超絶技巧の捉え方

工芸の超絶技巧という世界があります。
明治に日本の工芸を海外に輸出するために、作られた海外向け工芸と言って過言ではありません。
技巧を超絶しているのですから、それはもう芸術の世界、ある意味芸術としての輸出でありました。
それは、日常使用される工芸美とは少し違った世界観を表現しています。
ある意味、日常品としての工芸には邪魔な技巧かも知れません。
しかし、明治のそういう技巧があったから、技術自体は進化した。
そして、それを表現した職人にとっては、こんなこともできるんだという腕試しであったと思います。
それは、日常品としての工芸論と時代の在り方として無駄ではなかったと思います。
手技に無駄なことなど何もないのですから。
その反動として、暮らしに寄り添う工芸としての民藝や用の美という思想が誕生したのだと思います。

印章においても、超絶技巧とまではいきませんが、密刻という細密画と文字のコラボ作品が展覧会や競技会作品としてあります。
しかし、それは職人の腕試しであります。
以前にもお話したことがあると思いますが、現在の印章彫刻技術は日本独自に発展してきたものですが、彫刻方法そのものは、西洋活版技術の木口木版技法の伝来から誕生したもので、現在実用としては存在しませんが、版画美術として木口木版は生き残っています。
その作品は、細密画の表現としては、印章の世界の密刻よりも技巧的には勝るものを多く拝見してきました。
細密画だけならそうですが、密刻は文字とのコラボであります。
文字が生きていてこそ価値を有するものです。
それをフォントや他人の文字を使用して商品化しようなどということを考えると、木口木版の世界から失笑を頂くであろうし、今の文様や絵、キャラクター、似顔絵などを印章世界に取り入れた商品は、印章とは別物と考えないと、印章史に汚点を残すばかりか、印章を堕落させる一助になりかねないことを強く指摘しておきたいと思います。

posted: 2018年 12月 18日