違和感ありのポスター
印章店を営んでいて、とても恥ずかしいのですが、敢えてお話いたします。
実は、仕事上、特許庁への申請手続きに認印を押印することを失念してしまい、書類が返却されてきました。
押印がないというのは、行政側からすると、本人の意思確認ができないのでという理由が添えられていました。
来春の法改正により、認印がいらなくなり、デジタルにより処理されるということは、本人の意思確認を行政は不要と変更することなのでしょうか。
今日の朝刊の書評欄で紹介されていたことですが、ある人がCDをすべて処分して、デジタルに変換されたそうです。
ところが、聞きたい曲がすぐにチョイス出来なくなりました。
CDがずらりと並ぶ書棚にあった時には、すぐさま手に取り、プレイヤーで聞くことができたのに・・・
記憶という情報量がデジタル化することにより、削減されてしまった結果だと思います。
あの曲は、2段目の右から5番目で少し色あせたCDの少女が海岸を散歩する写真があるやつと・・・
印章の捺印もそうなのです。
捺印された結果という印影が独り歩きするのですが、捺印までの過程が記憶として残ります。
重要な書類だが、印鑑証明の添付が必要なく、お気に入りのトカゲ皮のケースに入っているあめ色の水牛材、再度書類に目を通して確認して、朱肉は少し赤茶の物を選び蓋を開ける、朱肉のよき香りとともに、丹田に力を込めてゆるやかに
紙面に捺し、指先で「の」の字を書く如く廻す気持ちで力を入れ、「し」の字に引くように離す、自ずと潤いのある美しい印影が目に飛び込んでくる。
その時の気持ちや匂い、押印した場所という環境など・・・多くの情報量を有して記憶として残るのです。
それがデジタルになる、記憶という情報が削除されるばかりか、たとえデジタル化された印影が証拠として残ったところで、それは自分の意志を確認したことに本当になるのだろうかと疑問を呈します。
昨夕、ハンコ組合の地元支部のRさんが(公社)全日本印章業協会の緊急のポスターを数枚持ってきてくれました。
以前の赤地のポスターには、共鳴するところもあり、店先に貼らせていただいておりますが、今回のものには、少し違和感があります。
字だけのポスターには、その効果がないことは検証済みの事かも知れませんが、そういう問題ではなくとても違和感があります。
当店のお客様には、婚姻届けに自らの意志として押印をされたい方が多くいます。
今まで、店頭でそれをお話してご購入下さったお客様を裏切りたくはありません。
折角持参いただいたRさんには悪いのですが、店先に貼る事は控えさせて頂きます。
この文章を書いていて思ったのですが、婚姻届けや車庫証明、確定申告への押印が来春よりなくなることは、「手続きの簡素化、電子化等により押印を不要とすること」なのでしょうか、この違和感は私だけでしょうか。
posted: 2020年 11月 28日