技能士の責任に自覚を持つ

立ちどまり顔を上げたる冬至かな

【作者】草間時彦

 

技能検定合格に向けて、必死に奮闘されているみなさんには、お正月は試験終了後と思われている方が多いと思います。

それくらい技能検定の受験は大変で、死に物狂いにならないと合格できません。

経験されていない方にはなかなか分かりにくい事だとおもいますが、最近は嘗て受検された方もその時の思いを忘れている方やともすると、技能検定自体を小馬鹿にされている方の声も聞こえてきます。

技能士の資格にもっと自覚と責任を持つべきだと思っていた時に、昨夜テレビで看護師の戴帽式のニュースを見ました。

戴帽式は看護師の資格授与においてその責任を自覚させる大切な役割を担っていると言われていました。

はんこ屋、印章業の起源、名字帯刀、立行司という言葉を、携帯のメモに記録して、今日調べてみると、何と一昨年のブログに同じような内容を書いて、技能検定受検者を励ましていました。

そのままコピペして再度ご紹介しておきます。

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【技術と知識】

2月になりました。

明後日の2月3日は、印章彫刻木口作業の技能検定の全国統一学科試験の日です。

実技試験とともに学科試験に合格しなければ、いくら実技が満点でも技能検定の合格証書は頂けません。

はんこ屋職人は、ともすると字彫り職人であり、知識より経験、熟練の世界と思われがちであります。

しかし、きちんとしたはんこ屋さんは、印章についての知識や深い思考を持たれている方が多く、技能士の資格にも勿論それが要求されます。

ですので、モラルを守り世に一つだけの印章製作ができるのです。

 

実用印章を扱う印章業の起りについて、『印章教科書』(公益社団法人全日本印章業協会発行)では、次のように記載されています。

「この頃(戦国時代から安土桃山時代にかけて朱印が作られていた頃)、実名印(後の実印)が商人の間で使用されるようになり、これに伴って、専門の印判師ができるようになりました。秀吉が3人の板版師を選んで、印判師になるように命じ、細字の姓を与えました。これが後の印章業者の元祖となり、京都、金沢にはその子孫が残っています。」

江戸時代に入り、寛永元年に京都の印判師が江戸にくだり板木職と区分され幕府お抱えの御印判師としての看板を掲げ、帯刀を許された者もいたと言われています。

 

名字帯刀を許されたということでは、相撲の立行司もそうです。

権威のみならず、差し違えたら切腹するという意味で帯刀しているとのことですが、当時の印判師も権威を有していたのみならず、偽造をすれば切腹という意味もあったように思います。

元禄ごろになると、偽造を作るものも相当出てきており、幕府は元禄7年に印判をおした印影によって彫ったり、絵本のように綺麗に書いた模様のとおりに彫ってはいけないという法令を出しています。《『はん』(石井良助著)より》

今なら、フォント文字そのまま使用禁止、キャラクター印禁止と言うところでしょうか。

 

世間では、彫刻技術も知識もなく、フォントをそのまま使用して同型印の危険性ある商品を平気で販売している業者が多いなか、政治からは足もとをみられ、「とっくに厳格性が損なわれているはずの印鑑」と揶揄される印章不要論がニュースになり吹聴されています。

2月3日に技能検定の学科試験を受検される方は、合格するための知識としてだけに身に着けるのではなく、これを機会に印章から学び、先人の守ってきた規範とその想いにふれ、それを創造的に活かせるような技能士となっていただけるよう心より応援しております。

 

posted: 2019年 2月 1日

posted: 2021年 12月 22日