

漢は秦の制に因って摹印篆法を増減改作して印をつくりました。

故にその制法は秦印とは異なっていたが、その基礎を六義においたので、古朴典雅な特色を有し、印章は漢時代において飛躍的前進を見せます。

現代においても研究者や篆刻家がひとしく漢印を渇仰礼賛するのは、実にこれによるものであって、印章は漢を以て宗とすべしと言われている。

 

<魏晋印>

魏晋印の名称はありますが、その制度は漢印に多少改変を加えたに過ぎないので、ほとんど大差を見ません。

 

<六朝印>

六朝とは漢の後を承けた三国の呉、東晋、宋、齊、梁、陳の六国時代を指します。

この時代に至って朱文、白文が作られました。

かくて印章は六朝時代において、大なる変革に遭遇したわけであります。

<唐印>

六朝を経て唐時代に至るに及んで、印章道は堕落の一歩を踏み出したと言われている。

六朝の時代に朱文が出来てからは、古法は乱れ、六義の戻るも顧みず、印章の偽繆ここに至って甚だしいと言われています。

 

<宋印>

唐に堕落の一歩を踏み出した印章道は、宋において益々支離滅裂を加え、徒に繊巧をこととして、形態においても方円の二制を違えるにいたりました。

また、印章に、齊、堂、舘、閣等の文字を用いることこの時代に始まり、宋時代において印章道は完全に堕落しました。

 

<元印>

宋印の堕落見るに堪えずとなし、元時代に及んで、吾子行、趙子昻(ちょうしこう)の二人が印章の制法を粛正しようと勉めた。

一、二、古法にかなったものも出ましたが、表面の粉飾をこととしたので筆意はありますが、古印の妙味は遂に失われてしまいました。

元印の特色は朱文を尊び、李斯の作った小篆(玉筋篆)を宗として用いました。

 

<明印>

明の官印は九畳篆を用い、この時代に至って全く秦漢の古と趣を異にすることとなりました。

しかし将軍の印には柳葉文を用い、王府の印は玉筋篆、監察御使は八畳篆を用いていた。

私印は何長郷というものが、文寿承の後をついで印制の復古に努力をしましたが、それすら古印正法に戻った点は見られなかった。

この時代はまた印叢印譜の刊行が盛んに行われたもので、利を競うあまり、玉石混淆となり、世人もまたその誤った印譜を鵜呑みにして彫刻をしたので、印章道は甚だしい混濁を来すようになりました。

 

《余談》

宋、元、明の印章道堕落の印譜を正として、現今の印相印(吉相印)のその書体は、根拠ありとして篆書をくねくねとしかも我流に曲げたもので印面を覆い隠すような醜い印章を作成する由縁とするのは、この中国印章史がその正否を語ってるように思います。

<清印>

清印は構造精密、規模も整備し、中央政府より下付する官印は、方、長、厚、薄あるいは分寸大小によって差を設け、文は芝英篆、柳葉篆、小篆等の各種各様のものを用いました。

質は金、銀、銅を用い、中には銀質にして金を飾るものもあり、これに龜鈕、虎鈕等の種々の鈕をつけて用いました。

私印は朱文白文共に尊び、名流が輩出して競って復古を唱導したので、唐以来混濁していた印章学は清時代で再び古に還り秦漢と比肩するまでにいたりました。

 

<鈕制>

古印にあっては二分、三分(6ミリ~9ミリ)、あるいは八分(24ミリ)という甚だ薄いものでありましたので、これに背鈕(せつまみ)をつけて使用していました。

そして、その背鈕も所有者の身分の高低により区分されていました。

その背鈕には様々なものが利用されていますが、一般的に動物に類したものが多く、中には瓦、環、亭等のものもあります。

動物の牙、あるいは石をもって人物を作って印鈕とすることは、古印にはあまり見られず、近代に属すことであります。

posted: 2014年 4月 21日