工藝の美は共に活きる心から生まれる
最近、「残念だけれど・・・仕方がない」という言葉をよく聞きます。
それは、建前の言葉であり裏を返せば、「もうどうしようもない」に繋がっているように感じてならない。
柳宗悦「工藝の美」より抜粋・・・
・・・工藝の美は共に活きる心から生まれる。
そこは集団の世界であるから、自から秩序が要求される。乱れた社会の組織からは、正しい工藝を予期することが出来ぬ。よき器には常に秩序の美が映る。秩序は道徳である。徳を守る世界において、粗悪なる品質や粗雑なる仕事が許されようや。工人たちは正しき組織に住んで誠実の徳を支えた。よき品とは信じ得る品との義ではないか。便り得る器との謂ではないか。器の美は信用の美である。材料の選択や仕事の工程に対し、正直の徳を守らずして、どこによき工藝があろうか。工藝の美が善と結合しなかった場合はない。美が善でないなら、美たることも出来ぬ。・・・
昨年、知り合いの同業者が数件廃業された。
その内に、初代で印章業界に入ってくれた若者もいました。
つい先日、彫刻機メーカーが廃業された。
そして、昨日Facebookで東京の若者(業界では若者)が廃業を報告されていた。
彼とは、業界の競技会や技能グランプリでの作品作りを通じて知り合い、またFB友達でもありました。
廃業報告のなかで彼は「一時期下請けの仕事も受けていましたが、ほぼ全てが印相でもううんざり。こんなものを彫るために職人になったわけではありません。」と言っておられた。
その言葉からもわかるように、技術に真摯に向かい合ってきたからこその決意があったのではないだろうか。
私も初代です。
かつて下請け仕事で生活を守っていたこともありましたので状況はよく理解できるつもりです。
しかし、今は下請け仕事で生計をたてることなど無理な時代なのも事実です。
市場が乱れきっています。
粗雑なる品質や粗雑なる仕事が闊歩しているのが現状です。
先の柳の文章の最後は次のように締めくくられています。
・・・醜い工藝は醜い社会の反映である。善きも悪しきも、社会は工藝の鏡に自からの姿を匿すことが出来ぬ。私は工藝の美を想い、ついに秩序の美を想う。正しき社会に守られずば、工藝の美はあり得ない。美の消長と社会の消長と、二つの歴史はいつも並ぶ。工藝への救いは社会への救いである。現実と美が結ばれる時、大衆と美が結ばれる時、その時こそ美に充ちる地上の王国が目前に現れるであろう。この大なる幸福へ私たちを導くもの、それは工藝をおいて他にはあり得ない。
posted: 2025年 2月 28日