用と美
春立つと古き言葉の韻よし
【作者】後藤夜半
千里山の大阪民藝館を訪れた時に、考えていたことがあります。
実用の道具の美を考える時に、作り手と使用者の存在があります。
「用の美」という言葉が好きでしたが、柳宗悦が言った言葉ではなく、その後の民藝運動で出来上がった言葉であるとある方に教えて頂きました。
柳宗悦は「用の美」ではなく、「用と美」と言っていたらしい。
今の私にとっては、その方が確かにしっくりと来ます。
作り手は、先人から伝わる美の本質を確かめながら、そして次にその美を示しながら、自分の位置を確かめます。
その方法は、使用者との共鳴であると、最近考え出しました。
使用者が作り手の用を使用して自らの実用道具として高めていく。それは以前お話した職人が自らの道具を調整していく過程に似たものかも知れません。
印章の依頼を頂き、調整の彫刻を施し、依頼者にお渡しする。
そして、それを登録などをして捺印することにより開眼させて、自らの道具として高めていく。
一時の使用ではなく、長きにわたり、重要な場面で活躍を使用者と共に作っていく。
この流れが大切なことです。
そして、その用の中に、美を見つけ出す喜びを感じる。
それが日本的であり、日本的霊性のなせる業であると、懐かしの太陽の塔を見上げながら、自分の中の腑に落ちていきました。
posted: 2021年 2月 4日