私の刻風
落ちなむを葉にかかへたる椿かな
【作者】黒柳召波

阪神大震災の翌年1996年の年始に修業先の高松から大阪に戻り開業しました。大阪での印章業の右も左もわからないよちよち歩きの私を支えてくれたのは、技術講習会での先生、先輩との関係でした。今は同業組合の社会的役割も無くなりつつありますが、当時は組合員数も現在の4~5倍ありアウトサイダーで業界を生き抜くことは困難な時代でした。とりわけ徒弟制度が崩壊に向かっているなか、技術の講習をしている組合は私にとって大切な所でありました。しかし、同業組合の役員としての活動に引っ張られていったことは、開業して間もない時期でしたので、仕事や小学生と保育園児を抱える生活にしわ寄せがありました。その後、組合講習会から技術部に所属して、現在は各年になった大印展の準備で9月、10月は忙しく、子どもらの運動会などに参加したことはありませんでした。そういう思いで大印展や技術講習会を先生、先輩方とつくってきたという自負は、今の私の宝物であります。ですので、コロナ禍の大印展休止や安易な各年への移行、技能検定試験会場問題は、残念を通り越した所業でありました。しかし、それが現実だということは、私の役割が同業組合の社会的役割の終焉と共に終わったのだと感じています。そこにずっと身を置いても、組織自体にも私自身にとってもよくないと考えて、業界組織の技術部門から身を引き始まました。現在は全国技術大競技会の審査員を残してはいますが、代わりがあるようでしたら席は後進に譲る用意はいつでもあります。技術一筋というより技術に関する業界の在り方を見てきましたので、そこへの思いはすごく残っています。とりわけ、現在はあるかどうかは知りませんが、当時、京阪神印章技能士会連絡協議会というのがありまして、関西の印章技術を牽引してきた重鎮がおられたところでした。大阪には「OSECの会」もありましたが、社会的に機能していたのは前者でありました。そこでお会いした先生方の技術論や書風というより工藝的刻風といった方がよいと考えるのですが、それらのお話を聞けたことは、今も何らかの形で後進に伝えたいと強く思います。とりわけ、その刻風が関東優位というよりもそれでないと評価して頂けない競技会姿勢(出品者も含めて)になってしまった現在、大阪風や京都風、兵庫風を大切にされてきた先生方の魂みたいなものが今の私に訴え続けているようにも感じます。刻風も人間味も個性ある人達との関わりが今の私の刻風をつくって来ていると断言できます。
さあ、今日もガンバロー!
posted: 2026年 2月 14日