あたりまえのありがたさ
初仕事コンクリートを叩き割り
【作者】辻田克巳
今日は仕事始(初仕事)です。
家族みんなで、ゆっくりとしたお正月を過ごさせて頂きました。
それが、「あたりまえ」なのです。
「あたりまえ」を維持するためには、時にはコンクリートをたたき割らねばならない事もあるかなとも思います。
一番ダメなのが、迎合です。
次には惰性です。
「あたりまえ」は革新性がなく、惰性のようにも聞こえるかもしれませんが。
「あたりまえ」なくして、革新はあり得ません。
印章においての「あたりまえ」は、誰に対してではなく、使用者その人の信を示せる道具であるという「あたりまえ」なのです。
そのためには、どのように彫刻するか以前の問題として、職人が何を彫るかということが語られないといけません。
どのように彫るかかとか、それに付随する付加価値とかよりも、何を彫るかが一番大切なのです。
たとえば、細密な文字が彫れるということが技術の最高なら、訂正印が一番価値があり、高価でなければなりません。
しかし、違いますね。
複雑な文様の彫刻できる事が最高技術なら、木口木版の方が細密な文様を表現していて、どこかのキャラクターを彫刻したものより、はるかに芸術的と言えます。
実用印章は、文字を彫るというより、人のお名前や団体や企業の名称を彫るということが肝心で、それなくしてあり得ないという事だと思います。
そこが篆刻芸術と言われているものとの大きな違いであるとも言えます。
その前提が、「あたりまえ」のように存在して、その「あたりまえ」を如何に使用者との共鳴に結び付けるか、それが印章業を営む我々の仕事ではないでしょうか。
コロナ以前の私は、印章業界の為に恩返しをすることが、今までの自分を育てて来てくれたご恩であり、後継にそれを繋ぐことが大切な事であると考えてきました。
それは少し違っていたと反省しています。
それのみに傾注すれば、迎合や惰性が発生して、自分の在り方を見失う処でした。
コンクリートを叩き割るという事ではありませんが、自分をさらに育て上げないと、印章への恩返しはありえないと思うようになり。
その場が、印章業界ではないというのが昨年の結論でありました。
今年は、それを旨に「あたりまえ」であることができるように、場を変えての活動を模索して行きたいと思います。
更に精進勉強していこうと考えています。
今年も印面に向かえる「あたりまえ」に感謝。
posted: 2022年 1月 5日