実用印章
寡作なる人の二月の畑仕事
【作者】能村登四郎
私がよく使う「実用印章」という言葉があります。
では、実用印章とは何なのだろうか?
実印や銀行印、法人印のことだろうか?
登録するものが実用印章だろうか?
認印や角印は、そうではないのだろうか?
業界人がよく使う言葉に木口というものがあります。
実用印章は木口のことだろうか?
空っぽの心になってしまった私は実用印章の美と出会い、それに魅了されていきました。
正確には、藤本胤峯師が「文字との格闘」の末に見出した篆書のレイアウト方法に、空っぽの心が充足されていくその感動と出会いました。
その後の修業は、感動の連続である反面、大変なものでありました。
文字の成り立ちである字法や
そのレイアウト方法である章法を会得する前に、
刀法とまではいかない彫刻方法(ただ彫ること、彫れるようになること)をマスターしなければいけなかった。
印刀を砥いで自分で刃物をつくる、道具の奥深さを学ぶ・・・それらは基本的なことであり、徒弟制度での修業なら最初に乗り越えなければ、次に進めない基本中の基本であります。
一般的には、それが5年と言われています。
それを習得しながら、師が印面に書く文字とその間隔(感覚)を身に着けていくのにあと5年の月日が必要とされます。
徒弟制度でそれですから、そこに入れなかった私は、更に苦労の連続でした。
修業過程を振り返っただけでも、彫刻を覚えることと文字の勉強、それを輪郭のなかにレイアウトしていくことは、凡て関連していて、単独で成り立たちません。
現在の印鑑の市場では、残り少なくなった市場から利を得るために群雄割拠の時を迎えています。
それぞれが焦りと緊張感を持つ市場ですが、規範や道徳がありません。
必要という言葉から生じる「安さ」「速さ」を優先した一群
玩具的な側面を誇張させた一群
別の世界からやってきたデザインやパソコンのデザイン機能を利用したものを誤謬して「新しいデザイン」という言葉に置き換え、従来のものとは違いますよという売り文句を掲げる一群
・・・それらが割拠しています。
そこには、規範や道徳がなく、ましてや職人哲学や修業の末に到達する高見などは世捨て人の戯言のように扱われています。
しかし、そこには印章の本質はありません。
私は、印章は工藝として位置づけることにより生き残ると考えています。
印章の根本には、工藝としての側面が多くあり、それに重心を置くよりも書道や篆刻を技術の根幹として前面に押し出すこと(社会との接点)と、技能検定の在り方には相反するところもあり、上手くかみ合う側面と根本的に相違することも多く、しかしそれを柱に据える業界の在り方に疑問を抱いています。
もちろん、書道や篆刻は各々素晴らしい芸術だと思いますが、それは柳宗悦も説いたように、他力ではなく自力の至難の道であります。
職人が一定の努力と修業を積むことにより成り立つ道ではないのです。
だからもっと工藝化しないと、技術が一部のものの所有で終わります。
このままでは、印章技術が消滅すると私は思います。
私が出来ることは、空っぽの心を充足させてくれた印章の美をより多くの人に知っていただくことです。
『HANKO KIAN』の美は、工藝の美であります。
藤本胤峯師や先人の力をお借りして、彫ることにより到達した印章のデザインです。
そして、実用印章が仮令無くなっても、印章技術である美を遺したいと強く思うようになりました。
余談になりますが、篆書の字書が今ほど出回っていなかった時代に、藤本胤峯師が実用印章に使える文字を探して、当時の古本屋さん街である大阪の日本橋で『飛鴻堂印譜』や明清時代の篆刻家の印譜を求めて「文字との格闘」をされておられたことを義父よりお聞きしたことがあります。
今は、簡単に情報としてネットで検索できますが、それをする人もいなくフォントの文字を改造してデザインとする人が多きことに行く先の短命を感じています。
posted: 2025年 2月 1日