冬すでに・・・

冬すでに路標にまがふ墓一基
【作者】中村草田男

物事の本質を継承していくということは、やはりとても難しいことだなと最近思います。
印章を観察していくと、色々な角度から分析が可能です。
技術的な側面だけでなく、歴史、用途、文化、法律がからみあっています。

作る人だけが偉いのではなく、販売する人の手を借りなければ、世には出ません。
商売人も職人の手を借りなければ、販売する事は出来なかったが、今は誰にでも操作できてしまうパソコン型の彫刻機があります。
そのあたりから、少しずつですが、おかしく空回りしだしたように感じています。
誰が悪いという事を言っているのではありません。
規範やルールがないので、野放し、無法状態になってしまった。
技術や職人というと、唯々あたりかまわず彫り続けている事や者とおもわれがちになった。

字法・章法・刀法といっても、それを知らない人や理解しようとしない人が、彫刻に携わっています。
文字といえば、文字のみの字形を云々する
デザインと言えば、文字知らずのデザインを商業ベースに乗せようとする。
彫刻といえば、唯々彫っているシーンのみを発信する
それらには、関連性があり、各々を独立分岐させて印章は仕上がらないのです。

そして、仕上がった印章は使用して頂いて初めて印章となるのです。
何が彫ってあるのか、そしてそれをどのように使うのかが、使用者にとって実は一番大切な事なのです。

路標と化してしまった墓は、すでに違う役目を果たしているようで、その本質は失われているのです。
印章業界内部から印章の本質を再確認しないと、それは墓標となり博物館に展示される日も近いのかもしれませんね。
今日みたいに寒く冬を感じさせる日に、ふと中村草田男の句から頭によぎったことです。

posted: 2019年 11月 20日