刃物を砥ぐ、心を研ぐ

一、心浄まらずんば器浄まらず

不徳なる者いかにして道を説く権利あらんや。河濁らば海もまた濁るべし。工人また人なり、人倫を保つべし、心乱るれば作もまた乱るべし

【柳宗悦「工人銘 器物七則」より】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何時まで経っても道半ばということをつくづく感じるのが、仕上げ刀(判差)という最終仕上げに用いる刀を砥いでいる時です。日によって、体の調子や心の在り方により砥ぎ具合が変わってきます。仕上げに使用するのは、刃先のほんの1ミリ程度です。私の使用している刃幅は2分(6ミリほど)です。残りの5ミリくらいは使いません。しかし、共に砥がねば刃先は切れません。工人である私と刃物と砥石と名倉が一体となって、初めて私が使用できる刀になります。

私は左利きですので、仕上げ刀では他人の倍の苦労がありました。右利きの人は、最初から右利き用の刃物があり、それを使用します。しかし、それが当たり前で、左利きの人の刃物についての知識に及んでいません。だから左利きの人は、修業の初めから、刃物の調達から刃物は何故切れるのかとか、和と洋の違いとかの知識も身に付けなければなりませんでした。鍛冶屋さんや道具屋さん(砥石屋さん)に自ら足を運び、自分に合った刃物を調達して、自らがそれを砥げるようにならねばなりません。倍の苦労をしたので、それらを知る事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砥石屋さんのおじいさんから頂いた京都天然砥石組合編『京都天然砥石の魅力』(平成5年発行)の冊子のなかに「研磨の心は日本文化の燈火」という歌詞のような文章があります。その一節から・・・

 

研磨の心を失えば

進歩は止まる 技術は廃る

練達の工芸技能者は作業転換か転職か

使い馴れた道具類も埃を被って遊眠の有様

 

研磨しなくて済む便利な世の中

まことに結構至極のご時勢

これで日本文化の火が消えてどうする

・・・・

 

昨年京都でお会いして、お話をさせていただいた彫刻刃物を専門に製作する埼玉県の鍛冶屋さん小倉成年さんが、先日お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

posted: 2026年 1月 30日