練度と修錬

『 白露や 茨の針に ひとつづつ 』

【作者】正岡子規

 

昨日の”技能士の名が泣く前に!”というリブログにコメントを頂きました。

 

「いつも学ばせて頂きありがとうございます。私の仕事は職人とはかけ離れたものと思ってましたが意外にもそうではなく、部署の異動は定期的にあれど根本的には職人の本質と同じだと最近思えてきました。挫けそうになるときもありますが私も先生に負けぬ様に日々頑張ろうと思いますす、人間は今、俺が一番だと思った瞬間から堕落していきますので気を引き締めてやっていく所存です。」

 

私からの返信です。

「コメント有難うございます。

印章業界内にいると、このままでは・・・と思う事が多くなってきています。

とりわけ、昨年の「押印廃止」以降の業界の態度には、根本的に印章の本質を無視した論が、さも正論のように存在する様子には、継承現場や市場とのギャップを感じざるを得ません。

しかしながら、印章に罪はありません。

それどころか、認印一本が今まで果たしてきた役割には、社会への多大な貢献があったと思います。

それを無視した論や印章の技術部分を神棚にあげた論は、本当の意味での継承を途絶えさせることとなるでしょう。

印章技術はマニュアルや真似事で継承されるものではなく、トライを繰り返す練度と修錬で積み重ねられていくものです。

そういう意味で印章は工藝だという認識の下、それを探っていく為に、印章と先人たちの思いと相談しながら、気を引き締めて頑張る所存です。」

posted: 2021年 11月 17日