印章と工藝と工芸

空箱の中の青空神の留守

【作者】高橋修宏

もう明日から11月ですね。

 

 

私は、印章を彫刻することは工藝であり、印章は工藝品だと考えています。

 

 

ここで、柳宗悦の(1927年4月『大調和』創刊号)「工藝の美」冒頭部分からの一部を切り取ってご紹介しておきます。

・・・美が厚くこの世に交わるもの、それが工藝の姿ではないか。味気なき日々の生活も、その美しさに彩られるのである。現実のこの世が、離れじとする工藝の住家である。それは貴賤の別なく、貧富の差なく、凡ての衆生の伴侶である。これに守られずば日々を送る事が出来ぬ。晨も夕べも品々に囲まれて暮れる。それは私たちの心を柔らげようとの贈物ではないか。見られよ、私たちのために形を整え、姿を飾り、模様に身を彩るではないか。私たちの間に伍して悩む時も荒む時も、生活を領とうとて交わるのである。この世の凡ての旅人は、色様々なその間を歩む。さもなくば道は砂漠に化したであろう。彼らの美に守られずしては、温かくこの世を旅することが出来ぬ。工藝に潤おうこの世を、幸あるこの世といえないであろうか。・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京手彫り印章」は、東京の伝統工芸品の認定を受けました。そこからわずか2年ほどで経済産業省の指定をこの10月に受けました。その道程には並々ならぬ苦労があったことと思います。おめでとうございます。ご尽力されたスタッフの皆様に敬意を表します。また、山梨県はそれに先んじての平成6年にその指定をうけております。

勘違いしてはいけないことは、それが全国の印章のそれではないということです。都道府県の申請によるもので、山梨県と東京都の指定認定団体が、「伝統工芸」を名乗れるということです。大阪の印章店が、印章は国指定の伝統工芸であるとは言えないもので、そう印章そのものが国指定の伝統工芸ではないというところです。今後こういう動きが他のところで起こってくるのかは、とても難しいというのが現状ではないでしょうか。

 

いま、どれくらいの人が印章を工藝であると思い印章を作り販売されているだろうか。おそらく、ほとんどの人はそうは思っていないだろう。国指定の伝統工芸をいただいた二つの県と都の方も制度指定のありがたみを感じておられるとは思いますが、印章をきちんと工藝として位置づけておられるかどうかは疑問であります。

私は、制度的な「伝統工芸」というお墨付きをいただくことよりも、もっと肝心なことは、印章店の各々が「印章は工藝である」ときちんと位置付けて仕事に向かわれているかであります。

 

 

他業のことですが、仏壇も伝統工芸の指定を受けている業者がおり、且仏壇というと伝統工芸のイメージが強い状況になっていますが、多くの仏壇屋さんは廃業されています。昔は、商店街やお寺の近所には必ず仏壇屋さんがあったものです。今の印章店も似通った傾向にあります。商店街のハンコ屋さんや役所近くの印鑑屋さん・・・。仏壇屋さんが伝統工芸の指定をうけても、何故廃業を多くしてしまったのかを我々は考えねばなりません。ライフスタイルの変化というと簡単に終わってしまうのですが、要は仏壇の家における位置づけが変わったのです。そこから仏壇の精神性みたいなものを取り除かれてしまったのだと考えられます。しかし、あの箱の中には、彫刻や漆、蒔絵などの色々な伝統の技術が詰め込まれています。流行りのデザイン仏壇的なもののほとんどは、コンパクトなクラフト的でオシャレな感がありますが、嘗ての技術は消え去っています。嘗ての本物の仏壇は用途を変えて海外に流出しているとの話も聞きます。同様の感をいだくものに、オシャレでコンパクトなお雛さんや五月人形の宣伝をよく目にします。あまり言い過ぎると、語弊を招きますのでこのくらいに。

 

 

私は、制度としての伝統工芸の道ではなく、敢えて違う道を歩み、自らの印章とその仕事をきちんと工藝に位置付けるようにしたい。工藝は工芸ではなく、冒頭の柳宗悦が述べているそれであります。

posted: 2025年 10月 31日