印章が、そんなに簡単になくなってたまるかい!

NHKのドラマ10『昭和元禄 落語心中』が、昨夜が最終回でした。
もう少し、やっていてほしいなぁ~と思えた久しぶりなドラマでした。
今日は内容の感想を語るのではなく、師から弟子へ、そしてその弟子が師となり、そこに弟子が集うという「継承」というあり方について、思うところを述べたいと思います。

「落語心中」の中では、継承するものは、人を通しての落語でした。
私にとっては、印章です。
印章彫刻技術や技能ということではなく、あくまで印章なのです。
ここいらあたりから、昨夜の余韻がのこっているので、少しばかりお江戸の言葉でお話さして頂きやす。
ドラマの中でも、憲兵に「公演中止!」と制止されても、尚且つ落語を話し続ける・・・「もう落語は無くなっちゃうんじゃないか」という時代においても、師から弟子へという気の遠くなるような作業のなかで継承されてきたのが今日ある落語だと思います。
簡単に話しましたが、やっている本人たちにとっては、この継承はドラマになるくらい大変な作業だと思います。

印章の継承もそうですが、今ちょっと事情が変わってきてやしませんか。
印章を継承するための技術です。
その既存の継承現場が、今まだあります。
技術講習会
技術研究会
技能検定
技術検定
技能グランプリ
大印展
全国印章技術大競技会
何度も言うようだけど、今!ここにこそ力を注がないと、印章の継承にとって大変な時期がやってくるよ。
いや、今進行しつつあるよ。

その一つが、デジタルガバメントかも知れない。
印章は公益的なるもんだとして、全国組織自体をちぐはぐさが残存する中で、「公益」というお墨付きを国から頂いた。
デジタルガバメントという問題が起こり、その「公益」が対応しようとすると、政治連盟を窓口にしてしか対応できないときやがった。
なんなんだ、大きな犠牲を払いながら得た「公益」という看板では話もきいてくれないのが日本国かい。
業界自体も文句の一つもいやあいいのに、それなら政治連盟を作りますといって、いとも簡単にそれをおっぱじめやがった。
何のために多くの印章とその本質を守ろうとした仲間を見捨ててまで、「公益」という看板を得たんだい。
えっ!
激安店や同形印販売店を多く受け入れるためにかい。
『印章憲章』に対して恥ずかしくないのかい。

菊彦と助六のようなやつは、もうこの業界にはいないのかい。
印章は、人と人との約束事を司る想いを運ぶ大切なツールなんだぜ。
そのことを、くれぐれもお忘れなく、宜しくおねげえしやす。
あたしゃ、まだ希望は捨てていないよ。
印章が、そんなに簡単になくなってたまるかい!

posted: 2018年 12月 15日