押印廃止から押印禁止へ

先日、当店が入っている建物の消防施設の点検がありました。

点検が終わり、確認印を捺すためにハンコを用意して待っていると、「ハンコ屋さんには言いにくいのですが、こちらの欄に部屋番号を書いてもらえませんか」と言われました。

「えっ!なんでなんですか?前回はハンコであったように記憶しているのですが、ハンコではダメなんですか?」

担当の方「個人情報の漏洩になるんです・・・。申し訳ない。」

ハンコが個人情報になる時代なんだ。

印章を捺す事が、そこではダメだとされている。

印章を捺印しても良いではなく、捺印不要でもなく、押印禁止なんだ。

先日、総裁選の立候補者のテレビ討論を見ていると、河野氏はワクチンの普及と共に自らの成果として行政手続きの認印を全廃すると公言され、99%の押印廃止を行われたことを述べておられました。

日本古来の神との約束事としての「おしで」という考え方を基調にシルクロードの最終である正倉院に到達した「印章」は、河野大臣が99%廃止された官印制度から始まったと言っても過言ではありません。

それが民におりて私印を普及していったのです。

つまり、印章史の逆を河野氏は自らの成果として述べられているのだ、そして印章への認識はそういうところにあるのだと思いました。

 

印章は文化だとされ、文庫本に押された蔵書印をお見せになられていました。

また、書道もされているようで、その落款印も使用されているようです。

それが文化なのでしょうか?

ハンコに花柄や文様が入っていたり、キャラクターが彫られているのが印章文化なのでしょうか?

大きな印章やパフォーマンスが印章文化なのでしょうか?

それを全否定しているのではなく、それに目を向けるように仕向けてきたことには疑問を持ちます。

きちんとした印章を人が日々使用して、それが人と人との約束を守る押印となってきたという実績があるから文化になったのではないでしょうか?

それも古い考え方なのかと・・・日本の将来を危惧いたします。

その内、名前も会社名もハンコと共に消えゆくのではないかな・・・デジタル化の邪魔になれば・・・このままでは。

 

posted: 2021年 9月 18日